4.動詞文(1)

   4.1 時間性と意志性      4.5 場所を表すNデ

   4.2 動詞文のハとガ     4.6 時を表す助詞 

   4.3 動詞文の補語      4.7 否定と疑問

   4.4 動詞文型のまとめと補足   4.8 動詞文の修飾語    

  

動詞文は、名詞文や形容詞文以上に、語るべきことの多い文型です。

まず初めに、動詞と他の述語、形容詞や名詞(+です)との、時間に関する性質の違いを考えます。次に、それに関連して、動詞文はどんなことを表すのかを考えます。それから、動詞文の「は」と「が」の使い分けについて考えます。そして、動詞文の大きな特徴であるさまざまな補語について一通り見て行きます。場所と時を表す助詞については、別に分けて少し述べます。なお、補語と助詞については後でもう一度まとめる機会があります。(→「6.補語のまとめ」「7.格助詞のまとめ」)


4.1.2 動きと状態

動詞の表す意味についてもう少し考えて見ましょう。動詞はその名前が表すように、一般的には「動き」、すなわち人の動作や物の運動や変化(これら全部を広く「動き」と考えます。「動き」に対立する概念は「状態」です)を表します。

   人の動作:歩く・食べる・作る・こわす・行く・会う、など

   人の変化:生まれる・死ぬ・やせる・育つ・なる、など

   物の運動:落ちる・流れる・降る・飛ぶ・光る、など

   物の変化:伸びる・腐る・壊れる・変わる・増える、など

このような動詞は、いわゆる「現在形」が現在のことを表せません。(これはつまり「現在形」という用語がぴったりしないということです。このことは「23.テンス」で述べます。)今、目の前の、現在起こっていることを表すのに、動詞の最も基本的な形がふつうは使えないということです。上にあげたような動詞の示す事柄を「現在」と関係づけるためには、「動詞-ている」の形(例えば、「歩いている」)にしなければなりません。

「動き」の動詞は、「-た」のついた形にすると、それが過去に起こったことを表し、表現として安定します。では、それに対して、「現在形」は、現在を表すのではないとしたら、何を表すのでしょうか。

動詞の現在形は、その動詞が示す意味、または「概念」を表すもので、特に「時間」とはかかわりがないと考えた方がいいようです。「過去形」と対立しているので、過去のことは表せません。しかし、はっきりと現在か未来を表すわけでもありません。それが時間を表す表現と結びつくと、

   いつも私はコーヒーを飲みます。

   あとで私はコーヒーを飲みます。

のような文の中では、「現在」の時間から離れた表現、つまり「習慣」のように「現在」を含んだある広がりを漠然と示したり、「予定・意志」のような、動作の実現は未来に属するようなことも表すのです。

このように、現在形では現在のことを表せないので、初級教科書の初めのほうでは、「動きの動詞」は、上にあげたような習慣や将来のことを表す用法にふつうは限られてしまいます。

動詞の中には、「動き」を表さないもの、すなわち広い意味で「状態」を表すものがあります。(「状態」というのは、変化がないということです。状態が変わる場合は、変化の表現を必要とします。→「28.3.2 V-ようになる/する」)

   本があります。

   あの人はテニスができます。

   私は英語がわかります。

   これはあれと違います。

   彼は私のいとこに当たります。

などは、そのままの形で現在の事柄を表わせます。しかし、動詞全体から見ればこれらは少数派で、存在・能力・関係など、いくつかのグループにまとめることができます。その他の一般的な動詞は、「現在」をふつうは表わさない、という点で「~です」の述語と対立します。


 4.1.3 現在形・過去形の用法     

動詞文としてまず初めに出されることが多いのは、習慣を表わすもので、多くの場合「いつも」とか「毎日」のようなことばとともに出されます。

   学生は毎日漢字を勉強します。

   私はいつもこの店で本を買います。

   太陽は東から出ます。

また、将来の予定された動き、あるいは現在の意志を表わす用法も動詞の基本的な用法として早くから提出されます。

   選手たちはこれから会場に移動します。

   電車は5時に着きます。

   私は明日京都へ行きます。

   私は離婚します。

この二つの用法のどちらであるかは、使われている動詞と文脈から判断することができます。言い換えれば、文型としてははっきりした違いはないということになります。

 「状態」を表す動詞の場合は、現在のことを表します。未来のことを表す場合は、そのような時の表現をつけます。

   あそこに交番があります。

   私は来年も日本にいます。

 また、多くの場合、現在とか未来とかの時間を離れた性質・関係を表します。

   私は英語がわかります。

   これはあれと違います。

   彼は私のいとこに当たります。

「動き」の動詞が、ものの性質を表すこともあります。

   この車はよく走ります。


[過去]     

「-た」の形は、過去に起こったこと、過去の習慣などを表わします。

   私は昨日京都へ行きました。

   私はいつもこの店で本を買いました。

 状態の動詞の場合は、過去のある時点・時期での状態を表します。

   私は(そのころ)数学がよくできました。

     これはあれと違いました。

 ただし、次の例は変な感じがします。時間にかかわらない事柄だからです。

     彼は私のいとこに当たりました。

随筆などで昔のことを回想して言うような場合ならいいでしょうか。


[完了]

もう一つ、「~た」は「完了」を表します。

   ご飯ができましたよ。

と言った場合、ある「過去」の時点に「できた」というより、「現在」そのことの結果が存在している、つまり食べられる状態だ、という意味合いがあります。この文の否定は「ご飯はできませんでした」ではなくて、「まだできません(できていません)よ」になるはずです。

以上の時間に関する表現については、「複合述語」の形も含めて「23.テンス」「24.アスペクト」でもっとくわしく考えてみます。


4.1.4 意志性

 動詞が形容詞・名詞述語と違うもう一つの点は、「意志性」の問題です。言語は人間の視点から、人間を中心とした世界を表現するものです。そこで、人間の動きの中で、その人間が意志を持って行動した場合と、そうでない場合の違いがあります。

   1 明日台風が来ます。

   2 明日彼女が来ます。

   3 明日あなたは来ますか。

例1は自然現象です。例2は「彼女」の意志的動作ですが、「意志」を表す文と言うより、将来の予定された事柄を表す文です。例3は「あなた」の意志を聞いています。

「来る」は「来よう」という「意志形」を持つ「意志動詞」です。自然現象を表す「降る」のような動詞には意志形はありません。

 意志性の有無は、動詞の用法のいろいろなところに関係します。複文の「従属節」の制限にも影響します。

 意志形については「32.4 V-(よ)う」を見てください。


4.2. 動詞文の「は」と「が」

4.2.1 問題の基本

名詞文や形容詞文のところで、「は」と「が」の違いについてそれぞれ説明しました。そこでは、基本的な文の型としては、

     Nは  です

で、「Nが」になるのは多少とも特別なものでした。(「NはNが~」のような「ハ・ガ文」の「が」はまた別ですが。)

しかし、動詞文ではごくふつうに「Nが」の文が使われます。そこで、「Nは」との使い分けの問題がもっと微妙になり、複雑な問題になります。

初級教科書のいちばん初めのところでは、動詞文で「が」を使うことはあまり多くありません。どうしてそうなるかというと、初級の最初に習うような会話では、「私」や「あなた」がまず話題になり、つぎには身の回りにあって、「これ」や「あの」で指し示せるようなものを話題にとりあげて話をすることが多いのですが、そのような場合は「は」の方が適当なことが多いからです。例えば、

   1 私は明日テニスをします。

   2 あの人は先月日本へ来ました。

のような文の「は」を「が」にして、

   1’ 私が明日テニスをします。

   2’ あの人が先月日本へ来ました。

などとすると、ごくふつうの事実を述べているというよりも、「他の人でなく、この人が」という特別の意味合いを感じるようになってしまいます。

逆に、教科書のもう少し先の、「が」を使ったごくふつうの文、

   3 あ、雨が降ってきました。

   4 きのう、私の家に田中さんが来ました。

などの場合は、このまま「が」を「は」に替えると何か落ち着かない文になります。また、一度「が」で出された言葉も、次からは「は」をつけることが多くなります。

   3’ ?あ、雨は降ってきました。

   4’ ?きのう、私の家に田中さんは来ました。

   5  きのう私の家に田中さんが来ました。田中さんは、・・・

   6  昔々、ある所におじいさんがいました。おじいさんは、・・・

 どんな場合に「が」を使うのか、「は」の役割は何か、「は」と「が」の使い方の基本を考えてみましょう。


4.2.2 主題・中立叙述・指定

まず、上にもあったように、「が」は話を始める時に状況や場面を設定したり、現在の状況をそのまま述べたりします。そして、その「が」の文に出されたものの中で話の中心となるものをとりあげて、次の文からの主題にする時、「は」を使うのです。(上の例3~6)

このような「が」は中立叙述の「が」と呼ばれます。そして、その文を現象文と呼びます。現象をそのまま述べた文、ということでしょう。形容詞文にも現象文がありました。それに対して、「Nは」の文を「主題文」と呼ぶことは「0. はじめに」で述べました。

