[補説§0]
§0-1「日本語」について
§0-2「文法研究」の考え方
§0-3 言語・記号・意味
§0-4 文法・文
§0-5「単語」について [助詞][助動詞][接辞]
§0-6 品詞分類表
§0-7 助詞の分類
ここで、本文では省略してしまった基本的ないくつかの問題について述べることと、各項目の補足的な説明をします。
§0-1「日本語」について
この本は、「現代日本語文法概説」という名前にしましたが、この「現代日本語」というのは何を指すのかということについて一言。
一般に「日本語」というと、何のことわりもなく、東京方言を指すことが多いのですが、それは現在の「共通語」あるいは「標準語」として東京方言が使われているというだけのことで、多少なりとも言語学的な視点をもって書かれるべき本では、「日本語の文法」として、東京のことばだけを対象にして、何ら不思議に思わないのは正しくないというべきでしょう。岩手のことばも、沖縄のことばも、共に「日本語」であることは誰も否定できないでしょうから。
むろん、実際には、すべての方言を同等に記述することは、このような本では無理ですし、東京方言を記述するのは、「前書き」にも書いたとおり、いちおう理由があるのですが、そこで、ほんの少しでもそのことを振り返って考え直してみることが必要だと思います。すべてを東京中心に考えてしまわないために。
これは、ただ便利だから、という理由で英語を世界共通語とすればいいと考えたり、外国語として学ぶことばが英語にばかり偏ってしまったりすることと共通した考え方がその底にあります。
言語は、それぞれの地方で独自の文化と共に育ってきた大切なもので、かんたんに取り換えたり、捨ててしまったりできないものです。強いもの、中心的なものを選び取って、効率を重視して済む問題ではないのです。では、方言や「世界共通語」の問題をどうすればいいのか、というのは、かんたんに答えの出ることではありませんが。
§0-2「文法研究」の考え方
私は、文法研究の考え方として次のようなことを考えています。
文法研究は、人間の頭の中にある「文法」を記述することが目標なのですが、その完全な形をそのまま研究対象とするのは、相手が大きすぎて難しい面があります。そこで、次のような、何らかの点で「不完全な」文法を考えてみます。
1 子どもが自分の母語を習得していく際には、どのような段階を経ていくのか。子どもは、発達の段階で、文法習得が不完全な状態でも、周りの人間とどんどん情報伝達を行っている。その際の文法はどのようなものか。
(第一言語習得の問題)
2 外国語(第二言語)を習得する際には、どのような順序で文法を学習していくと効率的か。その文法はどのような形で記述されるべきか。学習者は、多くの場合、不完全な文法のままその言語を使用する。その文法はどのようなものか。
(第二言語習得の問題)
3 人工知能が言語を使えるようにするためには、どのような文法を与えたらよいか。人工知能に与えられる文法は、どのみち不完全なものである。それでも、一通りのコミュニケーションを行うためには、その文法はどのようなものでなければならないか。
(自動言語処理の問題)
これらは、目標となる完全な文法の不完全なモデルを、それぞれの段階で作っていきます。それぞれ、その「不完全さ」には違いがあるでしょう。
以上の中で、第二言語習得のための文法記述ということを考えながら、この本を書きました。
§0-3 言語・記号・意味
日本語は世界に数千もあると言われる言語の中の一つです。
そして、その「言語」とは、難しく言えば、意味・情報伝達のために人間が築き上げてきた「記号の体系」です。
記号とは、ある形式(感覚でとらえられる形)を持ち、それにある意味(頭に思い浮かべる何か)がついているものを言います。かんたんな例としてよくあげられるのは交通信号です。道路にあって、三色が一つの組(体系)になって、赤は停止、青は進行可能、黄色は注意を表すという意味を持っています。
