38.1 述語との接続 38.6 ~らしい
38.2 ~だろう 38.7 ~するそうだ(伝聞)
38.3 ~かもしれない 38.8 V-まい
38.4 ~しそうだ(様子) 38.9 V-(よ)う
38.5 ~ようだ 38.10 ~と思う
「ムード」としてくくられる表現には、話し手の心理の表現や聞き手に対する働きかけのような、いかにも「ムード」らしい(というのもはっきりしない言い方ですが)ものの外に、話し手が何か「事がら」を表現する時に、その「事がら」をどう表現するか、ということにかかわるものがあります。もっとくだいて言えば、はっきり断定的に言うか、それともあいまいな言い方をするか、内容の正否は他者に転嫁するか、というようなことです。
それらの中で、よく使われ、明確な対立があるのは、次の二つの言い方でしょう。
a もうすぐ迎えの車が来ます。
b もうすぐ迎えの車が来るでしょう。
aのほうは、断定的にはっきり言っています。bの方は、そう思ってはいるのですが、あまり自信はなく、もしかするとまだ来ないかもしれない、という気持ちも持っているという言い方です。(ところで、aのすぐ前の文、つまり地の文の「~次の二つの言い方でしょう」の「でしょう」はどちらでしょうか。まあ、「自信がない」とも言えるのですが、ここではいちおう、たんに断定を和らげているだけであるとします。この用法も後で触れます。)
これまでのいろいろな文型の例文はすべて断定的なものでした。名詞文も動詞文も、受身の文も。(ただし、疑問文は別です)それらは「断定」のムードを持っていたわけですが、特にそのことは触れませんでした。ここで断定的でない言い方をいくつか見てみましょう。 日本語には「~でしょう(だろう)」と近い意味の表現がいくつもあり、学習者にとっても、日本語教師にとっても頭の痛い問題になっています。たとえば、「~らしい」「~ようだ」「(し)そうだ」「(する)そうだ」「~かもしれない」「~にちがいない」「~はずだ」などの表現です。
これらは、推量・比況・様子・伝聞などの表現と言われるものです。お互いが微妙に重なり合い、話し手の、その事がら(の表現)に対する態度を表し分けています。
38.1 述語との接続
これらの表現で学習者にとって難しいことの一つに、その前に来る述語の接続の形の問題があります。細かいところで微妙な違いがあり、学習者を悩ませます。意味・用法の問題は後に回して、まずこの接続についてまとめておきましょう。
① ~だろう/でしょう
動詞の普通形(スル・シナイ・シタ・シナカッタ)にそのまま接続します。イ形容詞も普通形に接続します。丁寧体の場合は、「です」を「でしょう」にすればいいわけです。
行くだろう 暑いだろう
行かないだろう 暑くないだろう
行っただろう 暑かっただろう
行かなかっただろう 暑くなかっただろう
少し問題なのは、名詞とナ形容詞との接続です。この二つは、普通形のうち、現在の形が「だ」が「だろう」に変化したことになります。丁寧体の現在の形は「です」が「でしょう」になるわけです。それ以外では、普通形に「だろう(でしょう)」が付いた形になります。
学生 だろう ひま だろう
学生ではない だろう ひまではない だろう
学生だった だろう ひまだった だろう
学生ではなかった だろう ひまではなかった だろう
以上の形をすらすら言えるようになるのは、それだけで学習者にとっては大変なことですが、そう言っていては日本語ができるようにはなりません。
