49. 条件(1) たら・ば・と・なら

        49.1 概観     49.6 ~ても/たって    

        49.2 ~たら    49.7 ~ては/のでは    

        49.3 ~ば     49.8 ~とすると/すれば  

        49.4 ~と     49.9 その他  

        49.5 ~なら    49.10 まとめと補足 


49.1 概観 

 条件を表す表現について考えます。日本語の条件表現は非常に難しいものの一つとされています。これまでに多くの研究がなされていますが、まだまだわからないことの多い文型です。

 ここで「条件」とは、ある事柄Bが起こるかどうかが、別の事柄Aが起こるかどうかによる、そういう関係をいいます。例えば、

     春になると、花が咲く。

     コップを倒せば、水がこぼれる。

     田中さんに会ったら、このことを話す。

のような関係です。

 上の例が典型的な「条件表現」ですが、もっと広く「条件」の範囲を考えることもあります。例えば、

     コップを倒したので、水がこぼれた。

という「理由」の表現も、「事柄AとBの関係」という点では、上で述べたことが成り立ちます。事柄A「コップを倒した」は、事柄B「水がこぼれた」を「条件づけて」いると言えます。しかし、この本では「条件」を狭く考えて、「理由」の表現は「条件表現」とは分けて扱うことにします。

 さて、「条件」が難しいと言われる理由は、条件を表す表現がいくつもあり、それぞれが微妙な使い分けを持っているということによりますが、困るのは、そのそれぞれが日常よく使われ、日本語教育の初級段階で出さないわけに行かないことです。代表的なものは、「と、ば、たら、なら」とよくまとめて言われる4つの形式です。それ以外にも、「ては」や「場合」など、また逆接の「ても」なども使用頻度の高いものですが、いちばん問題になるのは初めの4つです。それぞれの例を挙げておきましょう。

     春になると花が咲く。    右に曲がると銀行がある。

     勉強すれば上手になる。   質問があればしてください。

     晴れたらテニスをしよう。  彼が来たらこれを渡してください。

     彼が来るなら私は帰ります。 1時に出たのならもうすぐ着くよ。

 以上の例を比べてみて、それぞれの違いがあるのは確かですが、それを正確に指摘することはなかなか難しいことです。まず、それぞれの基本的用法をおさえること、そして、それらが重なる部分での使い分けを考えることが必要です。

 また、「条件」とされる以外の文型との関係も考えるべき問題です。まず、条件表現と「~時」とは非常に近い関係にあります。そのほか、条件表現の形式が継起の「~て、~」の用法と重なる用法に使われる場合があります。主題化の「は」は「~なら」と関係がありますし、そもそも副助詞の「Nなら」と条件の「~なら」とのつながりも考えてみなければなりません。もっと基本的な論理の問題として、条件と理由・目的などの表現の関わりということもあります。条件表現は、複文を考える際の要にあるといってもいいでしょう。

 では、まず述語との接続の形をそれぞれ見てみましょう。

[述語との接続]

[~たら] すべてタラ形 

        会ったら 会わなかったら  高かったら 高くなかったら

        暇/彼 だったら  暇/彼 ではなかったら

[~ば] すべてバ形(動詞の形の作り方は「33.4 V-ばいい」参照) 

        会えば 会わなければ    高ければ 高くなければ

        暇/彼 なら(ば)     暇/彼 でなければ

[~と] 基本形/ナイ形- 

        会うと 会わないと  高いと 高くないと

        暇/彼 だと  暇/彼 でないと

[~なら] 普通形-  

        会う/会わない/会った/会わなかった なら

        高い/高くない/高かった/高くなかった なら

        暇/彼 なら

        暇/彼 でない/だった/ではなかった なら  

   

 「~なら」の接続は「~でしょう」などと同じということになります。これだけが現在と過去の対立をもち、接続する形が多いわけです。 

 「~ば」が「~だ」を受ける場合、「暇ならば」は書きことばで、話しことばでは「暇なら」となります。すると、「~なら」の形と同じになります。つまり、「~ば」と「~なら」が融合していることになります。


[用法の概観]

 この4つの形式が表し得る意味の範囲を考えてみましょう。これらの用法の全部が「条件」であるわけではありませんが、この4つの形式が他の用法も持っているということが「条件」の用法にも影響していると思うので、まず全部の用法を一とおり見てみます。

