補説§6

§6-1 補語の立て方

 補語の立て方は本によってかなり違います。この本では比較的素朴な、わかりやすい立て方をしたつもりですが、どうだったでしょうか。他の本を読むときのために、多少補いをしておきます。ここは「補足説明」ですので、わからないところがあってもかまいません。読み飛ばしてください。

A.「主体」はかなり大まかなものです。もう少し狭くして、「動作主」とか「仕手(して)」という名前で、意志的な動作、あるいはもう少し広く一般の動きの主体を示すことがよくあります。「動作主」と対立するのは「経験者」で、「階段から落ちる」とか「人が驚く」という場合の「Nが」です。意志的な動作ではないからです。あとの例を「感情の主体」として「動作主」とは別にすることもあります。

  さらに意味中心の立て方をすると、「ガラスが割れる」などの「Nが」を「対象」とする考え方になります。「ガラスを割る」の「Nを」と一貫した名付けをしようというわけです。実際の場面では「ガラス」の「役割」は同じで、「割る」か「割れる」かは表現者のとらえ方の違いだと考えるからです。世界の言語の中には、このような「ガラスが」と「ガラスを」を同じ形で表す言語があるそうで、そのような言語を含めて、世界の言語の構造を統一的に説明しようとする場合、魅力的な分析法になるわけです。

B.「対象」を「Nを」だけに限ることがあります。そうすると、この本で「対象」とした「Nに」は「相手」などと呼ぶことになります。「相手」は基盤の怪しい補語で、「到着点」などと一緒にしてしまったほうがすっきりするのかもしれません。

C.この本では、補語を考える際に三つの点を考慮しました。

  ① どんな格助詞を使うかということ。「Nが」「Nを」など。

  ② 述語に対してどんな意味関係かということ。「主体」「対象」など。

  ③ その名詞自体の意味分類を考えること。[ひと][もの]など。

 これとは違った考え方もあり得ます。特に、③をどの程度考慮するか、どこまで細かく分けるかでずいぶん違ってくるでしょう。

D.この本では文の基本構造を「補語-述語」と考えましたが、それを

    主語-(目的語)-述語

 とする考え方があります。主語とは「Nが」で、目的語とは「Nを」と、対象・相手の「Nに」です。格助詞の中で特に「が、を、に」を重要視して、他の格助詞とは別扱いをするのです。

  「主語」は英語の文法などでは特別に重要なものです。英語で、疑問文の作り方(You will~:Will you~)や、いわゆる「三単現の -s (do:does)」などさまざまな文法現象を考えると、その重要性がわかります。

  しかし、日本語ではそれほど重要なものではありません。文には必ず主語がある、(特別な例外や「省略」は別として)という主張がありますが、それは、述語の主体が意味的に必要なだけであって、文法的(構文論的)にはそれほど重要ではない、という反論があります。

  「主体」のところで紹介した「Nで」や「Nから」をどう考えるか、「対象」の「Nが」や、「部分」「側面」の「Nが」はどう扱うか。また、ある種の「Nに」を「主語」に入れるべきだという論もあり、「主語」とは何か、というのはかなり議論のある問題です。

  この本では「主語」ということばを使いませんでした。日本語では、文の成り立ちを知るために重要なのは「主語」よりも「主題」です。概念のはっきりしない「主語」を使わず、形としての「Nが」と、意味的な「主体」の二つを使って説明してきました。それでかえってわかりにくくなったところもあるかもしれませんが。

E.補語に関して「役割」という言い方をしましたが、専門用語としては「格」という言葉がよく使われます。「格助詞」の「格」です。この用語の使い方には諸説あり、めんどうなので使わないことにしてしまいました。!  ここで、「補足」という形で少し説明しておきます。まず、補語の「形」として「格」という用語が使われます。「Nが・Nを」などをそれぞれ、

     ガ格、ヲ格、ニ格、ヘ格、デ格、カラ格、・・・

 と呼ぶこともあります。

  そのような形だけの呼び名でなく、文法的な役割を含んだ呼び名として、

     主格、目的格/対象格、与格、位(置)格、方向格、具格、・・・

 という呼び方もあります。「与格」というのは「相手」の「に」などで、位格というのは「所に」です。「人にコトがデキル」などの「に」も位格とされます。「具格」というのは「道具・手段」の「で」です。