② ~かもしれない/かもしれません
「だろう」と同じ接続です。表を少し変えてみましょう。
行く 学生
行かない 学生ではない
行った 学生だった
行かなかった 学生ではなかった かもしれない
暑い ひま
暑くない ひまではない
暑かった ひまだった
暑くなかった ひまではなかった かもしれない
③ ~そうだ/そうです(様態)
同じ「そうだ」という形でも、伝聞とはずいぶん違います。
行き そうだ
行き そうに/もない
行き そうだった
行き そうに/もなかった
暑 そうだ
暑 そうではない/くなさそうだ
暑 そうだった
暑 そうではなかった/くなさそうだった
ひま そうだ
ひま そうではない/ではなさそうだ
ひま そうだった
ひま そうではなかった/ではなさそうだった
動詞の「そうにもない/なかった」と、形容詞の「なさそうだ」に注意してください。
名詞述語にはふつう接続しません。「学生そうだ」とか「英語の本そうだ」とは言わずに「学生のようだ」とか「英語の本らしい」などと言います。
イ形容詞の「ない」「よい」は例外で、それぞれ「よさそうだ」「なさそうだ」と「さ」が入ります。「いい」は「×いそうだ」の形はなく、「よい」と同じ「よさそうだ」の形をかわりに使います。
動詞の否定や過去の形は「そうだ」の前には来ず、「そうだ」自体が変化します。形容詞では否定の形が二つあります。この形の細かい話はあとの用法の説明のところを見てください。
④ ~ようだ/ようです
動詞・イ形容詞の基本形に接続します。「だろう」と違うところが二つあり ます。ナ形容詞は基本形の「だ」が「な」に変わります。名詞述語は基本形の「だ」が「の」になります。「よう」はもともと名詞で、「学生の」「ひまな」の形になるのは名詞の「よう」に続くためだということができます。
行く 学生の
行かない 学生ではない
行った 学生だった
行かなかった ようだ 学生ではなかった ようだ
暑い ひまな
暑くない ひまではない
暑かった ひまだった
暑くなかった ようだ ひまではなかった ようだ
「~ようだ」と意味の近い「~みたいだ」は次の「~らしい」と同じです。
⑤ ~らしい(です)
動詞・イ形容詞の基本形に接続します。ナ形容詞・名詞述語では、基本形の「だ」が落ちます。つまり、接続に関しては「~だろう」とまったく同じです。
行く 学生
行かない 学生ではない
行った 学生だった
行かなかった らしい 学生ではなかった らしい
暑い ひま
暑くない ひまではない
暑かった ひまだった
暑くなかった らしい ひまではなかった らしい
⑥ ~そうだ/そうです(伝聞)
動詞・形容詞・名詞述語すべての基本形に接続します。
行く 学生だ
行かない 学生ではない
行った 学生だった
行かなかった そうだ 学生ではなかった そうだ
暑い ひまだ
暑くない ひまではない
暑かった ひまだった
暑くなかった そうだ ひまではなかった そうだ
⑦ ~まい
「だろう」の否定に当たり、動詞だけに接続します。「行くまい」が「行かないだろう」にほぼ相当します。少し古めかしい言い方ですが、書き言葉ではよく使われます。五段動詞は基本形に、その他は「-ない」に続く形(国文法の「未然形」)に接続しますが、一部、人によって違うようです。
行くまい(五段) 見まい(一段) (見るまい、も)
するまい・すまい・しまい 来るまい・こまい・くまい
愛すまい・愛するまい 来ていまい・来ているまい?