初めの「が」の文に出ていない名詞に「は」が付くこともあります。

   「おや、雨が降ってきた」「え?かさは持ってきてないよ」

このような場合は、「雨→かさ」の意味の連想が働いて、「かさ」にも「は」がつけられるのです。一つのものが話に出された時、それに次の文から「は」がつけられるだけでなく、それと関連のあるものも「は」をつけられる資格、言い換えれば主題になる資格ができるのです。これはごく一般的な現象です。 あれはうちの猫だ。名前はまだない。(猫の名前は~)

また、何か話を始める時、話し手自身と聞き手、つまり「私」と「あなた」は、初めから「は」がつけられます。その場面に「すでに出ている」扱いになるのです。それを「私が~」と言うと、「他の人でなく、私が」という「が」の持つもう一つの意味になってしまいます。(上記例1' )

この、排他的な意味合いの「が」を「指定」の「が」と呼ぶことにします。名詞文の「が」は、実はこの指定の「が」です。疑問文の疑問の焦点(誰が、何が)にもなります。形容詞文の場合は、指定の「が」と、現象文の場合の中立叙述の「が」の両方があります。

動詞文の場合も、疑問の焦点となる「が」は、指定の「が」です。

   「誰が来ましたか」「田中さんが来ました」

 同じ「田中さんが来ました」でも、次の場合は中立叙述です。

   昨日、私のうちへ田中さんが来ました。田中さんは、・・・

つまり、同じ形の文の「Nが」が、文脈によって指定だったり、中立叙述だったりするのですが、述語との関係は同じであり、学習者が特に気にする必要はないでしょう。


4.2.3 話の始め方・続け方 

さて、話を元に戻して、「は」と「が」の違いとは何でしょうか。上でも触れたように、「Nが」は、話を新しく始める時、話の状況・場面を設定する時に使われます。言い換えれば、文全体がその文脈に新しく導入されるとき「Nが」が使われます。「Nが」で話を始め、次にその中で話の中心になるものを「主題」としてとりあげて話を続けます。そのとき「Nは」で受けて、それが主題であることを示します。前にあげた5と6の例がこれに当たります。

   去年、ソウルでオリンピックが開かれた。このオリンピックはアジアで開かれた2度目の・・・

   昔々、ある所におじいさんがいました。おじいさんは、・・・

「Nは」は、前とのつながりを保ち、文章をまとまりのあるものにします。

 また、文脈の中で前に出ていない名詞でも、「これ・このN」のような場面指示のもの、「日本人・果物」のような総称的なものは、談話の初めから主題にできます。

 このように、「は」と「が」の違いというものは、話の流れと場面の中で決まってくるもので、その文だけを見ていてはわかりにくいものです。

 「は」の用法は、「9.「は」について」でまとめ、もう少しくわしく考えます。「文の続け方」については、この本の最後で「連文」の問題としてまた述べることにします。(→「60.文のつながり」以降)


4.3 動詞文の補語

4.3.1 補語の型

動詞文の文型として重要なことは、補語の種類が多いこと、そして動詞によって必要とする補語が違い、それによって動詞が分類できることです。

 もっとも、どの動詞もその動き・状態の主体となる名詞が一つは必要です。これは「名詞+ガ」(そのガが、ハやモなどになったりしますが)で表わされます。これは、ほとんどすべての動詞に共通です。

多くの動詞は、「Nが」の外に、その動詞の意味を成り立たせるためにいくつかの補語を必要とします。次の例を見て下さい。

   1 タンさんが教科書を読みます。

   2 タンさんが友達からお金を借りました。

   3 タンさんが日本へ行きます。

   4 タンさんが道で彼と会いました。

全部の例にある「Nが」のほかに、「読みます」は「Nを」、「借ります」は「Nから」と「Nを」、「行きます」は「Nへ」をとり、「会います」は「Nと」をとっています。これらの補語を省くと、独立した文として不完全なものになります。

   1’ タンさんが読みます。

   2’ タンさんが借りました。

   3’ タンさんが行きます。

   4’ タンさんが会いました。

文脈や場面から予測できない限り、1では「何を?」という情報が足りませんし、3では「どこへ」を言わないと、聞き手には不明の部分が残ります。4の場合は、「誰と」が必要です。

また、4の例では、動作の場所を表す「Nで」も使われていますが、なくてもいいものです。

   4” タンさんが彼と会いました。

「時」を表わす「Nに」(日曜日に)も同様です。特に言わなくてもいいものです。

このように、ある動詞を使って文を作る時、必要な補語と、そうでもない補語があります。前者を「必須補語」、後者を「副次補語」と呼ぶことにします。ただし、その境界線は必ずしもはっきりしません。

以上のように、動詞によって共に使われる補語が違います。その補語の違いによって、動詞はいくつかのグループに分けられます。その動詞がとるいくつかの補語の組み合わせをその動詞の「補語の型」と呼びます。


[補語の型の表わし方]

補語の型の表わし方を考えます。「型」ですから、多少なりとも話が抽象的になります。

例えば、次の例文は動詞「こわす」が「子どもが」と「おもちゃを」の二つの補語をとっていますが、それを一般的な形で表すにはどうしたらいいでしょうか。

   子どもがおもちゃをこわす

動詞がとる補語の一般的な表し方はいろいろありますが、例えば次のようなものが代表的です。

            A  Nが Nを こわす           

    B [主体]が [対象]を こわす 

    C [人]が [もの]を こわす 

 これらの表し方の特徴を少し考えてみましょう。


A.格助詞の指定

Aは、たんに名詞の部分を「N」として、動詞のとる格助詞(名詞と動詞との関係を示す助詞)を示したものです。もっとかんたんにすれば、

    が・を こわす

となります。「こわす」の意味が分かっていれば、どんな名詞が入るかはある程度予測できるので、これで十分に役立ちます。ほかの動詞では、例えば「いる」の型は、

    に・が いる

あるいは、もっとかんたんに[に・が]と表されます。「あげる」なら[が・に・を]となります。このようにして、とる助詞によって動詞をグループ分けすることができます。


B.意味的役割

Bは、その名詞が動詞に対してどんな意味的な役割を果たしているかを表します。 動詞「こわす」の「Nが」は「主体」であること。その「Nを」は「対象」であること。ただし、この「主体」「対象」の定義をきちんとすることは、難しいことです。例えば、

  ある動作・現象の中心となるもの、あるいは性質や状態の持ち主となるも のを「主体」と呼ぶ

という定義では、「中心」とか「持ち主」という部分がやはり明確ではありません。結局、ふつう「Nが」で表されるもの、というような定義の堂々めぐりになってしまいかねません。

 「対象」というのは、ある動作を受けるもの、です。ここでまた、「動作」とは何か、「受ける」とはどういうことか、を一般的に(「対象」の「Nを」をとる動詞のすべてについて当てはまるように)定義することが難しいことになりますが、話を先に進めます。 

 ふつう、「Nが」は主体であることが多く、「Nを」は対象であることが多いのですが、次のように違う場合があります。

   列車が橋を渡る    [主体]が [場所]を わたる

   彼女には答えがわかる   [主体]に [対象]が わかる

 このように名詞の役割を示すことによって、助詞を示すだけではとらえられない動詞文型の違いをはっきり示すことができます。

けれども、意味的役割というものはくわしく分けだすときりがなく、中心となる「主体」とか「対象」とかいう概念も、上に述べたようにはっきり定義することは難しいものです。(「主体」をさらに分ける考え方については、「補説§3」を見てください)


C.名詞の種類

Cは、その名詞がどんな種類の名詞であるかを指示しています。動詞「こわす」の「Nが」のNはふつう「人」であること、その「Nを」は「もの」であること。

これによって、例えば動詞「ある」の次の二つの用法を区別することができます。この「教室」はどちらの場合も[場所]を表しますが、その助詞の「に」と「で」の使い分けは、「Nが」の名詞の種類の違いによるものとして説明できます。

   教室にいすがある。 [ところ]に [もの]が ある

   教室で会議がある。 [ところ]で [こと]が ある

名詞の分類も、動詞によって細かく分けて行くと、きりがないでしょう。たとえば、「食べる」は[食べ物]をとり、「歌う」は[歌]をとるということになってしまいます。そこには深入りしないことにして、以下ではどんな名詞をとるかは、その名詞の大まかな分類(人、もの、とき、ところ、など)以外は問題にしないことにします。この本での「ひと・もの・ところ」などの名詞の分類のし方については、「5.名詞・名詞句」で少し述べます。

さて、以上の三つの「型」の書き表し方の中でどれが分かりやすく、文型を区別するのに役立つか、ということですが、それぞれに長所があって何とも言えません。全部を組み合わせて使えばいちばんくわしくなりますが、それでは少し煩雑です。

       こどもが  おもちゃを  こわす 

      Nが  Nを 

     [主体] [対象] 

    [ひと] [もの]

 以下の説明ではこれらを場合に応じて使い分けて行くことにします。まず、大まかに「Nが/を/に」などで動詞の文型を考え、その説明の中で[主体/対象/場所]や[ひと/もの]などの特徴についても述べて行きます。

さて、初めにあげた例のそれぞれの動詞の補語の型を「名詞の種類」を使って表してみると、

   [人] が ([所]で) [こと] を 勉強する

   [人] が ([所]で) [もの] を 買う

   [人] が [所] へ 行く

   [人] が [人] と けんかする

となります。かっこに入っているものは、その動詞にとって必ずしも「必要」ではないものです。また、一つだけではなくいくつかの補語の型をとる動詞もたくさんあります。例えば、上の「買う」は