 基本は、「ある事柄Aの成立を「条件」として、別の事柄Bが成立する」と考えることです。ここで「条件」とは、Aが成立した状態でBが成立する、逆に言えば、Aが成立しない状態ではBが成立しないということです。Aは、Bが起こるために必要なことであり、「引き金」あるいは「きっかけ」となるような事柄です。

これは、時間的前後関係と似ていますが、その関係が時間的なものでなく、内的なものと見なされると条件表現が使われます。

     大学へ行って、勉強する。

     大学へ行ってから、勉強する。

のではなく、

     大学へ行ったら、勉強する。

のです。「行く」ことが「勉強する」ことの実現のために、論理的に不可欠のことになっています。それを次のように表すことにします。

     A → B

 一般的には、Aが成立しない場合には、Bも起こらないと考えるのがふつうでしょう。論理学ではこの辺の考え方が違いますが、それは論理学者にまかせましょう。

 では、基本的な用法を中心に、さまざまな用法を見てみます。

 まず、一般的に成り立つことを表します。(以下の例で、いくつかの言い方を並記しますが、それ以外はダメだということではありません)

     2と3をたせば/たすと/たしたら、5になる。

     春になると/なれば/なったら、暖かくなります。

     日本の子どもは、6歳になると/なったら、小学校に入ります。

     外国語を勉強すれば/すると/したら、世界が広くなります。

     月が地球の影に入ると、月食になる。

     犬が西向きゃ(向けば)、尾は東。

 個人的なことですが、一般的・習慣的なことを表す場合。

     風邪をひいたら、学校を休みます。

     毎朝、雨が降らなければ/降らなかったら、散歩します。

 次に、個別的な、一回のことの場合。

 まず、将来のこと。「A」はそうなるかどうかわからないことで、その成立を仮定する場合。日常、よく使われる言い方です。

     明日、天気がよかったら海に行きましょう。

     彼女に会ったら、よろしくお伝え下さい。

     駅に9時までにつかないと、特急に乗れません。

     このまま二酸化炭素が増えていけば、地球は暖かくなっていく。

 現在、どちらであるか確かめうることで、まだ明らかでないこと。

     この窓を開ければ、港が見えるはずです。

 それから、事柄Aが将来確実に起こることでも(つまり「仮定」の話ではな

くとも)これらの形式が使えます。

     目が覚めたらすぐこれを飲んで下さい。(「目が覚めない」ことは考慮の外)

     時がたてば、彼も元気になりますよ。(「時がたつ」のは当然)

 現在、すでに起こったこと、確定したことを「条件」の形でいうこともあります。

     ここまで来れば、もう大丈夫だ。

     君がいてくれるなら、安心だ。(「僕は残る」と聞いた後で)

 過去のことについても、「仮定」による条件表現があります。過去の事柄の場合の「仮定」は、

  a それが起こったかどうかわからない場合に、起こったと仮定する場合

  b 事柄Aが起こったことを知っているが、起こらなかったと仮定して、事柄Bについ

    て述べる場合

の二つ(bの「起こった」と「起こらなかった」を入れ換えた場合も含む)があります。

bは「反事実の仮定」とか「反実仮想」などと言います。

     飛行機が定刻に向こうを出たなら、そろそろ着くころだ。

     (定刻に出たかどうか知らない)

     この単位さえ落とさなければ、卒業できたのに。

     (事実は:その単位を落とした→卒業できなかった)

 「~ば」と「~と」は、過去の習慣的な事柄も表します。これは「条件」の表現と言えます。

     あのころは暇があると/あれば 映画を見に行った。

     秋になれば/なると、まわりの山が真っ赤に紅葉しました。

 それから、「~たら」と「~と」は、単なる過去の一回の事実も表せます。「条件」という意味合いはありません。もちろん、ある種の含みがあるわけですが。

     きのう図書館へ行ったら、田中さんに会いました。

     田中さんは、私の顔を見ると、にっこりしました。

     家に帰ると、彼から手紙が来ていました。

 主節が疑問文になるのは当然のことですが、条件節の中に疑問語が入ることがあります。

     このスイッチを押すとどうなりますか。

     こうすれば、本当にうまく行くんですか。

     どれに乗ったらいちばん早く着きますか。

     あなたは、いったい何をどうすれば満足してくれるんですか。

     何を入れるとそんないい味になるんですか。

 以上の例の中に、「~なら」の例はあまり多くありませんでした。それだけ独特の意味を表すわけです。

     飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。

     夢を見ているのなら、早くさめてくれ!