殴られまい・殴られるまい そんなことはさせまい・させるまい
38.2 ~だろう/でしょう(か)
「~だろう(でしょう)」は使用頻度が非常に高く、日常よく耳にする表現であり、また、それ自身は変化しない形ですので、その意味では学習者に使いやすい文型ですから、初級で必ずとり上げられる表現です。
教科書では多くの場合「推量」の表現として「たぶん~でしょう」という形で教えられます。しかし、実際に使われる場合は他の意味で使われることも多いです。また、「~でしょうか」は「~でしょう」の単なる疑問文ではありませんし、「~でしょう?」とするとまた違った用法になります。それらの点にも注意しながら見て行くことにしましょう。
述語と「~でしょう」の接続は、前にあげた「だろう」の接続の形をそのまま「でしょう」に置き換えればよいので、表はあげません。
「~だろう」と「~でしょう」の用法の違いは、基本的には、普通体と丁寧体という文体の差として考えて問題ないと思いますので、以下では区別せずに説明をして行きます。違いがある場合には、特に述べることにします。
なお、「だろう/でしょう」はもともと「だ/です」の「推量形」ですが、動詞やイ形容詞にも接続するので、独立した助動詞と考えられます。
「~だった」の推量の形としては「~だっただろう」と「~だったろう」という二つの形があります。「だろう」のほうがふつうです。
さぞかし大変だっただろう。
さぞかし大変だったろう(と思われる)。
「~でした」の推量形では「×でしたろう」という形は使われず、「~でしたでしょう」が使われます。
結局、ナ形容詞・名詞述語についても「だろう/でしょう」という助動詞が付くものと考えることにします。つまり、
雨だ+だろう → 雨だろう
雨だ+でしょう → 雨でしょう
と考えます。
38.2.1 ~だろう/でしょう
①[推量]
まず、基本的な例文を見て下さい。
明日は雨が降るでしょう。
彼はおそらく来ないだろう。
かぎはたぶんその中にあるでしょう。
彼女はもう大きくなったでしょう。
あの人はたぶんそのことを知らなかったでしょう。
このお菓子はきっとおいしいでしょう。
これは彼女の財布だろう。
あの人はたぶん日本人じゃないでしょう。
この薬を飲めば、すぐ治るだろう。
「~だろう」は普通「推量」の表現と言われます。推量とは、「はっきりしないことを他のいろいろなことから考えて判断する」ことですが、「ムード」の一つの用法としては、「はっきりしないこと」を「断定しない」こと、を意味します。
「はっきりしないこと」でも断定的に言うことはできます。
ジャイアンツは来年絶対優勝する。
と言っても、実際には正しくないことが多いのですが、それはかまいません。話し手としては、「断定する」のです。(→「39.断定・確信」)
ジャイアンツは来年優勝するだろう。
では、評論家のことばです。迫力がありません。
そのはっきりしないこととは未来のことばかりでなく、現在のことでも過去のことでも、話し手が知らないことならかまいません。最後の例は、仮定の推論に対して「確実には言えないけれども、そうだろう」と言っています。
未来のことや仮定のことは、常に「はっきりしない」ことで、何か推量の表現をつけるのが当たり前のようですが、自信を持って言えば、上にも述べたように「だろう」をつけなくてもかまいません。
明日は必ず雨が降ります。(から、かさを持っていって下さい。)
彼は絶対に来ません。
この薬を飲めば、必ず治りますよ。
「だろう」は「たぶん」や「おそらく」のような「確実でない」ことを表す副詞と共に提示されるのがふつうです。「きっと」をつけると、確信の度合いが強くなりますが、やはり「推量」であることには変わりません。
明日は たぶん/きっと 雨が降るでしょう。
「必ず」や「絶対に」を付けることもできますが、結局「だろう」の意味のほうが強く、実際にそうなると断定はしていません。
絶対に勝つでしょう。
気持ちとしては「絶対に」なのですが、表現としては断定していないのです。
もちろん、
絶対に勝ちます。
と言っても、実際にどうなるかはわからないのですが、話し手の気持ちとしては、「だろう」と違って、確信していますし、その気持ちをことばとして表明しているわけです。(→「39.断定・確信」)