   私はパン屋で店番の小さな女の子からパンを買った。

   [人] が [所]で [人]から [もの] を 買う

という場合は、「[所]で[人]から」の両方が現れています。

 補語の型は形容詞述語にも、またごく一部ですが名詞述語にもありました。そこでは以上のようなくわしい表し方をしませんでした。それは、形容詞では感情・感覚形容詞以外では、[人][もの]のような名詞の種類が型の分類にそれほど重要でないこと、「対象」以外に重要な補語があまりないこと(「基準」が本当は重要かもしれませんが)、何よりも私が不勉強でよくわかっていないこと、などのためです。「複文」の「57.名詞節」で考える予定の述語の分類とも合わせて、これから研究の必要なところです。


4.3.2 基本的な動詞の表

次の節から、日本語教科書の初めのほうで出されることが多い動詞の補語の型を、そこに使われる助詞に注目しながら見ていくことにします。(「動詞の補語の型」をかんたんに「動詞型」と呼ぶ場合もあります。) 

その前に、これからとりあげる動詞の主なものをここであげておきましょう。一応のグループわけをした形で並べておきます。それぞれがどのような型としてまとめられたものか考えてみて下さい。これらはすべて非常に基本的な動詞ばかりです。

   1. 起きる、寝る、働く、遊ぶ、休む、笑う、泣く、怒る、死ぬ   

    降る、吹く、咲く、鳴る、鳴く、開く、閉まる、割れる、壊れる

    始まる、終わる

   2. 行く、来る、帰る、戻る

   3. 食べる、飲む、吸う、見る、読む、書く、聞く、勉強する、愛する

    洗う、切る、着る、持つ、取る、撮る、作る、打つ、割る、壊す、殺す

    呼ぶ、開ける、閉める、始める、終る、止める、する

   4. いる、ある

   5. 歩く、走る、通る、渡る、泳ぐ、飛ぶ

   6. 出る、離れる、降りる

   7. 入る、乗る、座る、住む

   8. 勝つ、負ける、答える、成る、変わる

   9. あげる、渡す、教える、貸す、(手紙を)書く、(電話を)かける、見せる

   10. もらう、借りる、習う、聞く

   11. 買う、取る、盗む

   12. 置く、のせる、掛ける、入れる

   13. 取る、おろす、出す

   14. 選ぶ、変える、する

   15. 結婚する、けんかする、別れる、会う

   16. 話す、相談する、約束する

   17. 並べる、間違える 

   18. できる、わかる、ある(所有)、見える、聞こえる

     要る、かかる(時間、金)


4.3.3 自動詞・他動詞

 動詞の分類でまず思いつくのは、「自動詞」と「他動詞」でしょう。 

 日本語の場合、「自動詞」の定義は、「他動詞」でないもの、という消極的なものです。では、「他動詞」は何かと言うと、「対象としての「Nを」を補語にとる動詞」です。したがって、自動詞とは「対象としての「Nを」を補語としてとらない動詞」です。例をいくつかあげておきましょう。

 他動詞

    本を読みます   テレビを見ます   問題を考えます

    パンを食べます   食事をします   問題を作ります

 自動詞

    7時に起きます   学校へ行きます   こどもが生まれます

 次のような「移動」を表す動詞は「Nを」をとりますが、自動詞とするのがふつうです。

    歩道を歩きます   川を渡ります   家を出ます

これらの「Nを」は「場所」であって、「対象」とはいえないと考えるからです。

 さて、ここまでの話だけなら、自動詞と他動詞を分ける意味はたいしてありません。「対象を」をとるという一つの動詞の型にすぎませんから。しかし、他動詞というものをわざわざ特別にたてるには、もう少し理由があります。

 まず、典型的な他動詞は「直接受身」になるということがあります。受身については「25.1 受身」でくわしく見ますので、ここでは議論しませんが、受身を分類した中の一つに、「直接受身」というのがあり、他動詞はこの受身を作ることができるというのです。これにはいろいろと問題があり、私はこの議論に賛成できませんが、ともかく、他動詞の特徴と言われます。 

 もう一つ、日本語には次のような自動詞と他動詞の対がたくさんあります。

    ガラスが割れました    ガラスを割りました

 くわしくは「4.4.3 自動詞と他動詞の対」でまた見ますが、これらの対が一つの体系をなしているので、日本語でも自動詞と他動詞という分け方をしておくと、この対の説明がしやすくなります。

 以上の話はあとの議論を少し先取りした話なので、あまり気にしないで下さい。英語などと同様に、日本語にも自動詞と他動詞があるんだ、というぐらいに軽く考えていてかまいません。


4.3.4 NがV:主体

さて、自動詞は「Nに」や「Nへ」を必要とすることが多いのですが、その外に場所の「Nを」をとる場合や、必須の要素としては「Nが」以外にはとらないものもあります。これらを一つずつ見ていくことにしましょう。

まず、「が」以外に特に補語を必要としないものをとりあげます。

   1 私は毎日働きます。

   2 母は毎朝7時に起きます。

   3 会はもうすぐ始まります。

   4 彼は(大きな声で)笑いました。

   5 父はとても怒りました。

   6 たくさんの人が死にました。

   7 雨が毎日降ります。

   8 遠くで鐘が鳴りました。

   9 春、桜の花が咲きます。

これらの動詞は特に基本的なもので、教科書の初めのほうに出てきますが、「Nを」や「Nに」を必要としません。しかし、上の例からも分かるように、実際には何らかの時間表現があったほうが落ち着くようです。

   2’ 母は起きます。(?)

この時間表現は「必須」のものとは言えないでしょうが、教科書の例文としては付けておいたほうがいいでしょう。

すでに動詞の表にあげたもの以外に、人間が主体となる「眠る、転ぶ、跳ねる、生まれる、太る、やせる」、人間以外の主体の「降る、吹く、(空が)晴れる・曇る、鳴る、咲く、枯れる、鳴く、光る、(電気が)つく・消える、(窓が)開く・閉まる」など数多くあります。もう少し硬いことば、「漢語+する」の形の動詞(→「4.4.4 スル動詞」)にも「爆発する・崩壊する・成立する・発展する」など数多くあります。

実際には、「主体+が V-ます」だけで使われることは少なく、時間や原因や様子を表すことばなどと共に使われることが多いでしょう。

 主体の「Nが」だけをとる動詞、というのは動詞の分類としては消極的なもので、話題になりにくいのですが、数も多く重要なものです。

 なお、「対象」の「Nが」は「4.3.12」でとりあげます。また、「主体」とされる「Nが」をさらにいくつかに分けていく考え方については、「6.補語のまとめ」で少し触れます。


4.3.5 Nが Nへ/に V:方向・目的地

自動詞の中で、移動を表す動詞は日常の動作を表す動詞として非常に基本的なもので、日本語教科書の初めの方でかならず出てくる動詞です。そして、移動という動作はさまざまな補語をとることができ、結構複雑なものです。そのいちばん基本的なものを見てみましょう。

方向・目的地を表わす「Nへ」または「Nに」を取る動詞。代表的な動詞は「行く」です。

   1 私は毎日学校へ行きます。

   2 先月タイから日本に来ました。       

   3 あなたはいつ国へ帰りますか。

これらの動詞は「所から」をとることもありますが、基本的には「方向」を必要とするグループと言っていいでしょう。「所へ」の代わりに「所まで」とする場合もあります。その場合は特に目的地への道のりを強調しています。

   4 彼は(東京から)大阪まで歩いて行きました。

また、「所を」をとることもあるのですが、他動詞との混同を避けるというためもあってか、初級教科書では「Nを」の提出はふつう後ろのほうに回されます。これについてはあとでとりあげます。

   5 大きな通りをまっすぐ行きます。

この「所へ」と「所に」はほぼ同じように使われるのですが、その微妙な使い分けについてはいろいろ説があります。かんたんに言えば、「ほとんど使い分けがない」という人と、「いや、私はこういう使い分けをしている。これに反する文は不自然な感じがする」という人とがいます。私は特に使い分けがないと思うほうです。ただ、「来る」のときは「に」のほうがぴったりするような場合が多くなりますが、それを「へ」で置き換えても特に不自然さは感じません。日本語の教科書で、使い分けを積極的に主張しているものはないようです。結局どちらを教えてもいいと思いますが、「へ」を使った方が他の用法の「に」と混同することがないので、一つの用法としてはっきりするという利点があります。

 少し後でとりあげる「到達点」の「に」と近いものです。「へ」がふつうに使えるものから、「へ」も言えるが「に」のほうが自然なもの、そして「へ」が使えないもの、へと連続的に移っていきます。ここでとりあげたような典型的に「へ」をとるものは「へ」を使い、他は「に」を使うのが安全でしょう。

 「へ」をとるものとしては、他に「向かう・進む・曲がる・昇る・上がる・落ちる」、「漢語+する」の「出張する・殺到する・到達する」など数多くあります。上で述べたように、これらは「に」もとれるものです。