言語は、音声や文字、手話などの形式によって意味を表す記号体系です。
記号は実際に使用されることで、機能を果たします。記号の使用者が、その記号を使うことによって、その記号の持つ意味を他の人(その記号の意味を理解する人)に伝えます。
しかし、記号自体を発するだけでは、何らかの「情報」が伝わったことにはなりません。ここで言う「情報」とは、それによって人が何かを判断したり、行動したり、考えたりするために使われうるもの、とします。かんたんに言えば、「何かの役に立つもの、それが情報である」ということです。
たとえば、ある人が「イヌ」とポツンと言っただけでは、それを聞いた人はその言葉をどう解釈していいかわかりません。「イヌ」という「単語の意味」はわかっても、それを話し手が口にすることによって、何を伝えようとしたのかがわかりません。イヌがいたのか、イヌに気をつけろということなのか、それがわからないと、この「イヌ」という言葉は、「情報」としては「意味がない(何も伝わらない)」と言わざるを得ません。
例えば、「イヌと猫とどっちが好きですか?」と聞かれて、「イヌ。」と言ったのなら、これは「イヌが好きだ」ということを表しているのだと理解されます。(ここで、「。」を付けてあることに注意してください。この句点は、「イヌ」という言葉が、文として、ある情報として成り立っているということを示すことにします。)
このように、言葉を使う際には、「何かが伝わる」こと、そのように言うことが求められます。そしてそのためには、ある場面、ある文脈(それまでの話の流れ)があって、それにあった形で言葉を使わなければならない、ということです。
しかしまた一方で、場面・文脈を離れても成り立つ「意味」というものがあることも事実です。たとえば、道に落ちていた紙切れに、
向こうで和夫が待っている。3時までに行ってほしい。 健一
と書いてあったとします。これを拾ったあなたは、「向こう」とはどこなのか、「和夫」「健一」とは誰なのか、「3時」とはいつの3時なのかわからなくても、ある「意味」をこの文から読みとることができます。それは、「健一」という人が誰かに「和夫」に関するある情報を伝え、ある行動をとることを求めている、ということです。
このメッセージの本来の受け手である誰かは、これを読んで何らかの行動をとるでしょうが、偶然拾って読んだだけのあなたは、何もしようがありません。しかし、あなたがこの紙切れから読みとった「意味」は、本来の受け手が読みとる「情報」の中核的な部分であることは間違いありません。
これを場面から切り離された「文の意味」と考えます。ここで定義した「文の意味」は、実際の言語使用の中から抽出される、多少とも抽象的なものです。
先ほどの「イヌ。」との違いは、素材となる形式が単語でなく、述語と補語の完備した、「文」としての内部構造を持った形式だということです。単語は、場面・文脈の支えがあれば、「文」としての機能を果たす(ある情報を伝える)ことはできますが、場面・文脈を離れると、あるまとまった情報を表せません。
道に落ちていた紙切れに、「いぬ」と書いてあっただけでは、何もわかりません。
そもそも、それが「犬」を表す単語を書いたものかどうかもあやしいわけです。
「文の意味」とは、単語の寄せ集めではない、文脈を離れても何らかの、人から人へ伝わるあるまとまった情報を持つような形式の意味、とします。
§0-4 文法・文
文法は、文を作るための法、つまり規則のことです。
そこで、文法を考えるためには、まず文の定義つまり「文とはどのようなものか、どういう形式を持っているのか」ということから考えなくてはなりません。
上に述べたような「情報」の一まとまり、単位が「文」です。言い換えると、文とは、人が何らかの情報の伝達、あるいは(聞き手を必要としない)単なる表出(心に思ったことを外に出す)の際に、一つのまとまった情報として区切れるような、情報の単位です。
文には2種類あります。述語文と、未分化文です。