仮定の場合は少し複雑です。
私が男だったら、ラグビーをやっているでしょう。
こうしたら、もっとうまくできただろう。
この二つの例は、「事実に反する仮定」を立てて、その中でどんなことが起こり得るかということを述べています。現に女である「私」がもし「男だったら」、あるいは、過去に「うまくできなかった」ことを、もし「こうしたら」、という仮定を立てます。その結論として考えたことは、はっきりは言えないことですから、「だろう」をつけて言っています。現在のほうは、「だろう」なしでも言えます。
私が男だったら、ラグビーをやっていますね。
「だろう」はだいたいどんな事がらにも自由につけられる表現ですが、話し手自身の意志的行動にはつけにくいものです。
?私は後から行くでしょう。(cf. 私は後から行きます。)
と言うと、「私が行く」かどうかは、その後の状況と、誰か他の人の決定によるもので、自分では決められないから今は何ともわからない、というような意味合いを感じます。つまり「私」の意志的行動ではなく、「行くことになるでしょう」というような意味になります。あるいは、ずっと先のことで、その時になってみなければ、私の気持ちがどうなるかはわからない、というような場合になります。
「来年の初詣はどうしますか」「(私は)たぶん行くでしょう」
私は「行く」意志があるけれども、状況によってはどうなるかわからない、というなら、
私は後から行こうと思います。
のような表現になります。
聞き手の意志的行動にも基本的に使えません。使うと、かなり微妙な意味になります。
あなたはこれから図書館へ行くでしょう。
と言うと、占い師が言い当てているようです。(イントネーションは下降調です。上昇調で「~でしょう?」と言うと、また別の用法です。)
三人称なら、例えば「彼」の今日の行動予定を知っていれば、
彼はこれから図書館へ行くでしょう。
と言うのは、ふつうの言い方です。
しかし、聞き手に関する場合は、たとえ行動予定を知っていても「あなたはこれから~」と言うのは変です。その場合は、相手が知っていることですから、「確認」という意味になり、
田中さんはこれから図書館へ行く(ん)でしょう?
田中さんはこれから図書館へ行くんですよね。
などの言い方になります。(→「38.2.3 だろう↑」)
聞き手の内面的なことは、もちろんはっきりわかりませんから、「だろう」が使えます。
どうもごくろうさま。疲れたでしょう。
ポチが死んだんだって? 悲しいだろうなぁ。
「だろう」と「でしょう」の使い方の違いとしては、独り言の場合、聞き手がいないので丁寧にいう必要がありませんから、「でしょう」は使われないということぐらいです。日記でもふつうは「だろう」を使います。
[~だろうと思う]
「と思う」をつけると、その推量が話し手の個人的なものであることをさらにはっきり言うことになります。「と思う」は丁寧形を受けませんから、「でしょう」は使えません。(→「38.10 ~と思う」)
これで間違いないだろうと思います。
×もう大丈夫でしょうと思いました。
[~ことだろう]
期待・詠嘆・あきらめなど、何らかの気持ちを込めて推量するとき、「~ことだろう」という形が使われます。やや文学的な、時代がかった言い方です。丁寧さを表すためにも使われます。
人類は、いつか太陽系の外へ出ていくことだろう。
それができたら、さぞすばらしいことだろう。
それはお困りになったことでしょう。
②[和らげ]
話し手の判断などを表わす場合、「はっきりしない」のではなく、「はっきり言わない」ことを表わします。聞き手に対する遠慮、ことばを和らげる働きです。
「これでいいですか」「まあ、いいでしょう」
「だめでしょうかねえ」「そうですねえ。だめでしょうねえ」
どちらも聞き手に対して強く言うことを避けた言い方です。
論説文などで自分の主張を述べる場合に、調子を和らげるためによく使われます。
これは、次のように考えることができるだろう。
書きことばの「デアル体」では「~であろう」という形がよく使われます。
この問題については、これ以上述べる必要はないであろう。