4.3.6 NがNをV:対象

 「他動詞」という概念は、くわしく考えるといろいろと難しい問題が出てきますが、ここでは常識的に、「を」をとる動詞のなかで「移動動詞」(行く、通る、離れる、など)を除いたもの、としておきます。

動詞として数も多く、よく使われるのは、「Nを」だけをとる他動詞です。

日常的な動作を表わす多くの動詞がこの中に含まれます。

   1 私は(毎日)本を読みます。

   2 私は(時々)映画を見ます。

   3 私は(いつも)紅茶を飲みます。

   4 あなたは(これから)勉強をしますか、新聞を読みますか。

基本的な動詞の中で、ここに入る動詞がいちばん多く、日本語教科書でも初めの方で多くとりあげられます。例えば、次のような動詞です。

   食べる、飲む、吸う、見る、聞く、読む、書く、勉強する、愛する

   洗う、切る、着る、持つ、取る、(写真を)撮る、

   作る、打つ、壊す、割る、殺す、開ける、閉める、呼ぶ、する、

  (時に)始める、終わる、やめる

その動作を行う場所として「所で」をとることがあります。動作によっては道具、手段を表す「もので」もとります。

   食堂で朝ごはんを食べます。

   新しいカメラで写真を撮ります。

もちろん、いくつかの動詞は他の型もとることができます。たとえば、「聞く」は「音楽を聞く」ならここですが、「人に/人から 聞く」場合は他の動詞型に入ります。「書く」も「紙に・黒板に 書く」とすると「所に ものを」ですし、「親に手紙を」だと「人に ものを」のグループに入ります。「呼ぶ」は「名前を呼ぶ」ならこのグループに入りますが、「学生を研究室に呼ぶ」は「所に 人を」のグループです。他の型になる動詞はその外にもありますが、この型がいちばん基本的な用法と考えられます。

最後の三つは、意味上「時」と関係の深いものです。「Nを終わる」は「Nを終える」の方が正式な感じがしますが、話しことばでは「終わる」の方がふつうなようです。なお、「終わる」は「Nが」だけでも使われる動詞で、つまり自動詞と他動詞の両方の用法がある、例外的な動詞です。

 「対象」についても、より細かい意味分類などは「6.補語のまとめ」で考えてみます。


4.3.7 NにNがV:存在文

この型をとる動詞の代表は「ある」と「いる」という二つの動詞です。この動詞を使って、物・人の存在を表わす文を特に「存在文」と呼びます。「存在文」は動詞文の中の下位分類とします。

   机の上に私の本があります。

   教室に学生たちがいます。

 この文型を特に他の動詞文型と分けて名前を付けるのは、次のような特徴によります。

まず、ふつうの動詞は主体の「が」が文の初めに来ますが、存在文では場所の「に」の後に来るのが安定した形です。「が」を「は」に替えて主題とすると、文頭に持っていったほうが落ち着きます。

   私の本は机の上にあります。

   学生たちは教室にいます。

他の動詞では、「が」も「は」も文頭に来ることが多いので、語順に注意を払う必要はありません。また、ふつうの動詞の例文には「は」を使っていてもあまり問題は起こらないのですが、存在文の場合は「が」を使ったほうが自然な場合が多く、どうしても「が」と「は」の違いを問題にしなければなりません。

もう一つ、ふつうの動詞と違う点は、「現在形」の形が現在の状態を表わすことです。習慣や未来を表わすのではないのです。そのような動詞はほかにもありますが、存在を表す動詞は、その中でも特に基本的なものです。

また、「いる」と「ある」の使い分けも特徴的なものです。この二つの動詞は意味は同じ「何かが存在する」ということなのですが、主体となるものが動物か、あるいはその他の物かで区別されます。このようなことは他の動詞では起こりません。

以上のようなわけで、日本語の教科書としては存在文を他の動詞文から分けて取り扱うことにしているのです。

語順の違いや状態動詞であることは、学習者にとってそれほど難しいことではありません。難しいのは、「は」と「が」の使い分け、そして「いる/ある」の使い分けです。

さて、「は」と「が」の違いは動詞文と同じで、「は」は主題、「が」は中立叙述が基本的な用法です。ある部屋に入って、机の上を見た時は、

   机の上に私の本があります。

のようにそのままの状態を叙述します。見たまま、特に頭の中で操作を加えていない表現です。

それに対して、頭の中にその本のことがあるか、あるいは話の中にすでにその本のことが出ていれば、

   私の本は机の上にあります。

となって、「私の本」について、「机の上にある」ことを述べるのです。この場合は、「本」がその情景の中から特に取り出されています。その本を中心にして、後の部分が、その本についての解説をつけ加えています。

また、「ところ」を表す補語にも「は」をつけることができます。頭の中で「あの部屋」を思い浮かべて、そこに本棚があるかどうかを考えると、

   あの部屋には本棚があります。

「あの部屋」と対照させて「この部屋」を考えれば、

   この部屋には本棚がありません。

となります。「Nが」だけでなく、「Nに」も「主題」になるのです。このことは「主題化」の問題としてまたとりあげます。(→「9.「は」について」)

場所と物についてのそれぞれの疑問文を考えると、

   私の本はどこにありますか。

   机の上には何がありますか。

となります。名詞文の所で述べた、「は」の後ろが言いたいこと・聞きたいこと、という原則に従っています。


[アルとイル]

次に、「ある」と「いる」の使い分けを考えます。その基本は、「動物」対「それ以外のもの」です。しかし、自力で動くとみなされるもの、電車やバスやエレベーターなどは「いる」を使う場合がよくあります。

   (ホームを駆け上がって)ああ、よかった。まだ電車がいました。

   エレベータは今どの辺にいるのかな?ああ、5階か。

 逆に、集団の中の特徴ある一部分、というような意味の場合は、人についても「ある」を使うことがあります。少し書きことば的です。

   学生の中には、図書館を昼寝の場と考えるものがある。

 次の「ございます」は、「います」ではなく、「あります」の尊敬語です。

   まだ疑問をお持ちの方はございませんか。

 この用法は、一人一人の個人が問題なのではなく、集団の中のある集団、というとらえ方をするために、「いる」を使わないですませるのだと考えられます。もちろん「いる」を使うこともできます。

 もう一つ、人に「ある」も使える場合があります。「所有・所属」を表すとされる場合です。(→「4.3.12 NはNがV」)

   彼は娘が二人あります。

「娘」は「金」と同じく「ある」ものなのです。「いる」も使えますが。

     

4.3.8 NがNをV:移動の場所・出発点

「を」というと、他動詞をすぐ思い浮かべますが、移動を表わす自動詞につく「を」もあります。

   1 道を渡ります。

   2 このバスは学校のまえを通ります。

   3 8時に家を出ます。

   4 駅前でバスを降ります。

 例1と2の「を」は通過する場所を表わし、例3と4では「そこから離れる」点(ここでは「出発点」と呼んでおきます)を示します。例3と4の「を」は、「から」とほぼ同じような意味になります。

   3’ 8時に家から出ます。

   4’ 駅前でバスから降ります。

けれども、これらの「Nから」の例は何となく落ち着きません。「家から出る」というと何か特別な事情があって、建物の中から外に出ることに意味があるような感じがします。それに対して「家を出る」の方は(いわゆる「家出」は別として)単にどこかへ行く・出かける、というだけの意味合いのようです。特にこの例の場合は時間が示されているので、「8時に家から出る」とすると、その時間にその特別な行動をとることに特に意味があるようです。

同様に「駅前でバスを降りる」のは、バスに乗っていてどこかで降りる、その降りる場所が駅前だ、という感じですが、「バスから」と言うと、特に「ヨッコラショ」とでも言いたくなるような、バスから離れることに何か意味があるような、そんな感じが(ほんの少しですが)します。

ただし、逆に次のような「到達点」を表わす「に」と対になった「から」は「を」では言えません。

   列車からホームに降りた。(×列車を)

まとめて言えば、出発点の「Nを」は動詞と一緒になって一つの動作を表している、と言えそうです。無色に、その行動そのものを表しているのです。


4.3.9 NがNにV:到着点・対象・変化の結果 

 ①場所の「Nに」をとる移動を表す動詞

   1 飛行機は5時に空港に着きます。

   2(学校から帰るとき)時々本屋によります。

   3 毎日会社に通います。

   4 毎日バスに乗ります。

   5 ゆうべ友達の家に泊りました。

   6 私はいつもこの椅子に座ります。

これらは「到着点」とでも言えるでしょうか。「来る」の「に」に近いものです。他の場所からそこに行き、そしてそこに何らかの形で「いる」ことを表します。人によって語感は多少違うでしょうが、例1から例3は「へ」でも言えそうです。

前にとりあげた移動の動詞は移動することそのものを表しているだけですが、ここでとりあげた「に」をとる動詞は、移動ということのある一部分に注目したり(着く)、その移動のしかたの特徴(よる、通う)に関心がある動詞です。 「乗る、泊まる、座る」は移動の動詞とは言いにくいかもしれませんが、これらの動詞は、移動した後の状態について述べていると見ることもできます。その点で、「働く」や「遊ぶ」などとは違いが感じられるでしょう。