     君がそう言うのなら、こっちも手加減しないよ。

 なお、「~と/ば/たら」が「いい」などと組合わさった形、

     ~すると/すれば/したら いい

     どう すれば/したら いい

     ~したら どう(です)(か)

などは「33.勧め・忠告」でとりあげました。

 では、それぞれの形式の様々な用法を見ていくことにしましょう。


49.2 ~たら

 いちばん使い方が広いものです。ただし、話しことばに多く、書きことばではあまり使われません。これがまず特徴の第一です。

 後で見るように、「~ば」と「~と」は繰り返し起こることによく使いますが、「~たら」は一回のこと、個別的なことによく使います。ですから、日常的なことの中で、使う回数は多いのです。

 まず、将来のこと、そして現在のことから。

   a (もし)あした雨が降ったら、どうしますか。

   b (彼は午後来る予定)彼が来たら、これを渡してください。

   c 夏が来たら海へ行こう、と思った。

   d いくらですか。高かったら、買いませんよ。 

 「AたらB」のAは、将来の、どうなるか分からないこと(a)も、そうなる予定のこと(b)も、必ず起こること(c)も、現在すでに決まっていることだけれども、まだ知らないこと(d)も、みんな「~たら」で言えます。

 それがいつにせよ、「AたらB」のAが成立した場合(dでは話し手または聞き手がその事柄を知ったとき)を想定して、その次のことを述べています。A・Bが動きの動詞の時は、その二つのことが起こる順序は必ず、「A→B」です。「高かったら」のような状態の述語の場合は、順序はありませんが、やはりAの事態は「成立」していて、その上でBのことが起こります。次の例もそうです。

     お金があったら、少し入れて下さい。なかったら、いいです。

     会場に彼女がいたら、少し待たせておいて下さい。

     暇だったら、遊びにおいでよ。

     入場料が二千円以上だったら、見るのはやめよう。

 もう一つ注意すべきことは、主節のムードが自由なことです。上の例でも、「渡してください」や「行こう」のようなムードの複合述語が出ていました。

これは、「~ば」や「~と」と違う点です。

     お金を拾ったら、交番に届けましょう。

     持って行きたかったら、持っていけ。

     殴られたくなかったら、二度と来るな。

 最後はちょっとこわい例文ですが、こういう時も「たら」が使えます。

 もちろん、人間の意志的行動だけでなく、自然現象についても言えます。

     雨が降ったら、少し涼しくなるだろう。

     木の葉が落ちたら、もっと見通しがよくなるよ。

 「~ば」や「~と」を使う方がいい時、つまり繰り返し起こること、必ず起こることに「~たら」を使っても、間違いとは言えません。

     重いものを水に入れれば(入れると)、沈みます。

     重いものを水に入れたら、沈みます。

 「~たら」の方が話しことばで、「軽い」感じがします。「~ば」や「~と」では「真理」を述べているという感じですが、「~たら」にすると、そういう真理があるから、「今入れたら」沈みますよ、と聞き手に告げているような印象です。初めにも述べたように、「~たら」は個別的な事柄によく使われます。

 

[「仮定」でない用法]

 以上の例は、「もし」という、ある条件を仮定してその帰結を述べる「仮定条件」が基本でしたが、現に事実であることを「条件」として述べる場合があります。発話時に成立している(話し手と聞き手が知っている)事態を「~たら」で表すこともあります。現場指示の指示語で具体的な量・程度などを示しながら使われるようです。

     これだけやったら大丈夫だろう。

     あんなに強く押しつけたら、壊れちゃうよ。

「強く押しつける」のは現に行っていることです。「~たら」は仮定のことばかりではありません。あることを「した」、その論理的な帰結はどうか、ということで、未定のことでも、既定のことでも使えるわけです。

     あんなに美人だったら、男たちが放っておかないだろうね。

     男だったら 泣いたりせずに 父さん母さん大事にしてね (瀬戸の花嫁)