ただし、このような書き方は、実際に「推量」である場合、つまり、議論の中で本当に「はっきりしていない」ことを表す場合との区別がはっきりしなくなることもあり、使い方に気を付ける必要があるでしょう。いや、あります。
38.2.2 ~だろうか/でしょうか
[~でしょうか]
一般の平叙文に「か」を付けると、疑問文になります。もちろん、イントネーションは上昇調にして。(下降調にした場合のことは「42.疑問文」に。)
あした雨が降りますか。↑
この疑問文は、「あした雨が降りますか、降りませんか、どちらですか」と聞き手の考えを聞いています。「降るか降らないか」、はっきりした答えを求めています。もちろん、話し手は聞き手がこの質問に答えられるような知識を持っていることを前提にしています。天気予報を見たか、あるいは気象庁の人か、など。
では、「推量」の「疑問文」というのは何を意味しているのでしょうか。
あした雨が降るでしょうか。↓
の場合も、「あした雨が降るでしょうか、降らないでしょうか」と聞き手に聞いていると考えていいでしょう。
つまり、答えとして、
よくわかりませんが、たぶん降るでしょう/降らないでしょう。
という、あまりはっきりしない答え方ができる聞き方だということです。
「~でしょう」は話し手にとってはっきりしないこと、断定的に言えないということを表わしています。疑問文の場合に「でしょう」を使うのは、はっきりとした質問にしないため、質問の口調を柔らかいものにするためです。
聞き手の意志的なことには「でしょうか」は使えません。
彼は来ますか/彼は来るでしょうか。
はどちらも言えますが、
×あなたは来るでしょうか。(cf.あなたは来ますか)
とは、ふつう言いません。これはつまり、
?私は来るでしょう。
と言いにくいことの裏返しです。
「あなた」の意志動作でなければ「あなたは~でしょうか」という質問ができます。
あなたはあした来られるでしょうか。
→はい、たぶん来られるでしょう。
可能かどうかは意志的なものではありませんから、「私は~でしょう」と言えます。
話し手が何かを説明していくような場合、自ら問題を設定してそれを聞き手(文章の場合は読み手)に投げ掛けておいて、そのあと自分でその答えを述べていく、ということがよくあります。その場合、「でしょうか」をつけます。そうしないと、相手に答えを要求することになってしまいます。
a このような問題が起きるのはなぜでしょうか。それは・・・
b このような問題が起きるのはなぜですか。それは・・・
外国人の書く作文にはよくbのような文が見られます。これでは、読み手に答えを要求する感じです。それを避けるためのaは、「でしょうか」のかなり重要な用法の一つです。 次の「だろうか」でも同様の用法があります。
[~だろうか]
「か」がつくと、「でしょう」と「だろう」の違いが比較的強く出てきます。「でしょうか」は聞き手に対する質問になりますが、「だろうか」はむしろ自分に対する問いです。
これはいくらだろうか。
彼は本当に来るだろうか。
これは聞き手がいなくても言えます。「でしょうか」は聞き手がいなければ言えません。
?(独り言で)彼女は来てくれるでしょうか。
もちろん、聞き手がいる時は聞き手に対して問いかけることができますから、そうすれば「だろうか」でも質問になります。答えとして、はっきりしない答えを予想する点は「でしょうか」と同じです。
疑問語疑問文の場合、「か」があってもなくても同じです。
彼は何時に来るだろう。
彼は何時に来るだろうか。
「~だろうか」は男ことばで、女性は「~かしら」、「~かな(あ)」などを使うところです。「~かな(あ)」はもちろん男性も使います。
これは何だろう。
これは何かしら。
これは何かなあ。
意味合いの違いは多少ありますが、ほぼ同じように使えます。
38.2.3 ~だろう/でしょう?:確認
「か」を付けずに上昇調のイントネーションにすると、自分の推測に対する相手の確認を求める言い方になります。話しことばでは「~でしょ?/だろ?」と短くなる場合があります。
これ、あなたのでしょう?
奥さんもいらっしゃるでしょう?
これを使うんだろ?
これでいいだろう?