移動を表す動詞は、「へ」や「に」や「を」だけでなく、出発点を表す「から」や終点を表す「まで」などと共に使うことができます。

   家から会社まで自転車で通います。

   毎日この道を会社へ通います。

 また、同じ「降りる」でも、「へ・に」などで「到着点」が示されるような場合は「を」は使えません。

   電車からホームにおりた。

「入る」などでは「経由点」の「から」をとることができます。

   この窓から中に入りました。

この「から」は、次の「から」とは違いを感じるでしょう。こちらは出発点です。

   外から中に入ります。

場所の「を」や「へ」を取る動詞は一つのグループとしてわかりやすいのですが、この「に」を取る動詞は、いろいろな種類があり、他の助詞とも混同しやすいもので、日本語学習者の間違えやすいものです。

 そのほかの動詞の「Nに」には、「対象」や「変化の結果」と言われるものがあります。(→「6.2.2 対象:Nに」「6.14 変化の結果:Nに」)


② 対象

 この本では、「Nを」と、ある種の「Nが」以外に、「Nに」の一部を「対象」とします。

    あの犬はいつも私に吠えます。

     私達はあのチームに勝ちました。

    日本の生活に慣れましたか。

    学生は先生の質問に答えます。

    私たちはその提案に反対/賛成 しました。

 

③変化の結果

 変化の結果を示す自動詞です。

     信号は赤になりました。

    雨は雪に変わりました。

    猿人が人類に進化しました。

「変わった結果」が「雪」なのです。

変化の動詞は「から」を取ることも多くあります。

    信号は赤から青になりました。

    雨から雪に変わりました。(天気は)

    サルからヒトに進化しました。

これらの自動詞に対応する他動詞は次でとりあげます。


4.3.10 NがNにNをV/NがNからNをV

「に・を」を取る動詞。大きく分けて、「人にものを」の動詞と「場所(もの)にものを」の動詞、それに「ものをものに」の動詞の三つのグループになります。この「Nに」はものが物理的・抽象的に移動する目的地を表します。その点で自動詞で見た「に」に近いものです。人の場合は「相手」という名前を付けることが多いです。

 ①「人に ものを」/「人から ものを」

   友達にプレゼントをあげました。

     先生は学生に日本語を教えます。

   田中さんに会の時間を伝えました。

   田中さんにお金を貸しました。

   家族に手紙を出しました。

この他に「貸す、渡す、(手紙を)書く、(電報を)打つ、見せる、話す、言う、はらう、売る」などもこの型になります。これらの動詞には、ちょうど反対の方向への物の動きを表わすような動詞があることが多いです。その場合、「から・を」の形になりますが、「に・を」で言えるものもあります。

   友達から/に プレゼントを貰いました。

   学生は先生から/に 日本語を習います。(教わります)

   山田さんから/に 会の時間を聞きました。

   山田さんから/に お金を借りました。

   家族から手紙を受け取りました。

他に、「買う、取る、盗む、奪う」なども「人から ものを」の型になります。この「人から」は「人の」で示されることも多いです。

   金持ちからお金を取りました。

   友達から自転車を買いました。

   山賊は旅人の持ち物を奪いました。


②「所/ものに ものを」/「所から ものを」

 物理的な物の移動を表す動詞です。

   荷物をいすの上にのせました。

   箱に本を入れます。

   本棚に本を戻します。

   スープに塩を加えます。

他には、「置く、かける、とめる、(壁に)はる、つける、(紙に)書く」などがあります。「スープ」などは「ものにものを」と考えてもいいのでしょう。「どこに/何に」のどちらの疑問語も使えます。「作文に題を付ける」なら「ものに」です。「子どもに名前を付ける」は、「人に」ですが、「もの」扱いしていると考えられます。

これらの動詞も、ちょうど反対の意味の動詞を持つことが多いです。「所からものを」の形になります。

   椅子のうえから荷物を降ろしました。

   箱から本を出します。

   本棚から本を取ります。

 「所から所にものを」の形になる動詞もあります。

   テーブルを部屋の真ん中から窓際へ動かします。

   住民票を田舎からここに移しました。

 これらに対応する自動詞は「動く、移る」ですが、これらはまさに「移動」の動詞です。「引っ越す」は対応する他動詞がありません。「家を引っ越す」とも言えます。

次のものは、ちょっとおもしろい性質をもっています。

   壁にペンキを塗りました。

   贈り物をふろしきに包みました。

これらは次のように言うこともできます。

   ペンキで壁を塗りました。

   ふろしきで贈り物を包みました。

 つまり、「所にものを」と「ものでものを」が同じような意味になります。


③「Nを(Nから)Nに」

 「変化の結果」の「Nに」の自動詞に対応する他動詞です。

    田中さんは娘を秘書にしました。

    私たちは佐藤さんを委員長に選びました。

    表紙の色を赤から白に変えました。

 「Nにする」は一つのまとまりで、分けられません。「×秘書に娘をした」と言えないことに注意。他の動詞は語順を変えられます。

 これらの文は、[[娘が秘書だ]する]のような構造を考える可能性があり、難しい議論のあるところでしょう。

 ここでついでに、少しちがった「NをNにV」の例をあげておきます。

   風景を写真にとりました。

   毎日の生活を作文に書きました。

 「×写真に風景をとった」とは言えません。「作文に毎日の生活を書いた」とは言えそうですが、「手紙に毎日の生活のことを書いた」とは少しちがうことに注意して下さい。上の例では、「毎日の生活」は「作文」の内容そのものです。「手紙」のほうは、その一部分です。「黒板に字を書いた」につながります。「作文」のほうは、「書いた結果」が作文になったのです。


4.3.11 Nが(Nを)Nと/に V

動詞が「Nと」を「とる」という場合、その「Nと」には2種類あるので注意しなければなりません。一つは必須の補語である「相互関係」の「Nと」ですが、もう一つはそうではありません。

   1 私は彼と映画を見ました。

   2 私は彼と会いました。

「会う」ためにはもう一人の人間が必要ですが、「映画を見る」のは一人でもかまいません。1の「と」は「と一緒に」とも言えますが、2はそう言えません(別の意味になります)。

   1’ 私は彼と一緒に映画を見ました。(1と同じ)

   2’ 私は彼と一緒に会いました。(誰か他の人と)

この2の「会う」のような動詞だけを「と」をとる動詞ということにします。

この「と」は、他の格助詞(ガ、ヲ、ニ、ヘ、など)とは違うところがあります。それは、次のような別の形があり、同じような意味を表すという点です。

   3a それはこれと違います。

    b それとこれは違います。

   4a 私は山田さんと駅で別れました。

    b 私と山田さんは駅で別れました。

   5a 道子は和夫と結婚しました。

    b 道子と和夫は結婚しました。

3・4のa,bの文は表わしている事態としては同じですが、それのどこに話の主題を持っていくかということで、違いがあります。また、5aは「道子」について、和夫と夫婦になったことを述べている文ですが、5bは「道子」と「和夫」の二人についてどうなったかを述べています。道子が結婚し、和夫も結婚したのですが、一組の夫婦になったのか、あるいは別々の相手と結婚したのかはこれだけではわかりません。二人は姉と弟かも知れません。5のa,bは二つの別々の事柄を表す可能性があります。

「AはBと」の「と」は格助詞ですが、「AとB」の「と」は並列助詞と呼ばれます。「名詞を並べる」ための助詞です。(→「5.9 並列助詞」)

 なお、1の文も、「私と彼は映画を見ました」とすると、ちょっと意味が変わります。「私は彼と」なら一緒に見ていますが、「私と彼は」だと別々に見たという可能性が出てきます。「仲間」と「並列」の違いです。

「Nと」と「Nを」をとる動詞、つまり「Nと」をとる他動詞の場合は、次のように「Nを」と合わせて「NとNを」とすることができます。

   6a 私は塩を砂糖と間違えました。

    b 私は塩と砂糖を間違えました。

   7a 私の机を妹の机と並べます。

    b 私の机と妹の机を並べます。

   8a 東京を北京と比較します。

    b 東京と北京を比較します。

「と」をとる動詞には、「と」の代わりに「に」をとるものも多くあります。「に」を使うと方向性が感じられます。

   9a 私はそのことを山田さんに話しました。

    b 私はそのことを山田さんと話しました。

「と」では「互いに」という意味になりますが、「に」にすると話すのは一人です。「相談する」も、「お互いに」か「アドバイスをもらう」かの違いが出てきます。

   10a 夫が妻に子供の教育について相談した。

    b 夫が妻と子供の教育について相談した。

そのほか、「混ぜる」などもこの違いが多少感じられます。方向の違い、そして分量の違いです。

   11 砂糖と/に 塩を混ぜます。

「会う」の場合はあまり違いがありません。

   12a 駅前で山田さんに会いました。

    b 駅前で山田さんと会いました。

この違いを、「と」は約束して会うのだが、「に」だと偶然会ったという意味になる、と説明する文法書がありますが、どうでしょうか。あるいは、大統領とか映画スターのような相手だったら、「こちらが会いに行く」のだから、「に」になりやすいとか。私にはあまり違いが感じられませんが。ただし、今も例に出したように、「会いに行く」(→「51.目的」)の場合は、かならず「に」になります。動きが一方向だからです。

   13 昔の恋人に会いに行きます。(×恋人と会いに行く:別の意味)