  それから、もっと意味的な格の立て方もあります。「主格」を分解して、「動作主格」「経験者格」としたりします。この考え方については、前にも触れました。

  意味的な格は細かい違いを言いやすいので、説によって、「に」や「で」など用法の多い格助詞の用法をいくつに分けるかがかなり違ってきます。

    

F.基本述語型の述語は、いくつかの補語をとりうるわけですが、同じ種類の補語をとることは非常にまれです。同じ種類の補語は、一つの述語に対して一つだけ、という原則があると考えられます。仮に「同格一個の原則」(三上章による)と呼んでおきます。

  例えば、次の文はまちがいです。同じ種類の補語が二つあるからです。

    ×リンゴをみかんを食べた。

    ×銀行へ郵便局へ行った。

  このような場合、同じ種類の補語は「と」などで結んで一つの名詞句にします。そうすると、補語としては一つになります。

     リンゴとみかんを食べた。

     銀行と郵便局へ行った。

 次のような例はあり得ます。

     まずリンゴを、それからみかんを、最後にいちごを食べた。

 この場合は、一つの動詞「食べた」に三つの補語があるのではなく、

     まずリンゴを食べ、それからみかんを食べ、最後にいちごを食べた。

 の二つの動詞「食べ」が省略されているものと考えます。もちろん複文です。

 「まず・それから・最後に」という副詞が示すように、これらは三つの、別々の動作(事柄)を表していますから。これらの副詞を省いて、

     リンゴを、みかんを、(そして)いちごを食べた。

 とすることもできなくはありませんが、かなり修辞的な文体という感じがします。それにしても、やはりかっこの中の「そして」はあった方がいいでしょう。この「そして」によって起こった事柄の順番が示されています。


G.場所の「で」のところで、「で」が重なる例がありました。

     その問題は、この本では第二章で扱っています。

 この場合、「本で」のほうを「範囲」としました。ちょっと問題の残る解決法かもしれません。「この本の第二章」という関係の二つの名詞の場合は、同じ種類の補語が二つ、でもいいのかもしれません。

  時の補語の場合も、似たようなことが起こります。次の例を見てください。

    (1990年3月6日に、ある珍しい放電現象が北海道で観測された。)

     1991年には、3月1日と9月9日に同じような現象が起こった。

  この「には」はどう考えたらいいでしょうか。「時」以外ではありえませんから、やはり同じ補語が二つ使われている、としか言えません。「同格一個の原則」の例外です。「原則」には例外がつきものです。


H.次の例もちょっと考えさせられました。

     へびは体が長い。

 「長い」に対して、「へび」も「体」も主体と言えそうです。この二つの名詞は「へびの体」という「部分の関係」にあります。このような場合のためには、前にも述べたように、「側面」という補語をたてておきます。それで問題解決なのかどうかは怪しいです。 

     法律はこれを遵守すべし。

 このような「これを」は例外扱いするしかありません。


I.抽象的な方向・移動

 主体の対象に対する動作も、抽象的な移動と考え、主体から発し、対象にとどくものと考えると、出発点・到着点として解釈することができます。同じ意味で、原因も出発点になります。時間の始点と終点も同じ枠の中で考えると、ほとんどの(必須)補語が「初め」と「終わり」と見なすことができます。

         初め          終わり

  動作の方向  主体         対象・相手

          人が          物を    壊す  (働きかけ)

          人が          人に    物をあげる(対象の移動)

  因果関係   原因         結果の事実

          地震で         停電に   なった  

  時      始点         終点

          2時から        3時まで   勉強する 

                      3時で   止める  

  場所      駅から         家まで   歩く  

 しかし、ここまで抽象化することは、この本のような記述的文法には必要のないことかもしれません。


J.最後に、名詞文の「主体」について。これについては、結局、どう考えたらいいかわかりません。動詞文の主題は、補語が「主題化」されたものと言えますが、名詞文の場合は最初から主題で、「Nが」が「Nは」に主題化されたものとは、どうも考えにくいのです。

