4.5 場所を表すNデ
4.5.1 所デ 4.5.2 所デと所ニ 4.5.3 二重のデ 4.5.4 所デと所ヲ
4.6 時を表す助詞
4.6.1 時ニ 4.6.2 時カラ・時マデ 4.6.3 時マデニ 4.6.4 時デ
4.6.5 期間+ニ、デ
4.7 否定と疑問
4.7.1 否定 4.7.2 疑問
4.8 動詞文の修飾語
4.5 場所を表わす「Nで」
上の動詞文型のまとめの中で「所」をとるグループがいくつかありました。そこで使われた助詞は「に・へ・を」ですが、場所を表わすもっとも一般的な助詞は「で」です。
ある動作には必ずその動作の起こる場所と時間がついてまわります。表現が少しおおげさになりますが、我々が存在するということは、この3次元空間の中で、時間の流れの中のある一点、あるいはある幅の中のことですから、例えば「本を読む」という現実の具体的な行為があれば、「イツ、ドコデ」それが起こったのかということを問うことができます。
ですから、この二つの成分は多くの動詞文について共通のものです。逆に言うと、動詞文の様々な型を区別するのにはあまり役立ちません。
これまで、様々な動詞型を見てきた中で、「所に」「所へ」「所を」などと動詞の関係を見てきました。次に、上の「ドコデ」の「で」について考えてみましょう。
4.5.1 「所デ」
「動作の場所」を示すもっとも一般的な助詞は「デ」です。場所を表わす助詞は他にもありますが、それらは動詞の意味が特に場所と関係があるような種類の動詞のときに使われ、デはそうでない場合に使われるという違いがあります。
1 私は部屋で本を読みました。
2 彼は学校へ行きました。
3 兄は机の上に本を載せました。
4 列車は大きな川を渡りました。
例2で、「彼は行きました」というと、どうも何か足りないような感じがします。「どこへ?」と聞きたくなります。あるいは、何か前提、または文脈があって、どこへ行くかは分かっているのだ、という気がします。しかし、例1で「私は本を読みました」とだけ言っても、「どこで?」という質問は特に浮かばないでしょう。聞きたくなるのはむしろ「どんな本?」ということでしょう。
例3で「兄は本を載せました」だけでは、やはり「どこに?」が気になります。(こういう直感は人によって多少違い、このような説明では不十分なのですが、とりあえずはこの程度で話をさきに進めることにします。)
例4の「汽車は渡りました」となると、何か足りない、と感じる人が多いのではないでしょうか。
このように「へ」や「に」、「を」の場合は、動詞が必要とする要素としての場所を表わすのに対して、「で」は、その動作が行なわれる、いわば舞台としての場所を設定するのに使われます。ですから、「へ・に・を」の場合は動詞型の一部として取り上げられるのに対して、「で」は特に注目されません。
逆に言うと、「で」は非常に多くの動詞とともに使うことができますが、他の助詞は共に使う動詞が限られています。
しかし、そうだからといって、「で」で示される場所が重要ではないという意味ではありません。ここが文法を考える際の難しいところで、文の構造として、ある動詞に必須の要素であることと、実際の言語活動、つまり実際に使うときに、いちばん言いたいことは何かということは別なのです。(それが、上のような例文の語感調査をする時に、大きな問題になります。)
例えば、「部屋で本を読んだ」という場合に、言いたかったことは「(図書館でなく)部屋で本を読んだ」ということだったかもしれないからです。ある文の表現の中心がどこにあるかということは、その文だけを見ても分かりません。前後の文脈、話の流れの中で決まることなのです。
もう少し「所で」の例文をあげておきましょう。
向こうで少し休みましょう。
部屋で数学の問題を考えていました。
頭の中で何かがひらめいた。
山の上のほうではずいぶん雪が降りました。
日本ではそのような社会問題はまだ起こっていません。
このように一般の動作・現象の多くが「所で」をとりうるのですが、もちろんどんな動詞文にでも使えるわけではなくて、使えないものも多くあります。
「所で」をとらない例として考えられるのは、「私は彼女を愛している」「私は神を信ずる」のような場所に限定されない感情や思想を表す動詞などです。
また、「6を2で割ると3になる」「海水は塩分を含む」「地球は太陽の回りを回る」などの数学や自然界の真理も「所で」とは関係ありません。