 後の例で、聞き手は「男(弟)」ですから、「男だったら」というのは仮定ではありません。

 過去の事実に関しても使えます。あることが成立したあとに、あまり予期していなかったことが続いて起こったことを表します。これは「条件」とは少し違う用法です。「継起」の一種ですが、主体や述語の意味に制限があります。

     ドアを開けたら、冷たい風が入ってきました。

     雪がやんだら、青い空が広がりました。

     実際に日本に来てみたら、日本に対する見方が変わりました。

 これは、「~と」でも言えます。「~たら」のほうが話しことば的です。

 「~たら」の主節の述語に話し手の意志的な動作が来ることはできません。この文型は、基本的に「あることが起こった、その後どんなことが起こったか」、を述べる文です。話し手自身の意志的な行動は言えないのです。

    ×私は、立ち上がったら、皆に話しかけた。(○立ち上がって)

    ×彼が帰ってきたら、私はそのことを教えた。 

 従属節だけなら話し手の動作でもかまいません。     

     私が立ち上がったら、皆黙り込んでしまった。

 条件表現なら、このような制限はありません。意志をはっきり言えます。

     あいつが来たら、僕は絶対帰るよ。

 次の文は、すぐ後でとりあげる「反事実」の例です。

     あいつが来たら、僕は絶対帰ったよ。(実際は来ず、帰らなかった)

 主題が共通の場合は、「~て」で言えることがあります。

     (私は)実際に日本に来てみて、日本に対する見方が変わりました。

     雨に当たったら、色があせてしまった。

     雨に当たって、色があせてしまった。

「~たら」のほうが、「その結果、どうなったか」という問いに対する答え、という面を持っています。     

 また、あることを「発見」するような場合にも使えます。条件節は主体の動作で、主節は物事の状態です。これも「~と」で言えます。

     外に出たら、いい月夜だった。

     箱を開けたら、小判が入っていた。

     うちに帰ったら、手紙が来ていた。

この場合は、Aの成立以前からBの状態が存在していたわけですが、Bのことを話し手が知るのは、Aが成立した時点です。

 逆に、Aが状態でBが動きの場合もあります。

     部屋でテレビを見ていたら、呼び出しの電話がかかってきた。


[反事実]

 現在の事実ではないこと、過去の事実と反対のことも言えます。

     わたしが金持ちだったら、授業料がただの学校を造ります。

     この学校へ来る前にもっと日本語を勉強していたら、楽だったんでしょうね。

 本当は「勉強しなかった」だから「楽ではなかった」のです。

過去のことを言う場合は、違った解釈ができる場合があります。

     ヒントを見たらわかった。

は、実際に「見て、わかった」場合と、「もし見たら、わかった(のに)」という場合にも使える文です。次の文も同じです。

     もう一度やり直したら、もっとうまくできたよ。

 その違いは、文脈から判断します。


[~のだったら]

 述語を「~のだ」で受けた形が条件節となると、また特別の注意が必要です。

     彼も来るんですか?いやだなあ。彼が来たら、私は帰ります。

     彼も来るんですか?彼が来るのだったら、私は帰ります。

 「来たら」は、「彼が来た」あとで「帰ります」、つまり、主節の内容の実現が、条件節の内容を条件として成立することを述べていますが、「来るのだったら」は、「来る」という判断の成立が、「帰る」という意志を持つための条件になる、という意味です。「帰る」のがいつかは特に述べていません。発話のすぐ後か、「彼が来る」前か、あるいは特別な文脈があれば、その後でもかまいません。

     彼が来るのだったら、彼に仕事の引継をしてから帰ります。

次の例では、「彼」はもう来ています。

            何だ、彼も来ているのか。彼が来ているのだったら、私は帰るよ。

 このような「V-ている」や状態動詞、形容詞では、もともとAとBの前後関係ということはありません。問題になるのは、Aの成立がBにとって必要だということでした。「~たら」と「~のだったら」ではその「Aの成立」のしかたに違いがあります。

   a 来週の会、都合が悪かったら欠席してもいいですよ。

   b 来週の会、都合が悪いんだったら欠席してもいいですよ。

 bでは、「都合が悪い」ことは発話の時点でわかっています。「都合が悪い」という自体が実際に成立するのは「来週」ですが、そうなることは今からわかっているのです。aでは、今わかっているかもしれないし、その時にならなければわからないかもしれません。後者の意味では「(その時)都合が悪くなったら~」のように動詞「なる」を使って言うこともできます。