 次の二つの文も結局同じことを言っています。抽象的な動きの方向を考えるかどうかの違いです。

   14a 円をドルと替えました。

    b 円をドルに替えました。

   15a カーテンの色が壁の色とよく合っていますね。

    b カーテンの色が壁の色によく合っていますね。

 「壁の色」のほうが「動かないもの・基準」という気持でしょう。


4.3.12 NがNをNとV

「と」にはまた別の用法があります。

    みんなはその子を「たっくん」と呼びました。

    画家はその絵に「裏山の秋」と題を付けました。

    出発の日を15日と決めました。

引用(→「58.引用」)の「と」につながる使い方です。言語活動に関係する動詞と共に使われます。また一方、「決める」の例では 4.3.10③の「Nに」に近いところもあります。

    私たちのグループは集合場所をここにしました/決めました。


4.3.13 NはNがV:対象

「Nが」はふつう主体を表すために使われますが、いくつかの述語の場合はその述語の意味内容の「対象」を表します。動詞の例では次のようなものがあります。

   1 私は中国語が少しわかります。

   2 彼はタイ語ができます。

   3 私はその音が聞こえませんでした。

   4 彼は子供が3人あります。

1、2の例の「わかる」「できる」の「Nが」は主体ではありません。主体は「Nは」の「わたし」や「彼」です。そして、この「Nが」を含む文の主体は「Nが」ではなく「Nは」になるのが普通です。つまり、前に名詞文や形容詞文のところで触れた「ハ・ガ文」になります。この点で、「Nが」と「Nは」が半々の一般の動詞文とは性格が違います。

 もう一つ、これらの動詞に共通していることは、どれも基本形が現在の状態を表わす状態動詞だということです。1や2は「私」や「彼」の(能力という一つの)状態を述べています。

例3は「私」の今の状態を表わしていますが、また一方、これは「その音」について語っているということもできます。この「その音」が大きくなって、

         5 (今は)その音が聞こえます。

とすると、いかにも音が「聞こえる」という状態にある、とでも言えるでしょう。つまり、感覚の対象だったものが、そのもの自体の性質を述べる文の主体になっています。

「見える」も同じ性質の動詞です。

   6 あの看板が見えますか。

というと、「あなた」の状態でもあり、「看板」の状態でもあります。さらに

          7 この窓から富士山が見えます。

とすると、これは「私たち」の状態というより、「富士山」それ自体の状態というしかないでしょう。

 このように、「見える」や「聞こえる」は主体(人間)の状態と同時に対象(もの)の状態を示すことができ、ある場合には「対象」が、ある状態の「主体」である(例7)ようなことにもなります。

例4の「ある」は、存在文のところで述べた「いる」「ある」の使い分けに反する例になります。この場合、「子供がある」だけでは意味をなしません。やはり「彼」が必要です。

 では、この場合「ある」の「主体」は「彼」と「子供」のどちらと考えたらよいでしょうか。どちらともはっきりはきめかねます。

   8 彼は子どもがいます。

だったら、「子ども」が主体で、「彼」は存在の場所でしょうか。

 上で、「わかる」「できる」の主体は「Nは」だと述べましたが、次の例では「Nには」になっています。

   9 彼にはこの問題はわかりません/できません。

「この問題は」の「は」は、「が」が「は」になったものです。「9.「は」について」で説明するので、ここでは述べません。

 「彼には」の「Nに」は何でしょうか。同じように、「ある」でも「に」が現れます。「聞こえる」「見える」などでも同様です。

   10 彼には子どもはありません。

   11 私にはそれが聞こえましたが、彼には聞こえなかったようです。

 以上のような、能力・所有などを表す動詞とともに使われる「Nに」があります。主体、あるいは所有者とすることも考えられますが、「抽象的な場所」としておきます。多くの場合、「NはNが」の「ハ・ガ文」になってしまうので、「Nに」は現れません。

 そしてまた一方で、次のような例もあります。

   12 この中で、誰が英語ができますか。

 ちょっとぎこちない言い方ですが、「?誰に英語が~」よりはずっと文法的な日本語です。ここでは「Nが」です。

 結局、これらの動詞では、「NにNがV」と「NがNがV」の二つの形があり、場合により揺れている状態だ、ということになります。


4.4 動詞文型のまとめと補足

4.4.1 動詞文型表

ここで今までに見てきた文型を振り返ってみましょう。(「人」は人がよく主体として使われる場合で、「もの」の例もあります。逆に「もの」の中に「人」が含まれる場合もあります。)

 1 人/ものガ V (時ニ) 起きる・始まる

   単純な自動詞 時や所など他の補語があることが多い

 2 人ガ 所へ/ニ V (所カラ、所マデ) 行く・来る

   移動の自動詞 

 3 人ガ ものヲ V 食べる・する

   基本的な他動詞 数が多い

 4 所ニ ものガ V ある・いる

   存在文 「は」と「が」の使い分けが不可欠

 5 人ガ 所ヲ V (所カラ、所ニ) 通る・出る

   通過・出発などの自動詞  

 6 人ガ 所ニ V (所カラ) 入る・すわる

   移動を表す自動詞 

 7 人ガ ものニ V 勝つ・答える

   対象の「Nに」をとる自動詞

 8 ものガ ものニ V (ものカラ) なる・変わる

   変化の「Nに」をとる自動詞

 9 人ガ 人ニ ものヲ V 教える・見せる

   相手と対象をとる他動詞

 10 人ガ 人ニ/カラ ものヲ V もらう・借りる

   9と反対方向の動きの他動詞

 11 人ガ 人カラ ものヲ V 買う、盗む

   9と反対方向 「Nに」はとれない

 12 人ガ 所ニ ものヲ V (所カラ) 置く・入れる

   物の移動を表す他動詞

 13 人ガ 所カラ ものヲ V (所ニ) 取る・出す

   11と反対方向の動き

 14 人ガ ものヲ ものニ V する・変える

   7に対応する他動詞

 15 人ガ 人ト V 結婚する・ぶつかる

   相互関係を表す 「NとNが」にもなる

 16 人ガ ものヲ ものト V 並べる・間違える

   15に対応する他動詞

 17 人ガ 人ト/ニ (ものヲ) V 話す・会う・混ぜる

   相互関係・方向性がありうる動詞

 18 人ガ ものヲ ものト V 呼ぶ・決める

   言語活動・精神活動の動詞 

 19 人ハ Nガ V わかる・ある

   能力・所有などを表す動詞 「ハ・ガ文」

もちろん日本語の動詞型はこれだけではありませんし、これらの文型もくわしく調べるとさまざまな微妙な問題を含んでいます。その一部は「6.補語のまとめ」でもう一度考えてみます。動詞文型については、これまでに多くの研究があるので、それらをぜひ読んでみて下さい。ここではほんの入り口をのぞいてみたにすぎません。

次に、これまで見て来た「補語の型」ということとはちょっと違った観点から、ある特徴を持った動詞についてみてみることにしましょう。


4.4.2 やりもらい動詞

日本語の動詞の中には、「やりもらい動詞(授受動詞)」と呼ばれる独特の性質をもった動詞のグループがあります。それは、次にあげるような動詞です。

   あげる・やる・さしあげる 

   くれる・くださる

   もらう・いただく

これらの動詞がどんな点で独特なのかを、少しずつ見ていきましょう。


[基本的な使用制限]

まず、「あげる」から。例文を見てください。

   私はあなたに本をあげましたね。

   私は彼に本をあげました。

   ×あなたは私に本をあげました。

   あなたは彼に本をあげましたか。

   ×彼は私に本をあげました。

   ?彼はあなたに本をあげましたか。

   彼は彼女に本をあげました。

「あげる」には使用上の制限があります。「私があなたにあげる」のはいいのですが、「あなたが私にあげる」、というと何か変です。というより、ふつうはそう言いません。上の例文の「あげる」を、例えば「渡す」に換えてみると、このような制限はほとんどありません。この奇妙な制限は何でしょうか。

次に、「くれる」を考えてみましょう。同じような例文で。

   ×私はあなたに本をくれましたね。

   ×私は彼に本をくれました。

   あなたは私に本をくれました。

   ×あなたは彼に本をくれましたか。

   彼は私に本をくれました。

   彼はあなたに本をくれましたか。

   ?彼は彼女に本をくれました。(「彼女」が話し手に非常に近い場合は言える)

どうですか。ちょうど「あげる」と裏返しというか、補い合う関係にあることがわかります。次に、「もらう」の例文。

   私はあなたに本をもらいましたね。

   私は彼に本をもらいました。

   ×あなたは私に本をもらいました。

   あなたは彼に本をもらいましたか。

   ×彼は私に本をもらいました。

   ×彼はあなたに本をもらいましたか。

   彼は彼女に本をもらいました。

「もらう」の場合は、モノが移動する方向が「あげる」の反対になります。

   私は彼に本をあげました。 (私が → 彼に)

   私は彼に本をもらいました。 (私が ← 彼に)

「あげる」の場合は「Nが」から「Nに」にモノが動きますが、「もらう」では「Nに」から「Nが」へ動きます。使用制限は「あげる」に似ています。


[人称という考え方]