形容詞文の場合は、性質や感覚の持ち主としての「主体」という補語を考えることができます。その場合の格助詞は「が」しかありません。

「名詞述語」というのも、あらためて考え直すと、ちょっと怪しいところがあります。別の分析の可能性としては、「だ」が二つの名詞を補語のようなものとしてとる、という分析が考えられます。その場合でも、この二つの名詞の役割は、動詞文や形容詞文の補語とはかなり違ったものと考えるべきでしょう。


§6-2 益岡・田窪の2冊の比較

 益岡隆志と田窪行則は

   『基礎日本語文法 改訂版』(1992)

の中の「補足語」の章で「格とその主な用法」として「ガ格」から「ヨリ格」までの用法を解説しています。

 また、

   『セルフ・マスターシリーズ3 格助詞』(1987)

では「格助詞の基本的用法」として「が」から「まで」の用法を解説しています。

 で、その二つの解説が微妙にずれているのです。以下に、それぞれの要約と、二つを比較してその違いをかんたんに述べたものをのせておきます。考え方が変わったということなのか、あるいは「補足語」から考えた場合と、「格助詞」から考えた場合では、整理の結果がちがってくるということでしょうか。

 

◇益岡・田窪『基礎日本語文法 改訂版』(1992)    

「補足語」の章から p.74-           

「格とその主な用法」

 ガ格  動きや状態の主体

     状態の対象

 ヲ格  動作や感情を向ける対象

     移動の場所

     移動の起点

 ニ格  人やものの存在場所

     所有者

     移動の着点

     動作の相手

       鈴木さんは、思い切って高津さんに相談した。

       叔父は花子に小遣いを与えた。

     動作の対象

       花子は親に泣きついた。 (方向性を持つ動作)

       私に遠慮しないでください。 (対人的態度)

       我々は信頼の回復に努めなければならない。(物事に対する態度)

     状態の対象

       太郎は皆に親切だ。  (対人的態度)

       私はこの記録に満足だ。(物事に対する態度)

       花子は数字に強い。  (能力を表す形容詞)  

     原因

     移動動作の目的

     事態の時

 カラ格 移動の起点

     受け取りの動作の相手

       花子は叔父から小遣いをもらった。

     移動の起点としての動作の主体

       鈴木さんにはあなたから伝えてください。

     時の起点

     出来事の発端としての原因

       つまらないミスから計画が暗礁に乗り上げた。

     判断の根拠

     原料

 ト格  共同動作の相手

       太郎は花子と再会を約束した。

       鈴木さんは高津さんと離宮公園に行った。

     対称的関係における相手

       この問題はあの時解いた問題と同じだ。

 デ格  出来事・動作の場所

     道具・手段

     材料

     原因

     範囲

     限度

       100人で募集を打ち切る。

     基準

       3枚で500円なら買います。

     動作の主体

       後は私たちでやります。

 ヘ格  方向・目的地

 マデ格 移動の終わる場所

     事態の終わる時

     

 ヨリ格 比較の相手

     時の起点


益岡・田窪『セルフ・マスターシリーズ3 格助詞』(1987)

「格助詞の基本的用法」(p.4-7)