述語文は、述語のある文です。人間は、表したい事柄の内容・性質を考えて、事柄をいくつかの種類に分け、それぞれに適当な述語を使って表現します。
「事柄の種類」というのは、ものとものとの関係か、ものの性質か、ものの働きか、などです。
それを表す述語には、名詞述語、形容詞述語、動詞述語の3種があります。
述語文は、一つの事柄を全体的に未分化なままで表すのではなく、述語と補語の組み立てによって分析的に表します。具体的な例は、次の「文の成分」のところで出します。
未分化文とは述語のない文で、感動詞だけの文や、名詞およびそれを修飾する語句がつけられた文などです。「あら!」「はい。」「きれいな花!」などが未分化文の例です。
述語文は、話し手が聞き手に伝えたい情報(あるいは、聞き手を意識せずに自然に出てしまった言葉)を一つのまとまりとして表しています。
未分化文もある情報を持っているので、情報の一つの単位としてみとめることができますが、前に述べたように、文脈を離れると、その意味内容がはっきりしなくなることがあります。
およそ術語の定義の方向には二つあります。一つは意味・内容からで、もうひとつは形式からの定義です。
日本語の文とは、これこれの意味を持ったまとまりである、というようなのが前者の例で、聞いた時にはそれなりになるほどと思いますが、それだけでは、文と文でないものを迷うことなく分けることはできません。「意味を持ったまとまり」あるいは「まとまった意味」というものをきちんと定めることができないからです。
「断片的な意味」と言えそうな例。
ほら、これ。
あ、飛行機雲!
え?ほんと?うっそー!
これらのどれを「文」とするか、すべてを文と見なすか、あるいはすべてを「完全な文」とは言えないとするか、判断の分かれるところです。
また、次のような場合もあります。
私もそう思っていた。現場を見るまでは。
この例は、一つの文が「倒置」されたとも言えますが、言い方によっては二つの文と考える必要もあります。
次は、文の終わりを示す句点「。」を使うべきか、文の途中の切れ目を示す読点「、」を使うべきか迷う例。
ええ。そうですねえ。そうかもしれませんが・・・。でもねえ・・・。
(ええ、そうですねえ、そうかもしれませんが・・・、でもねえ・・・。)
以上のような例をどう考えるかは、「文」を、多少とも抽象的な理論の中の単位と考えるか、実際の言語使用の中で決めることができなければならない単位と考えるか、という理論的な考え方の問題に関係してきます。
文を、しっかりした内部構造を持つ、実際の言語使用から抽象された理論上の単位と考えると、上の「あ、飛行機雲!」のような例を「不完全な文」として退けることがあります。文は述語を中心とし、補語(特に「主語」)をともない、テンスやムードなどを備えたもの、となります。
それに対して、実際の言語使用を重要視すると、「あ、飛行機雲!」のような例は「一語文」「未分化文」「未展開文」などと呼ばれ、立派に文の一員として認められます。「補語-述語」の構造を持ったものは、「述語文」「分化文」などと呼ばれて、その構造により詳しく分類されます。
文をその内部構造の面から考えると、述語や補語(特に「主語」)の存在が重要になりますが、伝達という面から考えると、断片的であっても何らかの情報が伝わりさえすれば「文」と言える、ということになって、その構造よりも「伝達の単位」であることの重要性が強調されます。
文を、実際の発話の「後ろ」にある、静的な、個別の構造の壮大な体系の一つの単位、と考えると、しっかりした内部構造を持つものとして考えたくなります。これは、どちらが正しいか、という問題ではなく、それぞれの立場の違い、目標の違いと考えるべきでしょう。
§0-5「単語」について
単語の定義の問題は、文の定義とはまた少し違った面があります。文の定義は人それぞれであっても、そのことが大きな議論の焦点になるということはあまりないようですが、単語の定義は、はっきりと対立した立場があり、そのどちらをとるかで単語というものに対する考え方が大きく違ってきます。