英語の文法で「人称」という用語があったのを覚えていますか。「3人称単数現在の-s」というときの「人称」です。I,you, he などを「人称代名詞」と言い、

   I   ・・・・話し手を表わす 1人称   

   you   ・・・・聞き手を表わす 2人称

   he など ・・・・それ以外を表わす  3人称

という名前を付けます。

この人称という考え方はヨーロッパ語の文法では重要なものです。動詞の変化の説明に必要だからです。英語ではそれほどでもありませんが。日本語の動詞の変化は基本的には人称と関係がありませんが、文法のなかで人称の概念は時々有効です。上の「あげる・くれる・もらう」の例を、人称の考え方を使って図式にまとめると次のようになります。

   あげる     私→あなた→彼  彼→彼女  1→2→3  3→3

         私→ 彼 1→ 3

   くれる     私←あなた←彼  1←2←3

         私← 彼  1← 3

   もらう   私←あなた←彼   彼←彼女  1←2←3  3←3

         私← 彼  1← 3

「あげる」では「私」から遠い方へ、人称の数字が大きくなる方へモノが動きます。「くれる」と「もらう」では、「あげる」と反対方向です。ただし、「もらう」では「Nが」が受け取る側の人になることが、「あげる」とは違う点です。「あげる・もらう」の3人称同士の場合は、話の流れの中でどちらの話をしているかによって、「Nが」と「Nに」になる名詞が決まります。「くれる」は3人称同士の場合は、あまり使いません。(例外については後で触れます)


[やりもらいの敬語動詞]

いちばん初めにあげたリストの中で、上の例に出さなかった動詞は、丁寧さが違うものです。「差し上げる」「下さる」「いただく」は目上の人に関して使います。この使い方は一般的な「敬語」の使い方と同じです。「やる」は反対に目下の場合ですが、今では弟などにたいしても「あげる」を使うことのほうが多いでしょう。動物や植物(水を)に対してさえ、「あげる」を使う人が多くなってきたようです。(敬語については「29.敬語」を見て下さい)

   先生に誕生日のプレゼントをさしあげました。

   先生が誕生日のプレゼントをくださいました。

   先生に誕生日のプレゼントをいただきました。

   弟に誕生日のプレゼントをやりました。

この使い分けは、敬語と同じように男女差にも大きく影響されます。

なお、「くださる」は例外的な活用形のある動詞で、「-ます」の形は「くださります」ではなく、「くださいます」になり、命令形は「ください」です。初級教科書の買い物の場面でよく使われる形です。

   りんごをください。


[1人称扱い]

さて、「私・あなた・彼」では以上のようになりますが、「私の弟」や「あなたの奥さん」のような家族が出てくると、話がまた違います。次の例を見てください。

   弟はあなたに何かあげましたか。

   昨日、妹に何かくれましたか。

人称の考え方から言うと「私の弟」などは3人称ですが、2人称の「あなた」に対して、「あげる」の「Nが」になったり、「くれる」の「Nに」になったり、ちょうど1人称のように振る舞います。言い換えると、「私の弟」など家族を表わす言葉は「私」と同じ扱いになります。これは、よく言われる「ウチ・ソト」の考え方の表われでしょう。

この考え方は2人称にも応用されます。

   山田先生はあなたの奥さんにも何かくださいましたか。

この例の「あなたの奥さん」は形から言うと3人称で、前に述べた「くれる」の使い方の図式の中になかった「3人称→3人称」の授受になります。しかし、「私の弟」を1人称扱いしたように、「あなたの奥さん」は「あなた」のグループの一員として、2人称並みに考えます。すると、「3人称→2人称」という一般的な規則の例となります。


[目上に対して]

 さて、以上がやりもらい動詞の基本的な使い方ですが、話し手自身が主体で相手が目上の場合は注意が必要です。

     先生、この写真をあげます。

    先生、この写真を差し上げます。

という言い方は、目上である相手「先生」に対して、「恩恵を施す」という意味合いになってしまい、ちょっとひっかかります。これは、やりもらい動詞が補助動詞となった「V-てあげる/さしあげる」の場合にもっと強い制限となるので、初めて出てきた時から学習者に注意しておくほうがいいでしょう。

では、どう言えばいいかというと、難しいところですが、「どうぞお受け取りください」ではかしこまりすぎですし。


4.4.3 自動詞と他動詞の対

これまで自動詞と他動詞の補語の型をいろいろ見てきましたが、そのなかで自動詞と他動詞の形と意味に共通性のあるものが多くありました。例えば、次のようなものです。

    窓が開く     (人が)窓を開ける

   ドアが閉まる    ドアを閉める

    電気がつく       電気をつける

     電気が消える      電気を消す

     煙が出る      煙を出す

     風が入る      風を入れる

    値段が上がる     値段を上げる 

    コップが落ちる     コップを落とす

一般的に言うと、ある名詞に対してそれを主体とする自動詞「NがV」と、それを対象とし、ふつうは人を主体とした他動詞「人がNをV」の対があり、その形に関連が見られるのです。

このような組み合わせは非常に多く、形の対応の面でも型が見られます。そして、このような自他の対応を持たない言語、つまり、一つの動詞が自他どちらにも使えたり、あるいはまったく別の形の動詞が意味的に対応しているだけだったりというような言語が母語の日本語学習者は、この使い分けに非常に苦労します。この問題は、初級の後半から中級にかけての学習者にとって一つの難所になります。

さて、意味の面から見ると、上の例からわかるように自動詞は多くが主体が何らかの変化をすることを表わし、他動詞は人がその変化を起こさせることを表わすのがふつうです。ですから他動詞は意志動詞です。自動詞のほうは、上の例ではみな非意志動詞ですが、人の動作なら意志的なものもあります。

   客が中に入る    主人が客を中に入れる

日本語学習者にとっては、例えば次のような例がわかりにくいようです。

   「なかなか開きませんねえ。あ、開きました。」

   (荷物をカバンに押し込んで)「やっとぜんぶ入りました。」

人が一生懸命「開け」ようとしたり、「入れ」ようとしたりしているのですが、動詞としては自動詞の「開く」「入る」を使っていて、まるで自然に起こることのようです。人が動作の主体となった、

    なかなか開けられません。

    なかなか入れられません。

のような表現との使い分けが難しいところです。

         (子どもがコップを手に持って遊んでいて)

   「あ、コップが落ちて、割れちゃった。」

親から見れば「子どもがコップを落とし、割ってしまった」のでしょうが、子どもの気持ちからすれば、自分の意志的行為ではないので、「コップが自然に落ちて割れた」と言いたいところなのでしょう。

「風が木の葉を落とした」よりも、「風で木の葉が落ちた」と言いますし、「ドアを押して開けた」と言うのと「ドアを押したら開いた」という表現との違い、使い分けは重要です。


[形の対応の型]

まず、これらの自他の対応を形の面から整理してみます。学習者にとっても、これらを対にして覚えた方がいいわけですが、形の対応が複雑で覚えやすくないのが(教える教師にとっても)悩みの種です。

対応の型として多いものは、自動詞が「-る」で他動詞が「-す」のものです。(動詞の活用の型については「21.活用について」を見て下さい。)

  1.. まわる まわす    どちらも五段動詞 [r-u : s-u ]

  2. たおれ-る たおす  自は一段、他は五段 [re-ru : s-u ]

  3. さめ-る さます    〃 〃 [e-ru : as-u]

  4. いき-る いかす    〃 〃 [i-ru : as-u]

  5. おち-る おとす    〃 〃 [i-ru : os-u]

自動詞が「-る」ではないけれど、他動詞が「-す」のもの。

  6. とぶ とばす [ -u : as-u]

  7. ほろぶ   ほろぼす   [ -u : os-u]

このような対応ばかりなら、覚えやすく、見分けやすくていいのですが、そうもいきません。次の対応に所属する語の数がかなり多いのです。

  8. あたる あて-る     自は五段、他は一段 [ar-u : e-ru]

  9. あく あけ-る       〃 〃 [ -u : e-ru]

  10. やけ-る  やく   自は一段 他は五段 [e-ru : -u ]

  11. ささる   さす    どちらも五段    [ar-u : -u ]

ここで困るのは他動詞のほうが「-eru 」「-u」の形になることです。これでは上のグループの自動詞と区別が付きません。というわけで、動詞の形、活用の型からある動詞が自動詞か他動詞かを言い当てることはできませんから、自動詞と他動詞を対にして一つ一つ覚えておかなければなりません。

以上の対応の型は、それにあてはまる語の多いものです。以上の対応の例をもう少しあげておきます。

 1.[r-u : s-u ]

   うつる・うつす  おこる・おこす  かえる・かえす

   ころがる・ころがす  とおる・とおす  なおる・なおす

    のこる・のこす  まわる・まわす  もどる・もどす

 2.[re-ru : s-u ]

   よごれる・よごす   ながれる・ながす   たおれる・たおす

   はなれる・はなす

 3.[e-ru : as-u]

   あれる・あらす  おくれる・おくらす  かれる・からす

     さめる・さます  でる・だす  なれる・ならす

   にげる・にがす   ぬれる・ぬらす   まける・まかす

 (-yasu)

   たえる・たやす  はえる・はやす  ひえる・ひやす

   ふえる・ふやす  もえる・もやす

 4.[i-ru : as-u]

   のびる・のばす  いきる・いかす

 5.[i-ru : os-u]