 が   動作・変化・状態の主体

     状態述語の対象

 を   動作・作用の対象

     移動の経路・動作の場所

     期間

       楽しい時間を過ごした。

     起点

 に   具体物・抽象物の存在位置

       失敗の原因は資金不足にある。 

     所有者

     動作や事態の時、順序

       山田が最後に着いた。

     動作主

       私にはそれはできない。

       彼にこれをやらせよう。

       先生に叱られる。

     着点

     変化の結果

     受け取り手・受益者

       子供にお菓子をやる。

       恋人に指輪を買う。

     相手

       恋人に会う。

       田中さんに聞く。

       父親に金をもらう。

     対象

       親に逆らう。

       提案に賛成する。

       試験の結果に失望する。

       人間関係に悩む。

     目的

     原因

       寒さに震える。

       酒に酔う。

 へ   方向・目的地

 と   共同動作の相手・一緒に動作する者

       友達と会う。

       花子と結婚する/けんかする。

       次郎と一緒に買物に行く。

     関係の相手

       以前と違う。

       大学卒業と同程度の学力。

     変化の結果

       雪が雨となる。

 で   動作・出来事の行われる具体的・抽象的な場所

       彼の提案は三つの点で間違っている。

       彼の計画ではこの問題は扱われていない。

     手段・道具

     原因

     材料

     範囲・限度

       30人で締め切る。

       三つでやめる。

       3時間で読み終わる。

     様態

       裸足で歩く。

       大声で叫ぶ。

       一人で暮らす。

       自分でやる。

     動作主

 から  起点  

      時間

      場所

     動作主

       その件は私から彼に伝える。

     経由点

       ドアがしまっていたので窓から入った。

     原因・理由・判断の根拠

       風から肺炎を引き起こす。

       不注意から事故を起こす。

       別の観点から考える。

       雲の具合から判断すると明日は雨だ。

     原料

 より  比較・選択の対象

       彼は私より金持ちだ。

       車で行くよりも地下鉄で行ったほうが早い。

       難しいというより、不可能に近い。

     場所、時間の起点

     限定

       死ぬより外に方法がない。

       待つより仕方がない。

 まで  動作・出来事が終わる時間・場所

       係りまで申し出る。

     「から-まで」の形で、範囲を表す

 

◇両者の違い(「基礎」と「マスター」)

ガ・ヲ

  ガ格とヲ格は2冊とも似たようなもの

  「マスター」のヲには「期間」があることが違う。

 ニ

  所有者、移動の着点は同じ

  原因、目的も

  時に、「マスター」では「順序」が加わる。

  場所では、「マスター」に「抽象物の」という区別がある。

  また、「存在場所」と「存在位置」の違いは小さいか。

  対象はほぼ同じ。「マスター」は動詞ばかりだが、「基本適用法」の一覧ではなく、本文で形容詞の対象を扱っている。「資料」のヘ゜ーシ゛も参照。

  相手は、「マスター」に「カラ」と類義の「~に もらう」がある点が注目。

  「マスター」の「受け取り手・受益者」は「基礎」にはない。たぶん、「相手」に含まれる。

  「マスター」の「動作主」「変化の結果」は「基礎」にはない。なぜ?

 カラ

   起点は同じ。時・場所を分けるかどうかだけ。

   原因・根拠も分けるかどうかだけ。

   動作の主体はどちらにもあるが、「基礎」の「移動の起点としての」とはかなり複雑な規定。   

   「マスター」に「基礎」の「受け取りの動作の相手」はない。「に もらう」の「相手」を認めたのだから、「から」も「相手」とすればいいのでは。

   「マスター」の「経由点」は「基礎」にない。   

 ト      

  「基礎」は共同動作に「といっしょに」を含める。

  「(対称的)関係の相手」は共通

  「マスター」には変化の結果がある。

 デ

  道具・手段、材料、原因は共通

  動作主もどちらにもある

  場所は、「マスター」では「抽象的な」がある。

  「基礎」の範囲は「日本では」だが、「マスター」の範囲は限度と同じか。

  「日本では」は「マスター」では本文にある。(p.53「状況が成立する場所」日本  では握手はあまり一般的ではありません。)

  限度は共通。「マスター」は時間も。

  「基礎」には基準がある。

  「マスター」の「様態」は、「基礎」の「補足語」ではないということだろう。

 ヘ

  方向・目的地は共通。

 マデ

   終わる場所・時は共通。

   「マスター」には「カラ-マテ゛」の「範囲」がある。

 ヨリ

   「マスター」にいろいろある。

   起点では場所を立てる。

   比較では「選択」をたて、「相手」ではなくて「対象」とする。

   「限定」を立てる。

   比較と限定では動詞を受けている。つまり複文。



niwa saburoo の日本語文法概説

日本語教育のための文法を記述したものです。 以前は、Yahoo geocities で公開していたのですが、こちらに引っ越してきました。 1990年代に書いたものなので、内容は古くなっていますが、お役に立てれば幸いです。

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