30. ムード

 基本述語型の述語の後ろに何かがついてさまざまな表現になる「複合述語」の中で、「ムード」は特に多くの文型があります。

 人が、人に、ことばで何かを伝えようとする時、そのことばの中に表されているのは、客観的な事がらだけではありません。その話し手が、聞き手に対してどのような「気持ち・態度」でその事がらを伝えようとしているのか、それを表すのが「ムード」の名前でまとめられている文型です。最近は「モダリティ」と呼ぶことが多くなりました。二つの用語を別の意味で使い分けることもあります。

 ムードの表現は大きく三つに分けられます。

   (1) 聞き手に対するもの

   (2) 話し手自身の気持ちを表すもの

   (3) 何か事がらを表現する時の、その事がらに対する態度

の三つです。


(1) 聞き手に対するムード

 聞き手に対するムードの代表は、依頼や命令・勧誘の表現です。相手に何かをすることを頼んだり命令したり、反対に、何かをしないことを依頼したり、命令したり。それがもう少し客観的な表現をとると、義務の形をとった実質的な命令になったり、禁止の表現になったりします。あるいは、自分の希望の表明という形をとって、相手に頼むような表現もあります。

     来てください。           来ないでください。 

     来なさい。

     来い。               来るな。

     来なければなりません。       来てはいけません。

     あなたに来てほしいのですが。     来ないでほしいのですが。

     あなたに来ていただきたいのですが。

 ふつう「依頼」の表現と言われる「V-てください」は、少し違った状況では、依頼というより「指示」や「勧め」になります。

     この書類に名前を書いてください。(窓口での指示)

     どうぞお召し上がり下さい。

これらは聞き手に「お願い」しているわけではありません。「指示」というのは、より強く言えば「命令」に近くなります。

 勧誘の表現には、相手だけに対するものと、自分と一緒に、という表現があります。

     明日私の家に来ませんか。  

     明日彼の家に行きませんか。

     明日の会に行きましょう。

 この「V-ましょう」は相手に、自分の行動を申し出る、といった形にもなります。

    (私が)持ちましょうか。

 また、「勧め」の表現には

     薬を飲んで休んだ方がいいですよ。

のような「忠告」や、

     少し休んだらどうですか。

     これを使うといいです。

のようなものもありますし、また、

     少し休めば/休んだら いいのに。

のような言い方もあります。


(2)話し手自身のムード

 以上が聞き手に対しての働きかけの表現ですが、(2) の自分自身の気持ち、希望や意志の表現には、

     私も行きたいです。

     私は行こうと思います。

     私は行くつもりです。

などがあります。もっと簡単に、

     私は行きます。

と言っても、自分の意志の表明になります。

     (私は)あなたにも参加してほしい。

というと、形としては話し手の希望ですが、実際には聞き手への働きかけの表現になっています。


(3) 事がらに対するムード

 「事がらに対する態度」というのは、次のような文の違いのことです。

     これは間違っています。

     これは間違っているでしょう。

     これは間違っているらしいです。

     これは間違っているそうです。

     これは間違っていそうです。

     これは間違っているかもしれません。

     これは間違っているに違いありません。

 これらの違いは、話し手が、自分の判断ではっきり言っているか、推量に過ぎないのか、ほかからの情報によるものなのか、というような違いです。これらもムードの一種と考えます。「確からしさに対する態度」とも言えます。

 さらに次のようなものもムードに入れる場合があります。

     「どうかしたんですか」「お金を落したんです」

     結局、何も出てきませんでした。失敗したわけです。

 これらは、何かの状況や、前に言ったことに対する「説明」になっているので、「説明」のムードと呼ばれるのですが、文と文とを結びつけるものとして、この本の最後「連文」のところで扱うことにします。(→「63. 説明」)ただし、前の文を受けるのではなく、状況を説明するものは「状況説明」として「40.その他のムード」でとりあげます。

 今の「の」と「わけ」は「形式名詞」と呼ばれるものですが、形式名詞によって作られる複合述語には、ムードにかかわるものが多くあります。

     彼がそんなことをするわけがない。(強い否定)

     彼がそんなことをするはずがない。( 〃  )

     早く行きたいものだ。      (詠嘆)

     早く治らないものか。      ( 〃)