 Aの内容が成立することを話し手が判断するとき、その場の状況や相手の態度・言葉などがその材料になります。上の例でもそうでした。

     ケーキ、食べないの?食べないんだったら、私がもらお。

     あいつ、暇なんだったら手伝いに来てくれてもいいのになあ。

「食べなかったら・暇だったら」とすると、本当にそうかどうかはわかりません。「~のだったら」と言えるのは、話し手が何らかの根拠によってそう判断しているからです。

 Bの述語は、意志を表明したり、何かを勧めたり、何らかのムードを表す表現が来ます。

 「~のだ」の前には過去形も使えるので、次の形もあります。

     彼が来たのだったら、私は帰ります。

この場合の事柄の順序は、当然A→Bとなります。

 以上の「~のだったら」の用法は、あとでとりあげる「来る(の)なら」つまり「~なら」と同じです。これらの使い方はまた「~なら」のところでくわしく扱う予定です。また、「~ば」のところでは「~のであれば」という形があり、同じような用法になります。

 「~たら」で注意しなければならないことは、「~ば」や「~と」との違いももちろんですが、後で出てくる「なら」との使い分けが大切です。条件を表す「動きの動詞+たら」では、その「後で」主節の事柄が起こることに注意しておいて下さい。


49.3 ~ば 

 これも比較的広く使える形です。基本的には、当然そうなること、一般的なことに多く使います。「~たら」と比べると少し書きことばですが、話しことばでも広く使われます。

     春が来れば、花が咲きます。                 

     たくさん食べれば、太ります。                

     日曜日は、天気が良ければ、散歩にでかけます。       

 この例はことわざに多く見られます。

     楽あれば苦あり

     犬も歩けば棒に当たる

     住めば都

 一回だけのことにも、使えます。(=たら)         

     あなたが参加すれば、彼もきっと来ます。      

     明日、雨が降れば、運動会は中止にします。    

     今日の6時にここに来れば、田中さんに会えますよ。

 「~ば」の場合も、「~たら」と同じように、Aが成立した状況で、Bのことが起こります。

 「~ば」の制限としてよく言われるのは、主節の述語に制限があることです。命令や強い意志などを表わす文はだめです。

    ×間違いを見付ければ、すぐ直しなさい。(→たら) 

    ×ご飯を食べれば、散歩に行きましょう。(→たら) 

    ?雨が降れば、中止にしよう。 

 しかし、Aの述語が非意志的な状態の時は、使えます。

     次の文に間違いがあれば直しなさい。

     何か不満があれば、どうぞ言って下さい。

     食べ物が足りなければ、買いに行きましょう。

     帰りたければ、帰りなさい。 (「希望」は意志ではない)

     安ければ、たくさん買おう。

    ×風邪をひけば、すぐ薬を飲みなさい。(○ひいたら)

    ?彼がいれば、連れてきて下さい。  (○いたら)

 名詞述語とナ形容詞、つまり「~だ」の形の述語の場合は、バ形が特別なので後でとりあげます。

 状態でない例でも、相手の行動に指示を出し、それに対する話し手の行為を聞き手に教える場合は、なぜか言えます。あとで見る「~と」の「警告」の場合に似ています。

     試験で合格点に達しなかった人も、以下の指示に従ってまじめなレ

     ポートを提出すれば、単位を認めます。

     降伏すれば、命だけは助けてやろう。

     身代金さえ払えば、子どもは必ず返す。

 もう一つ、「~ば」の特徴としてよく言われるのは、「AすればB」は「AしなければBではない」を含みとして持つことが多い、ということです。

     たくさん食べれば、太ります。

ということはつまり、

     たくさん食べなければ、太りません。

ということです。

     天気がよければ、散歩に行きます。

は、「よくなければ、散歩に行きません。」を意味します。これは論理学で習うこととは違いますが、我々のふつうの考え方です。そして「~ば」は「~たら」や「~と」よりも強くそれを暗示します。

 「仮定条件」でない場合にも使えることは「~たら」と同じです。

     これだけあれば、十分です。(きっとうまくいきます)

     ここまでやれば、あとはかんたんです。

 過去のことになると、習慣的なことでなければなりません。個別的な、一回起こったことには使えません。

     高校生の時、暇さえあればテレビばかり見ていました。

     改札口を出れば、そこには必ず彼が待っていました。(彼=ハチ公)

    ×トイレのドアを開ければ、父がいました。(いつも父がいた??)