その大きな違いは、助詞や助動詞をどう考えるかという点です。
学校文法では、助詞と助動詞は「付属語」です。付属語というのは、単独で発話できないものです。(ここで「文節」という独特の用語が使われるのですが、そのことは省略します。)「まで」とか「ようだ」とかはふつう言えません。(ただし、「だろう?」などと言うことは時々ありますが)
[助詞]
その助詞の問題をまず考えます。格助詞は名詞に付けて使われますが、それを名詞の一部と考えてしまうことができます。動詞が活用するように、名詞も語尾が変化すると考えるわけです。
本が 本を 本に 本と 本から ・・・
これらすべて、一つの単語の変化形と考えるのです。そしてまた、これらは文の構成要素となります。
学校文法(橋本文法)では、文の構成要素を単語とはせず、「文節」という中間的な単位を考えます。その構成要素となるのが単語です。
それに対して、格助詞を名詞の一部と考える立場では、単語は文の直接の構成要素になります。
これは、日本語の中で議論しても、どちらもそれぞれの根拠があるので、決着が付きません。言語学の一般的な方法として、他のさまざまな言語も考慮するとどちらが適切か、という話になります。ヨーロッパの言語、特にドイツ語、ラテン語などを考えると、それらの名詞屈折語尾と同様に考えることの利点がでてきます。
ただし、格助詞を単語として認めず、単語の一部としてしまうと、副助詞もまたそうなります。すると、次のような格助詞の重なりも、格助詞と副助詞の重なった形も皆「一語」と認めることになります。
三日までが(忙しい)
彼だけからは(受け取った)
彼女にさえも(言わない)
結局、名詞の内部構造の議論が複雑になってしまいます。これまでの、複合名詞、接頭辞・接尾辞などによる問題以外に、助辞(格助詞・副助詞などと呼ばれてきたもの)の接合のしかた、その意味などを「語構成論」の中で取り扱わなければなりません。
[助動詞]
次に、助動詞の問題です。いわゆる助動詞をほとんど認めず、単語以下の接辞と見なす立場があり得ます。この本もそれに近く、いくつかは動詞の活用形の一部(活用語尾)、いくつかは活用する接辞としています。(活用・活用形については「21.活用・活用形」を見てください)
以下は学校文法で助動詞とされているものです。この本での扱いを右に付記しました。
せる・させる(使役) 接辞
れる・られる(受身) 〃
れる・られる(可能・自発・尊敬) 〃
たい(希望) 〃
たがる(希望) 〃(たい+がる)
ます(丁寧) 〃
だ(断定) 助動詞(後述)
です(丁寧な断定) 助動詞(後述)
ない(打ち消し) 接辞
ぬ(ん)(打ち消し) 〃
た・だ(過去・完了など) 活用語尾
そうだ(推量・様態) 接辞
らしい(推量) 助動詞
ようだ(推量) 〃
そうだ(伝聞) 〃
う・よう(意志・推量) 活用語尾
まい(打ち消しの意志・推量) 接辞
助動詞としたのは、その前の述語が独立できる形となるものです。例えば、
降るらしい
は「降る」+「らしい」となり、「降る」はそれだけで独立できる形です。それに対して、
降りそうだ
では、「降り」の形が独立できる形ではないと考えるのです。(ただし、「雨が降り、風が吹く」のような場合もあるのですが、それはまた別の用法と考えます。ちょっと苦しいところですが。)
一つの問題は「だ・です」の扱いです。これらは名詞につく助動詞としておきますが、「コピュラ」(連結詞?)のような名前を付けて新たな一品詞を作ってしまう、という選択肢も考えられます。上の表にはありませんが、「である」も同様に考えます。(学校文法では「である」は「で」(「だ」の活用した形)+「ある」と分析します。)
最近の文法書では、形式名詞に「だ・です」のついた形を助動詞と見なすことがあります。
はずだ わけだ ものだ ことだ
これらは「ムード」を表す形式として「第二部」で扱います。