デは動詞文だけでなく、形容詞文や名詞文にも使われるのですが、
日本では物価がとても高いです。
日本では富士山がいちばん高い山です。
私のクラスでは女子学生が全体の80%です。
数学では幾何が好きでした。
果物(の中)ではみかんがいちばん好きです。
この花はこの中でいちばんきれいです。
などの例では、具体的な「場所」から少しずつ離れてきて、後のほうの例では「場所」とは言いにくくなってきます。このような「で」は「範囲」を示す、と言われます。(判断が行なわれる「抽象的な場所」とも言えるでしょう)
4.5.2 所デと所ニ
さて、場所を表わす助詞の中で、特に「で」と「に」の使い分けがよく問題になります。いくつか代表的な例を並べましょう。
会社で働く 会社に勤める
庭で花を植える 庭に花を植える
ホームで吸い殻を捨てる ホームに吸い殻を捨てる
ベッドで寝ている ベッドに寝ている
いすで寝た いすに寝た
「で」は「動作をする場所」で、最後の例もベッドやいすが「寝る」という動作の行われる場所を表しています。それに対して「に」が示すのは、「移動の目的地」や「存在の場所」です。ですから、上の例でも「に」の場合はその動作をしたあとで主体や対象が存在する場所を示します。「庭に花を植える」と、そのあと花は庭に存在します。そのことは「庭で植木鉢に花を植える」という例を考えるとはっきりします。その場合、動作をする場所は「庭」で、花のある場所が「植木鉢」です。
このように、「で」と「に」が一つの文の中で両方とも使われることもあります。その場合「所で」は、「所に+動詞」全体を一つの動作と考えて、それが行なわれる(広い)場所を表わす、と考えられます。「場所」を表わす補語が一つの文に二つあるのはおかしいと考える立場では、このデは「範囲」を表わすと考えます。
大阪では下宿していたが、東京では寮に住んだ。
「吸い殻」の例では、「ごみ箱に吸い殻を捨てる」を「ごみ箱で」にした場合、どんな意味になるか考えてみて下さい。「ベッドに寝る」の例では、「で」とほとんど同じになりますが、どこか他のところからベッドに行って、寝る、という意味合いがほんの少しあります。「デ寝る」の場合、「ベッドに座っていたらそのまま眠ってしまった」ということもありえます。「いす」の場合、「いすで寝る」ではついうとうとと、「いすに寝る」の場合は初めから寝るつもりでソファーなどに、という違いがあると言ったら言いすぎでしょうか。
「生れる」はふつう「所デ」ですが、少し古めかしい言い方(書き言葉)では「所ニ」をとります。「東京に生まれ、育った私」などの例です。
同じような例に「欧州に遊ぶ(旅行する・留学する、の意)」があります。
4.5.3 二重の「で」
上で、「で」と「に」が両方出てくる場合を見ましたが、同じようなことが二つの「で」にも起こります。
東京では現場で働いていたが、大阪ではデスクワークだった。
私の国ではみんな外で遊びますが、日本では部屋の中で遊びます。
こういう「では」(「~で~で」とはなりにくいようです)は、範囲の「で」と考えて、場所の「で」とは違うものだとするか、いっそ「では」で一つのことばとして扱うか、難しいところです。(→「6.6 範囲」)
4.5.4 所デと所ヲ
もう一つよく問題になるものに、「所デ」と「所ヲ」の違いがあります。「所を」は「通過する場所、離れる場所」を表わすものですが、「通過する場所」がすなわち「動作の行なわれる場所」であるような動作の場合、区別が難しくなってきます。(→「4.3.8 NがNをV」)
公園を散歩する ?公園で散歩する
道路を走る ?道路で走る
運動場を走る 運動場で走る
?川を泳ぐ 川で泳ぐ
?海を泳ぐ 海で泳ぐ
プールを横に泳ぐ プールで横に泳ぐ
空を飛ぶ ?空で飛ぶ
角を曲がる 角で曲がる(あの~)
それぞれの不自然さの判断は人によって違うようです。「?」を付けたものも、ひどく変だということではありません。「曲がる」の場合、
50m先で角を右に曲がる
という言い方もできます。
4.6 時を表わす助詞
時を表わす補語も、動詞の分類に関わります。しかし、その違いは動詞の意味を考えれば予想がつくことなので、「助詞と動詞の組み合わせ」(会社デ働く/会社ニ勤める、のような)の使い方の間違いは少ないようです。ただし、「2時まで読む、2時までに読む」のような二つの言い方を正確に使い分けることは難しいことです。