     (○開けたら:ある一回限りのこと) 

 事実に反することには、過去の個別的なことでも使えます。

     もっと足が速ければ、試合に出られるんですが。

     彼女が来ていれば、僕の潔白を証明してくれるんだけどなあ。

     君がいれば、もっと楽しかったんだが。(=いたら)(実際は、いなかった)

     あのまま広島に住んでいれば、原爆で死んでいただろう。

 文末が「~が/けど/のに」「~だろう」などになります。


[名詞/ナ形容詞+なら]

 「49.1 概観」で見たように、名詞述語・ナ形容詞の「バ形」は「~なら」と考えます。ここが「~たら」や「~と」と違う点で、後でとりあげる「~なら」とも関係します。「~ならば」が元の形ですが、かなり硬い、古い表現で、めったに使われません。「~だったら」とほとんど同じで、状態ですから文末のムードの制限もありません。

     明日、雨なら試合は中止にしよう。

     3割引なら、絶対買いなさい。

     次の日曜、暇ならうちに来ないか。

     子供が男なら野球をさせる。女ならゴルフをさせる。夢はプロだ。

     それが事実ならば、首相が辞任せねばなるまい。

     今日がだめならあしたがあるさ。あしたがだめならあさってがあるさ。あさって

     がだめならしあさってがあるさ。どこまで行ってもあすがある。

     (ドン・ガバチョの歌)

 事実に反する仮定の例。AもBも事実ではありません。

     これが千円なら買うんだけど。

     もし私が男なら、女を差別したりしない。

     これが夢なら、早くさめてほしい。 

  

[主題のナラとの関係]

 「9.6 主題を示す助詞」で「Nなら」という助詞をとりあげました。

     「加藤さんは?」「加藤さんなら電算室にいるよ。」

     「コーヒーはある?」「ないんだ。紅茶ならあるけど」

 この「Nなら」と名詞述語の条件表現との区別は微妙です。

     学生なら学生らしくしろ。

     「私のケーキ、どこ?」「え?昨日のケーキなら、食べちゃったよ」

これらは「(お前が)学生なら」「(話題になっているのが)昨日のケーキなら」のように考えて、名詞述語の条件表現と見なします。


[~であれば]

 「~だ」には「~である」という形があり、そのバ形は「~であれば」になります。多少硬い言い方ですが、よく使われます。 

     価格が3万円以下であれば、ヒット間違いなしだ。

     会場が近くであれば、多くの人が参加してくれるだろう。

     容器が透明であれば、残量が一目でわかる。

     弁護士を頼んでくれ。弁護士であれば誰でもいい。 

[~のであれば]

 イ形容詞や動詞が「~のだ」を受ける場合、その「だ」が「であれば」になるので、「~のであれば」という形になります。これは「~のだったら」「~(の)なら」と同じ用法になります。

     資金がないのであれば、どんな計画も絵に描いた餅だ。

     彼がそういうのであれば、きっと間違いないだろう。

     彼女が了解しているのであれば、私には何も言うことはない。

     

[~ば~ほど]

 「~ば」はいくつかの慣用的な文型があります。まず、「~ば」と基本形が組み合わされた文型です。

     小さければ小さいほどいい。

     奥へ進めば進むほど、暖かくなってきた。

     考えれば考えるほど、分からなくなる。

 述語の示す程度がより大きくなると、それに応じて主節の述語の程度も増すことを表します。主節が過去でも「×したほど」にはなりません。

 最後の例の「考えれば」というのは程度の表現ではありませんが、「より深く」という程度を意味として含んでいます。逆に言えば、この「~ば~ほど」という文型が程度を表す文型なので、「考えれば」が程度を表していると解釈できるのです。


[Aも~ば、Bも~]

列挙の表現です。「~し、~」と近い表現です。

     金もなければ、暇もない。(金もないし、暇もない)