   おきる・おこす   おりる・おろす  おちる・おとす

 6.[ -u : as-u]

   うごく・うごかす  かわく・かわかす   きく・きかす(利)

   へる・へらす わく・わかす  とぶ・とばす

 7.[ -u : os-u]

   およぶ・およぼす  ほろぶ・ほろぼす 

 8.[ar-u : e-ru]

   あたる・あてる   あがる・あげる  おわる・おえる

   かかる・かける   かたまる・かためる   きまる・きめる

   さがる・さげる   たかまる・たかめる   まざる・まぜる

   うかる・うける  ぶつかる・ぶつける  あつまる・あつめる

   とまる・とめる  まがる・まげる  かわる・かえる

 9.[ -u : e-ru]

   あく・あける  かたむく・かたむける  たつ・たてる

    つく・つける  つづく・つづける   とどく・とどける

    むく・むける  うかぶ・うかべる  したがう・したがえる

 10.[e-ru : -u ]

   きれる・きる  おれる・おる  ぬける・ぬく

   ぬげる・ぬぐ  くだける・くだく  とける・とく

   やぶれる・やぶる

 11.[ar-u : -u ]

   つながる・つなぐ  はさまる・はさむ  ふさがる・ふさぐ

   ささる・さす  くるまる・くるむ  つかまる・つかむ


 こういう形態の対応は、個別的なもので、以上の型に入らない対が多くあります。「その他」です。いくつか例をあげます。

     合う・合わせる      

     のる・のせる       

     煮える・煮る       

     尽きる・尽くす      

     つかまる・つかまえる

     うまれる・うむ

     こもる・こめる  

     消える・消す        

     入る・入れる


この自他の対は、複合述語のなかの「アスペクト」の問題として、「窓が開いている:窓が開けてある」の使い分けのところでも問題になります。その基本としても、まず自他の対をしっかり理解しておくことが必要です。

また、自動詞は「受身」や「可能」「自発」などと、他動詞は「使役」と関連があるので、それらを扱ったあとでまたこの自他の対立の問題を振り返ってみたいと思います。(→「アスペクト」「ボイス」)


[「自:自」「他:他」の形の対応]

 以上は「自他」の対でしたが、同じような形の対応が、「自:自」「他:他」でもあります。例えば、

     ちぢむ・ちぢまる     からむ・からまる

     ゆるむ・ゆるまる

は、どちらも自動詞で同じような意味を表しますが、形の対応がいかにも上の自他の対応に似ています。他動詞としては、それぞれ「ちぢめる」「からめる」「ゆるめる」があり、上の対応の型の一つに入ります。

     ほろぶ・ほろびる(他は「ほろぼす」)

     まざる・まじる (他は「まぜる」)

も同じような自動詞の組です。

他動詞と他動詞の組の例。けっこう多くあります。

     つなぐ・つなげる(自は「つながる」)

     とく・とかす  (自は「とける」)

     やぶる・やぶく (自は「やぶれる」)

     おどす・おどかす(自は「おどろく」)

     ちらす・ちらかす(自は「ちる」)

     見る・見せる  (自は「見える」)

     着る・着せる  

     浴びる・浴びせる

     かぶる・かぶせる

     あずかる・あずける

     さずかる・さずける

     教わる・教える  

     越える・越す

 以上の「着る」から「教わる」までの例は、左側の動詞が自動詞に近い感じがします。それは、右側の動詞を受け身にすると、左側の動詞の意味に近くなるからです。(着せる→着せられる→着る)

 「越える・越す」は「Nを」が場所を表すので、自動詞とするかどうか判断に迷うところです。     


4.4.4 「する」と「なる」

 「する」と「なる」は形の上の対応はありませんが、意味的に自他の対立をしている動詞です。前にも見たように、次のような対応になります。

     色が青になりました。

     色を青にしました。

     娘が政治家になりました。

     娘を秘書にしました。

 さて、この補語の位置に形容詞を入れることができます。

     お湯が熱くなる      お湯を熱くする

     パーティーが楽しくなる  パーティーを楽しくする

     部屋がきれいになる    部屋をきれいにする

 「熱くなる」とは、「熱くない」状態から「熱い」状態への自然に起こる変化です。「部屋をきれいにする」は意志的な動作で、その後の状態が「部屋がきれいだ」です。この「熱く」「きれいに」は、まさに述語相当の意味を持っています。「なる・する」と接続するために、形容詞の形はそれぞれ中立形になっています。(「中立形」については「21.活用・活用形」を見て下さい)

 これらは、第二部で扱う「複合述語」とも考えられますが、それほど難しくもなく、初級教科書で比較的早く出される文型です。


4.4.5 「-まる/める」など

 「なる」はもともとは意志動詞でもありうるのですが、この「形容詞+なる」の形では、他動詞「する」に対応する無意志の自動詞となっています。

 「する」は、上の形では意志的な他動詞の代表になっていますが、無意志の自動詞の用法もあります。内的な感覚の名詞の「Nが」をとります。

     (私は)頭痛がする   吐き気がする

 「気がする」「感じがする」などは、節を受けて複文を作ります。

     あれでは無理だろうという気がした。

     少し大きすぎるという感じがする。

 それと、「擬態語+する」。

     はっとする   びっくりする   ぶらぶらする

 「丸くなる/する」とほぼ同じ意味で「丸まる/丸める」という動詞があります。この「-まる/める」という形は比較的多くのイ形容詞に対応する動詞を形作ります。

     高まる/高める   広まる/広める   深まる/深める

     早まる/早める   弱まる/弱める   強まる/強める

     薄まる/薄める   固まる/固める

 ただし、「広い」に関しては「広がる/広げる」という形もあり、面積に関してはこちらが使われます。「広まる」のほうはニュース・うわさなどに使われます。

 また、「高まる/高める」は、値段や建物の高さには使えず、「期待が高まる」などの抽象的な意味に限られます。文法的な形と、意味とは必ずしも並行していないので、意味については個別的に見ておかなければなりません。

 「苦しい」に関しては「苦しむ/苦しめる」という動詞があります。「ゆるい」の「ゆるむ/ゆるめる」も同じ型です(「ゆるまる」という自動詞もあります)。「痛む/痛める」では、「腰を痛める」のような表現になり、典型的な他動詞とは言いにくくなります(再帰的用法)。

 「暖かい」では、「か」が落ちた「暖まる/暖める」の形になります。

 語彙の問題は個別的な場合が多いです。「広い」の対義語の「せまい」は、「せばまる/せばめる」という形が対応します。「長い」の「長くなる/する」と意味が近いのは、「のびる/のばす」です。「遅くなる/する」は「遅れる/遅らす」に近いでしょう。「太る」は「太くなる」とはずいぶん違います。


4.4.6 スル動詞

「スル動詞」というのは、次のようなものです。

   勉強する・結婚する・卒業する・出発する

   愛する・恋する・熱する・損する

   パスする・トライする・イメージする

   びっくりする・ぐらぐらする

これらは皆「+する」の形の不規則変化の動詞です。「愛する」はまた例外的なナイ形になるものです。(→21.1.5)

 スル動詞もそれぞれ補語をとり、自動詞と他動詞があります。自他両用に使われる、言い換えれば自他が未分化なものも多くあります。

「勉強する」のような「名詞+する」の形のものはちょっと使い方が複雑です。というのは、「勉強をする」の形もあるからです。「を」があるかないかで意味に違いがある例は少ないのですが、使い方は違ってきます。

「勉強する」は全体で一つの動詞になっています。そして、「を」の名詞をとることができます。

    日本語を勉強します。

 それに対して「勉強をする」の「勉強」は名詞です。勉強の内容は「名詞+の」で表わされます。「を」が二つあってはいけません。

    日本語の勉強をします。

    ×日本語を勉強をします。

どちらにしてもほぼ同じことを言っているわけで、このような二つの言い方があることは、学習者としては迷惑な話ですが、しかたがありません。

    大学では言語学を専攻しました。

    ×大学では言語学の専攻をしました。

 どういう名詞が「Nする/Nをする」の両方の形をとれるのか、また「NのNをする」の形も言えるのかは、よくわかりません。「意志性」の強さの問題だとする研究もありますが、「専攻する」は意志動詞で「×専攻をする」とは言いませんから例外になります。

 「損する」は「損をする」とも言えますが、「熱する」は「×熱をする」とは言えません。そこで、修飾のしかたに違いが出ます。

     大きく 損する/損をする   大きな損をする

     強く 熱する/×熱をする   ×大きな熱をする

「愛する」と「恋する」も同じような違いがあります。

     人を愛する   深く愛する

     人を恋する   激しい恋をする

「大人の愛」とは言いますが、「×大人の愛をする」とは言えません。「大人の恋をする」です。「愛」と「恋」とがどう違うかは難しい問題ですが。

 「びっくりする」などは「×びっくりをする」の形はありません。「びっくり」は名詞ではありませんから。「ぞっとする」などはかならず「と」が必要です。(→「12.擬音語・擬態語」)


niwa saburoo の日本語文法概説

日本語教育のための文法を記述したものです。 以前は、Yahoo geocities で公開していたのですが、こちらに引っ越してきました。 1990年代に書いたものなので、内容は古くなっていますが、お役に立てれば幸いです。

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