     何よりもよく考えることだ。   (勧め)

これらも一通り見ておくことにしましょう。

 それから、「疑問」あるいは「質問」というものも、聞き手に対する働きかけという面があるので、ある種のムードと考えます。その中には、質問と言うよりも「確認」「自問自答」と言った方が適当なものもあります。

 「否定」ということも「判断」の一種として、ムードに入れておきます。疑問や否定はその「焦点」が問題になります。何を聞いているのか、何を否定しているのか、という点です。

 それから、日本語でははっきりした文型をとりませんが、「感嘆」を表す表現があります。もちろんムードの一種です。

 これらのムードをどう分類し、体系づけたらいいのかはよくわかりません。いくつかは「その他のムード」ということでまとめておきます。将来、ムード全体の研究とその分類が進んだときには、位置付けがはっきりするだろうと思います。それまでの一時預かりです。また、何でもかんでも「ムード」という名前でくくってしまおうとしている、という批判はありうると思います。しかし、ムードの研究はまだ始まったばかりですので、初めのうちは何でも扱っておいた方がいいでしょう。違いがあればそのうちはっきりしてきて、分けた方がいいものが明らかになるでしょう。

 ムードの文型はイントネーションと密接な関係があります。イントネーションを微妙に変えることによって、同じ形が別の意味を持ってしまうことがよくあります。日本語学習者にとっては、イントネーションの習得は非常に難しいものです。そもそも十分に研究されていないため、教師の方も体系的な説明ができず、よくわからないまま直感的な印象で教えているのが現状でしょう。

 この本でも十分な説明にはほど遠いことしかできませんが、できるだけイントネーションに注意しながら各文型の使い方を説明していこうと思います。

 また、終助詞、とくに「ね」と「よ」の付き方、その時のイントネーションによって意味合いが変わることも多くあります。それにも注意を払うことにします。


参考文献

森山卓郎・安達隆一 199 『セルフマスターシリーズ6 文の述べ方』くろしお出版

益岡隆志 1991『モダリティの文法』くろしお出版

仁田義雄 1991『日本語のモダリティと人称』ひつじ書房

仁田義雄・益岡隆志編 1989『日本語のモダリティ』くろしお出版

加藤泰彦・福地務 1989『テンス・アスペクト・ムード』荒竹出版

安達太郎2002「疑問文とモダリティの関係」『日本語学』2月号明治書院

奥田靖雄1988「文の意味的なタイプ-その対象的な内容とモーダルな意味とのからみあい-」『教育国語』92むぎ書房

尾上圭介1990「文法論-陳述論の誕生と終焉-」『国語と国文学』1992.5

尾上圭介・坪井栄治郎1997「モダリティをめぐって」『言語』12月号大修館

工藤浩1989「現代日本語の文の叙法性序章」『東京外国語大学論集』39

坂本恵他1993「「行動展開表現」について-待遇表現教育のための基礎的考察-」『日本語教育』82

新屋映子1989「日本語の主観用言における人称制限」『日本語学科年報』11東京外国語大学

新屋映子「モダリティーとしての用言」

鈴木智美1998「日本語研究における「モダリティ」論の問題点-モダリティは「主観的」な意味要素か-」『ことばの科学』11名古屋大学言語文化部言語文化研究会

曽我松男1985「モダリティーの範疇についての一考察」『日本語教育』57

寺村秀夫1979「ムードの形式と意味(1)-概言的報道の表現-」筑波

寺村秀夫1980「ムードの形式と意味(2)-事態説明の表現-」筑波

仁田義雄1989「述べ立てのモダリティと人称現象」『阪大日本語研究』1大阪大学

益岡隆志2002「判断のモダリティ-現実と非現実の対立-」『日本語学』2月号明治書院

益岡隆志1992「不定性のレベル」『日本語教育』77

森山卓郎1992「価値判断のムード形式と人称」『日本語教育』77

森山卓郎2002「可能性とその周辺」『日本語学』2月号明治書院

坪本篤朗「現象(描写)文と提示文」

niwa saburoo の日本語文法概説

日本語教育のための文法を記述したものです。 以前は、Yahoo geocities で公開していたのですが、こちらに引っ越してきました。 1990年代に書いたものなので、内容は古くなっていますが、お役に立てれば幸いです。

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