     嵐も吹けば、風も吹く。

 この「も」は複合述語の間に割り込むこともあります。

     会いたくもなければ、話したくもない。    

     (会いたくもないし、話したくもない)


49.4 ~と                           

 これも一般的なこと、習慣的なこと、「いつも」そうであることによく使います。「V-と」の場合は、時間的に「すぐ続いて起こることを示す」という意味もあります。そのため、「継起」の表現とも言われます。

     朝起きると、歯を磨きます。              

     春になると、花が咲きます。           

     1に1を足すと、2になる。              

     あの角を右に曲がると、郵便局があります。       

     先生は学生が間違えると、(すぐ)直します。     

     私はコーヒーを飲まないと、夜眠れません。

     仕事が忙しいと、なかなか釣りに行けない。

     信号が赤だと渡れない。

 「~ば」とだいたい同じですが、「~ば」の方が、「条件」という意味が強くて、「そうでない場合」と比較する気持があります。

     春になれば、花が咲きます。(その前には、まだ咲きません)  

 ですから、「朝起きると」の例を「~ば」にすると、少し変です。

    ? 朝起きれば、歯を磨きます。(起きなければ?)

    cf. 朝早く起きれば、歯を磨きます。(遅い時は、磨かずにすぐ学校へ行く)

 「~と」のほうは、「あることAが起きる」→「自然にあることBが起きる」というような意味合いです。それ以外の場合のことは特に考えず、二つの事柄の自然な結びつきを言うことに重点があります。そこで、「もし」という仮定の意味を強めることばは使いにくくなります。

     もし、停電になったら、非常に困ります。

     停電になると、非常に困ります。(当然の成り行きとして) 

 仮定の話ではあるのですが、何となく一般的な問題にすり替えられているようです。個別的なことも言えます。

     明日、雨が降ると、遠足は延期になって、授業があるんです。

     今、あなたが辞めてしまうと、私達は大変困ります。

この辺では、「たら」との違いはほとんどありません。


[ムードの制限]

 「~と」で大切なことは、主節が意志、命令、その他の強いムードを表わす文には使えないことです。(いつも、のことですから。)

 学習者はよくここを間違えるので、しつこく注意することが必要です。

    ×店ヘ行くと、わたしにも果物を買ってきてください。(→たら) 

    ×授業が終わると、買い物に行きたいです。  (→たら)

    ×明日、天気がいいと、サッカーをしましょう。(→たら・ば)

    ×暇があると、勉強しなさい。        (→たら・ば)

 ただし、次のような例もあります。警告・注意などの場合は例外になるようです。

     動くと撃つぞ。

     そんなこと言うと怒るよ!

     こら、早く起きなさい!起きないと、くすぐっちゃうぞお!

 「動いたら撃つぞ」では何だか迫力がありません。「動く→撃つ」が「すぐ、自然なつながりとして起こる」というところが重要なのでしょうか。この例の場合、「ぞ」は「撃つぞ」というかかり方ではなくて、

     [動くと撃つ]ぞ

であると考えられます。つまり、主節にかかるのではなくて「動くと撃つ」という一般的に認められる(?)ことが(「私」の判断の余地なく)ここでも成り立つぞ、と言って警告しているのでしょう。


[「仮定」でない用法]

現在のこと。

     こうやってじっとしていると、外の様々な物音が聞こえてきます。

     みんなで食べるとおいしいね。(現に食べているときに)

一般的に言えることが、現在まさに成り立っているということでしょう。

 過去のことにも使えます。習慣も、一回のことも。

     昔は、大雨が降ると、必ず洪水になった。

     子供のころは、朝起きると必ず体操をしました。

     電車が止まると、すぐドアが開きました。

     雨が上がると、涼しい風が吹いてきました。

     僕が一口食べると、彼女が「どう?」と聞いた。

 過去の事実を客観的に叙述するこの用法は、「~と」の基本的な用法の一つです。小説などで事態の描写に多く使われます。「~たら」でも言えますが、話しことば的です。

 この用法で、「~たら」は否定の述語を受けられますが、「~と」はできないようです。

     落とし物を届けたら、警官に名前を聞かれた。

     落とし物を届けると、警官に名前を聞かれた。

     宿題を出さなかったら、あとで怒られた。

    ?宿題を出さないと、あとで怒られた。

     その夜、鍵を掛けなかったら、泥棒に入られた。

    ?その夜、鍵を掛けないと、泥棒に入られた。

 「~と」にすると、何度も繰り返されたことのようです。

     宿題を出さないと、あとでひどく怒られたものだ。

 「~と」は、同一主体の連続的な動作を描写することができますが、これは「~たら」にはない用法です。

     船は、汽笛を鳴らすと、静かに岸壁を離れていった。(?たら)