4.6.1 「時ニ」
時を表わす助詞の代表は「に」です。ある動作が行なわれるその「時」を表わすのは「時の名詞+に」です。
毎朝7時に起きます。
日本の政治は1993年に大きく変わりました。
「に」が示すのは、一つのまとまりとしての時間です。「2時に」のような瞬間を表す場合と、「江戸時代に」のような長い期間を表す場合がありますが、どちらも意識としては一つの「まとまり」です。大きさがなければ「点」ですし、大きい場合には、始まりから終わりまでの全体、です。「時に」が瞬間を示す場合は、当然のことながら、ある時間の幅を必要とする動作とは使えません。
×2時に働きます/勉強します/本を読みます。
多少の長さなら、それほど不自然ではありません。
2時に手紙を書きました。
2時前後の短い時間に、ということでしょう。もちろん、「時に」が幅を持った表現なら問題ありません。
日曜日にも働きました/勉強しました。
それでも、状態を表す動詞とは使えません。
×日曜日に部屋にいました。
ただし、「には」または「は」にすると、よくなります。
日曜日は(ずっと)部屋にいました。
自転車で毎日百キロ走りました。日曜日には名古屋にいました。
時を表わす名詞のなかには、「に」の付かないもの、付けなければならないもの、どちらでもいいものがあって、少しやっかいです。
きのう映画を見ました。 (×きのうに映画を~)
5時に仕事を止めました。 (×5時仕事を~)
5時頃(に)仕事を止めました。
この区別はたいていの日本語教科書に表の形で載っています。おおまかに言えば、「今」や「今日」を基準にして、そこから相対的にいつかが決まるもの(今、今晩、明日、先週、去年、など)は「に」を付けず、「今」がいつであっても示された時間が定まる(絶対的な)もの(21日、9月、1995年、など)には「に」を付ける、ということが言えます。
上の例で言えば、「きのう」という日は「今日」が、つまりこの文をいつ言ったかがわからないと定まりませんが、「5時」は「今」が何時であるかには関係ありません。従って、「きのう」には「に」が付かず、「5時」には付けなければならない、ということになります。
しかし、上にもあるように、「~頃」がつくと違ってきますし、他にもこの説明には例外が多く、また、文体によっても変わるようで、結局は一つ一つの例をしっかり覚えさせたほうがいいようです。「NのN」の場合は、後のNによります。
明日の朝(に)来てください。
先週の土曜日(に)期末試験が始まりました。
きのうの午後(に)/午後3時に 着きました。
1時間後(に)また来ます。
4.6.2 「時カラ」「時マデ」
ニのほかによく使われるのはカラとマデです。所を表わす場合と同じようにカラは始まりの点、マデはある長さの終りを示します。また、一緒に使ってその動きの「長さ」を表わすこともできます。
会議は3時から始まります。
3時から会議をします。
5時まで仕事をします。
9時から5時まで会社にいます。
カラはある長さを持った事がらの初めの点を表します。ですから、「働く」などの長さを持った事がらを表す動詞と共に使えます。それと、「始まる」のような動詞(これはその瞬間の変化を表します)と共に使えます。マデは終わりを示し、「働く」などと共に使えます。
では、「時に」との違いを考えてみましょう。
3時に/から始まります。
3時から働きます。(×3時に)
4時まで働きます。(×4時に)
4時に終ります。(×4時まで)
ニもカラも点を示すことは同じですから、「始まる」とともに使えますが、カラが「働く」と共に使えるのにたいして、ニはそうできません。これはニが単に「点」を表わすのに対して、カラが「始まりの点」を示すことによります。
一方、マデは「働く」と共に使えますが、「終る」とは使えません。終りの点を示すのではなく、そこまで続く、ということに力点があるのです。終わりの点を示すのは「時デ」です。
4.6.3 「時マデニ」
長さの終わりを示す「まで」にある点を示す「に」をつけると、ある範囲内の「点」で物事が行われるか、完成することを示します。
2時までに始めます/終わります。
2時までに食事をします/この本を読みます。
×2時までに働きます/テニスをします。