なお、「助動詞」という名称は、「補助的な動詞」つまり動詞の一種だということでしょう(英語では Auxilialy Verb です)が、日本語では、上の例を見てもわかるように、「られる・させる」などの他はどう見ても動詞の仲間とは言えません。むしろ、「動詞(述語)を助ける要素」と解釈したほうがよさそうです。
[接辞]
単語より小さい単位の一つについて少し説明しておきます。「接辞」と呼ばれるもので、例えば次のようなものです。
不-/無-/非- 不自由な、無理解、非文法的
お-/ご- お勉強、ご研究
超-/新- 超高速、新発明
-化/-的/-形/-中 自由化、絶対的、受身形、食事中
-ぶり/-おき 3日ぶり、3mおき、
-さ/-み 重さ、重み
-がる うれしがる
それ自体では独立した単語となれず、他の単語について意味を加えたり、文法的性質を変えたりする(重い→重さ、自由な→自由化する)ものです。
この本で述語の活用形としたものの一部には、「語幹」に接辞がついたものと考えた方がよいものがありますが、この本では便宜的に活用表の中に並べておきました。
食べ-ない なぐr-areru 食べ-させる
(「なぐる」は「五段動詞」なので、「語幹」は「nagur」で、これはローマ字を使わないと表せません。くわしくは第2部の「活用」を見てください。)
これらの接辞は、「学校文法」では助動詞とされているものです。
§0-6 品詞分類表
この本の品詞分類は、基本的に学校文法のものです。その分類の基準を示した表を国語辞典の付録から写しておきます。この『学研新国語辞典』は、付録で学校文法をきちんとした形で述べているので、便利なものです。
品詞分類(『学研新国語辞典』による)
┌─基本形がウ段 ・・・・ 動詞
┌─活用が・・単独で述語 │
│ ある になる ├─基本形が「い」・・・・ 形容詞
│ (用言) │
│ └─基本形が「だ」・・・・ 形容動詞
┌─自立語 │
│ │ ┌─主語になり ・・・・・・・・・・・ 名詞
│ │ │ うる(体言)
│ └─活用が │
│ ない │ ┌─主として ・・ 副詞
│ │ ┌─修飾語 │ 用言修飾
│ │ │ になる │
│ │ │ └─体言だけ ・・ 連体詞
単語│ └─主語にな │ を修飾
│ れない │
│ │ ┌─接続語 ・・ 接続詞
│ └─修飾語に │ になる
│ ならない │
│ └─独立語 ・・ 感動詞
│ になる
│
│ ┌─活用がある ・・・・・・・・・・・・・・・ 助動詞
└─付属語 │
└─活用がない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 助詞
§0-7 助詞の分類
次に、学校文法の助詞の分類を別の国語辞典から写しておきます。この表は例語が多くのせられていて、副助詞や終助詞など参考になります。
助詞の分類(三省堂『例解新国語辞典』による)
┌─格助詞・・・・が、を、に、へ、で、と、の、から、より、まで、をば
├─並立助詞・・・・か、と、や、やら、だの、たり、なり、とか
助詞─┼─準体言助詞・・・・の
├─接続助詞・・・・が、し、て(で)、と、ば、から、つつ、ては(では)、
ても(でも)、なら、なり、ので、のに、ゆえ、くせに、
│ けれど・けれども・たって(だって)、ながら、ものの、ところが、ところで
├─副助詞・・・・は、も、か、こそ、さえ、しか、すら、でも、だけ、のみ、
など、まで、かも、きり、しも、ずつ、だの、とか、なら、ほか、ほど、
くらい(ぐらい)、ったら、ってば、なんて、なんか、ばかり、どころか
└─終助詞・・・・か、かい、かな、かしら、と、さ、ぜ、ぞ、って、ったら、
ってば、とも、な、なあ、ね、ねえ、の、もの、ものか、や、よ、よう、わ
「準体言助詞」の「の」というのは、この本では「形式名詞」に入れておいたものです。並立助詞の「たり」は、この本では活用語尾としました。
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