自分がおおよその予測を持っているということで、「でしょう」が使われ、イントネーションを上昇調にすることで、相手への問いかけが表されます。
行きますね。
行くでしょう? ↑
ネと似ていますが、違う点は、例えば、自分で描いた絵を見せて、
これ、きれいでしょう? ↑
?これ、きれいですね。
と言うと、「でしょう」のほうは、「たぶん~だろうと私は思うし、あなたもそう思うだろうと私は思うのだが、そうか?」というような意味になります。
「ですね」のほうは、「です」ではっきり言いきっていますから、「これは~である。あなたはこの事実を認めるか」と、大げさに言えば、なります。自分の作であることを隠していて、知らぬ顔で言うなら言えますが。
また、医者が注射をしながら、
どうですか、あまり痛くないでしょう? ↑
どうですか、あまり痛くないですね。
と言うと、後者は不適切です。「ですね」は「痛くない」はずだ、と人の痛みに同情せず、それについて相手の同意を求めていますから、患者に反感を起こさせます。
推量と確認の違いを考えてみます。推量は「聞き手も知らないと話し手が思っていること」について言います。聞き手が知らないからこそ、話し手ははっ 38.3 ~かもしれない/かもしれません
きりしない推測を話すことができるのです。それに対して、確認は「聞き手が知っていると話し手が思っていること」について言います。
確認に近い使い方で、イントネーションが上昇調にならない場合があります。決めつけるような言い方や、勝ち誇ったような言い方の場合です。
例えば、人に何か見せびらかしながら、
これ、いいでしょーう。
という場合、話し手は「いい」と信じており、「聞き手もきっとそう思うだろう」と思っています。「確認」は求めるまでもない、という感じです。
推量の時は「~でしょう」の「しょ」の部分から低くなりますが、自慢の場合は、「でしょう」全体がまっすぐにのばされます。ちょっとわかりにくいですが、高さの違いを強調して、上下に分けて書いてみます。
推量 た き
ぶん れいで
しょう
自慢 き
れ れいでしょ-
こ
また、
その声は母さんじゃない。おまえは狼だろう。(七匹の子やぎ)
と言うときも、相手の返事を期待していません。これを上昇調で、
おまえは狼だろう? ↑
としてしまうと、自信が感じられず、迫力がありません。
あなたはもう中学生でしょう。しっかりしなさい。
では、「中学生である」ことは明らかな事実で、相手が知っていることを再認識させる言い方です。この場合は、上昇調・下降調どちらも可能です。下降調のほうが厳しい言い方です。
38.3 ~かもしれない/かもしれません
事柄の成立する(した)可能性が(低いけれども)あることを表わします。過去のことに対しても言えます。動詞・形容詞・名詞述語に接続します。「もしかすると・ひょっとすると(~したら)」などの副詞が共に使われることがあります。
1 明日は雨(雨が降る)かもしれません。
2 ひょっとすると、お金はこの中にある(ない)かもしれない。
3 今この瞬間に大地震が起きるかもしれない。
4 99%大丈夫だと思うけれど、もしかすると、うまくいかないかもしれない
から、その時はよろしく頼むよ。
そのことが起こらない(なかった)蓋然性が高いのだけれども、起こるという可能性を否定できない、という気持ちです。そのことに対して否定的なのだけれども、なお、「ありうる」という意味では肯定的です。(もちろん、否定の「~ないかもしれない」の場合は話が逆になります)
仮定上のことについての推量にもよく使われます。実際にはそうではないのだけれども、もし・・・という場合を想定して、その時に起こりえる(えた)ことを述べます。
彼がいれば、この案に反対するかもしれない。
あの時もう一秒早かったら、死んでいたかもしれない。
それ自体が過去の形になりますが、現在形との大きな違いはありません。
その時、彼女はすでにそれを知っていたのかもしれなかった。
その時、彼女はすでにそれを知っていたのかもしれない。
違いは、現在の判断(推量)として述べるのか、意識を過去のその時点に多少移して述べるのか、という心理的な差に過ぎません。
可能性の低さという点では、「~だろう」と裏表になる場合があります。
もしかすると来ないかもしれないが、たぶん来るだろう。
「来る」可能性が8・9割で、「来ない」可能性が1・2割でしょうか。
次のような場合は、可能性が半々というより、どうなるか分からない、という意味でしょう。その二つ以外の可能性はないのですから。
うまく行くかもしれないし、行かないかもしれない。
前の文を受けて同じ内容を言う場合には、「そう(だ)」の形が使われます。
「これはどうも失敗だね」「そうかもしれないね」(失敗かも~)
「あの場合はやり直したほうがよかったのかなあ」「そうだったのかもしれないね」
現在の場合は「だ」が落ちますが、過去では「だった」が現われます。
0コメント