「2時までにこの本を読む」では「読み終わる」感じがします。「2時までこの本を読む」では、そこで止めてしまうだけで、たぶん読み終わっていません。「2月までに」「2月まで」のような、ある大きさを持った時間名詞の場合でも今のことは同じです。ただ、「2月にこの本を読む」のような言い方ができる所が違います。その場合は、その期間内に「読み始め、読み終わる」という意味になります。
「2時までに」の反対の表現は何でしょうか。「2時以後に」がほぼそれにあたるでしょう。(→「5.6.6」)
4.6.4 「時デ」
場所を表す助詞では、「に」と「で」の対立に大きな意味がありましたが、時間の場合は「で」はあまり使われません。「中止・終了」などの意味の動詞とのみ使われます。
2時で止める/終了する/終わりにする/休憩にする/帰る
これらは「に」で置き換えることができます。「で」にすると、「そこまで時間がたったら、そこで、」という時間の流れを区切る、「で」の持つ「範囲」の意味合いを感じます。幅のあるNでも使い方は同じです。
この3月で会社を辞めます。
5か年計画は今年で終わりです。
最後の例のように、名詞述語とも使える点が「時に」と違う所です。
×3時に終わりです。
3時で終わりです。
4.6.5 期間を表す表現と「に」「で」
これまで扱った時間表現の「N」はみなある時点を示すものでした。時間の長さを特に示す表現、例えば「2時間」の場合にはどのような助詞がどのような意味で使われるかをみてみましょう。
2時間に一度、15分の休みがあります。
会員は年に4回集まります。
「期間に」はある期間を単位として、その間にあることが起こる頻度を表す表現で使われます。特に単位時間(1時間、1年)を使う場合は、他の数量を表す表現でも使えます。
1時間に20台の機械を組み立てられます。(毎時間)
?90分に30台の機械を組み立てられます。(90分で)
年に3万人増えています。
?4ヶ月に1万人増えています。(4ヶ月ごとに)
「この4ヶ月に」という一回限りの場合はふつうの「時に」の用法です。「期間で」はある範囲の期間のうちに、あることが実現した、終わりまで到達したことを表します。やはり「で」の基本的な意味である「範囲」の意味合いが強く出てくるのです。
2時間でぜんぶ読みました。
1年でドイツ語をマスターしました。
なお、上の「2時間」を「1時から3時まで」のように「~から~まで」で表すと、
1時から3時まででぜんぶ読みました。
のように「までで」の形が現れます。
3時までで終わりましょう。
の場合は、ふつう「3時で」の方が使われますが、「~から~まで」の場合は「までで」の形にならざるを得ないわけです。ただし、ふつうは「1時から3時までの間に」などの言い方を使うでしょう。
4.7 動詞文の否定と疑問
4.7.1 否定
丁寧体の動詞文の否定の形は、「V-ます」に対する「V-ません」で、何も問題はなさそうですが、名詞文や形容詞文とはまた違った問題があります。
たとえば、
ここに本があります。
の否定は何か、という問題です。学習者は、
ここに本がありません。
としがちですが、この文はどうもしっくりしません。
ここには本はありません。
本はここに(は)ありません。
などと言うのがふつうでしょう。つまり、否定文には「Nは」があるのがふつうです。けれどもまた、
なかなかバスが来ませんねえ。
などのように言うこともあり、この辺の使い方の規則はよくわかりません。ある事柄が「起こらない」ことをわざわざ言うということは、それが話し手の意識の中心にあるということで、その中の名詞(ふつうは主体ですが、存在文の場合は場所も)が「主題化」されるのがふつうなのでしょう。
しかし、上のバスの例では、「バスが来る」全体が意識の焦点にあって、それが否定されることになり、「バス」だけが主題化(「バスは来ない」)されなくてもいいのでしょう。(それにしても、こう書いている私にもいい説明だとは思えないので、この話はこれで終わりとします。)
次に、否定するとは言っても、いったい何を否定しているのかという問題があります。どういうことかというと、例えば、
(その日は疲れていたので)早く起きませんでした。
という例を考えてみましょう。ここで、「-ません」は「起き(る)」を否定しているわけではありません。もちろん「起き」たわけですが、「早く」はなかった、ということです。言い換えれば、否定されているのは「起きる」ではなく「早く」です。
早くは起きませんでした。
という言い方にすると、そこがはっきりします。この「は」は、主題の「は」ではなく、副助詞の「は」です。(→「18. 副助詞」)
また、ある種の副詞を使った文を否定にすると、問題が起こります。
宿題を全部やりませんでした。
学校へ毎日行きません。
「全部やらなかった」はあいまいです。「100%」ではないが、「90%」ぐらいやった、という場合と、「0%」つまり「ぜんぜんやらなかった」場合があります。もちろん、話すときのイントネーション、区切り方にもよりますが。
前者の表し方として、
全部はやりませんでした。
毎日は行きません。
という言い方、いわゆる「部分否定」の表現がありますので、上の例は「ぜんぜん」の意味にとられやすくなります。
他にも、
全部やったわけではありません。
毎日行くわけではありません。
という言い方があります。この「V-わけではない」やその他の否定に関する問題はまたあとでとり上げます。(→「43. 否定」)
4.7.2 疑問
丁寧体の動詞文の疑問文は、文末に「か」を付けること、疑問語を適当な位置に置くことの二つだけでほぼ問題ない(話すときのイントネーションの問題は別として)のですが、いくつかの小さな問題について触れておきます。
まず、「か」は必ずしもつけなくてもいいものです。
あした、行きます?
しかし、学習者に勧められる言い方ではありません。普通体では逆になりますが。(→「42.2 疑問文の形式」)
否定疑問は注意が必要です。「勧誘」の文型になってしまうことが多いからです。相手の質問の意図を正しく理解しないと、誤解が起こります。
(あなたも)パーティーに行きませんか。
(あなたは)パーティーに行きませんでしたか。
過去のことなら勧誘にはなりません。勧誘表現については「32.勧誘・意志表現」を見てください。
[スルとナル]
人の動作についての一般的な質問は、例えば、
「これから何をしますか」「日本語を勉強します」
となります。「Nをする」というのは、他動詞の文型ですが、ここでは特に他動詞としての働きはありません。たんに動詞の代表として使われています。ただ、意志的な行動であることが必要です。
「これから何をしますか」
「学校へ行きます/うちで寝ています/ゆっくり休みます/何もしません」
「何もしない」のも、意志的な行動?です。
似たような質問の形で、
「これからどうしますか」
という形もあります。様子を聞く疑問語「どう」を使い、具体的な行動を聞いているというより、判断・態度を聞いています。過去にすると、具体的な行動を聞いています。
「そのあと、どうしましたか」
意志的でない場合、つまり事柄の成り行きを表す場合は、「する」ではなくて「なる」を使います。
「私たちはどうなりますか」「さあ。まあ、首にはなりませんよ」
「これからどうなりますか」「日本は大きく変わります」
のように「どうなるか」という表現を使います。また、事柄の発生そのものを表す場合は、
何か/何が ありましたか。
のように「何か/何が あるか」という表現になります。
いろいろな疑問語の使い方は「16.疑問語・不定語」で、疑問文に対する答え方の問題、何が省略できるか、などは「42.疑問文」で扱うことにします。
4.8 動詞文の修飾語
動詞文にはいろいろな修飾語がつきます。その中でも副詞が中心です。
副詞
たまに映画に行きます。(頻度)
ゆっくり歩きます。(様子)
さっき電話がありました。(時)
部屋をきれいに掃除します。(結果)
いやいや仕事をします。(態度)
たぶん彼も来ます。(推量) 確からしさ?
数量詞
リンゴを十個買いました。
先週は三回映画に行きました。
形式名詞による表現
家族のために働きます。
これらは、「10.修飾」以降でくわしくとりあげます。
◇◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◇
以上で基本述語形の主要部分の説明を終わります。
この後は、文型そのものではなく、基本述語形に補助的に付け加えられるものなどを見ていきます。文型について続けて考えていきたい方は、この後の部分をとばして、第2部の「複合述語」を見て下さい。ただし、「5.「は」について」だけはいちおう読んでおいて下さい。また、「19.終助詞」は、「ムード」を考えるときに参照する必要があります。
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