     彼女は、顔を上げると、きっぱりとこう言った。

 これは、「~て」を使って言うことができます。

     船は、汽笛を鳴らして、静かに岸壁を離れていった。

     彼女は、顔を上げて、きっぱりとこう言った。

 話し手自身の意志的な行動が主節に来にくいことは「~たら」と同じですが、書き手が自分の行動を客観的に描写しようとする場合は可能になります。

     私はベッドから飛び起きると、ドアを開けた。(×たら)

     私はベッドから飛び起きて、ドアを開けた(んです)。

この「~と」と「~て」の比較は「49.10 まとめ」のところでします。

 ある状態を「発見」する場合にも使えます。ある動作の結果、ある状態の存在に気づきます。「~たら」にもあった用法です。「~と」のほうが少し書きことば的です。

家に帰ると、田舎の母が来ていました。

     窓を開けると、気球が浮かんでいました。

逆に、条件節が状態の場合もあります。

     座ってしばらく待っていると、ノックの音がして、ドアが開いた。

     彼が不思議に思っていると、友だちがわけを話してくれた。

 以上のように、過去のことに関する使い方は「~たら」と似ていますが、過去の事実に反することは言えません。一部の状態性の述語では可能なようですが、その制限はよくわかりません。現在の事実に反することでも同様です。

    × あの時君と結婚すると、幸せになれただろう。(○したら/すれば)

     あの時、君がそばにいてくれると、とても助かったんだがなあ。

    × 私があなたの立場だと、やめておきますね。(○だったら/なら)

     これで、子どもでもいると、にぎやかになるんでしょうがねえ。(いない)

「~とよかったんだが/いいんだが」とすればよくなりますが、それは「~といい」という一つの文型と考えられます。


49.5 ~なら                             

 この形は、「~だ」のバ形と同じです。そして、これが名詞・ナ形容詞だけでなく、動詞・イ形容詞を受け、「~たら・ば・と」とは違う用法を持つことが条件表現の難しさの大きな原因になっています。

 これは他の三つとは使い方が大きく違います。他の三つは、条件節のことと同時か、その後で、主節のことが起こりますが、「~なら」はその制限がありません。また、「~と」や「~ば」とは反対に、文の終わりは命令、依頼、忠告などのムードになることが多いのです。また「概観」でも見たように、「するなら/したなら」の対立があるという点でも他の三つの形式と違います。

 「~なら」の用法は、前に「~のだったら」で述べたことがあてはまります。

     彼が来るなら、私は帰ります。

 「来る(の)なら」は、「来る」という判断の成立が、「帰る」という意志を持つための条件になる、という意味です。「帰る」のがいつかは特に述べていません。発話のすぐ後か、「彼が来る」前か、あるいは特別な文脈があれば、その後でもかまいません。

     彼が来るのなら、彼に仕事の引継をしてから帰ります。

 「~なら」のもう一つの特徴は、最後に取りあげる用法を除いて、多くの場合、「~のなら」の形にしても意味はほとんど変わらないことです。「~のなら」に換えられない場合は、「するなら/したなら」どちらでも使え、意味が変わらないという点で、他の用法と違います。これは最後にとりあげます。 

 ではまず、「と/ば/たら」との比較のために、三つの形の復習をしてみましょう。AとBの順序に注目して下さい。  

     雨が降ったら、行きません。       (降る→行かない)

     田中さんが来たら、これを渡してください。(来る→渡す)

     春になると、花が咲きます。       (春になる→咲く)

     右に曲がると、ポストがあります。    (曲がる→ある) 

     薬を飲めば、治ります。         (飲む→治る)  

     質問があれば、いつでもしてください。  (ある→する)

 どれも皆、Aが成立した状況で、Bのことが実現します。  

「なら」はその制限がありません。まず、順序が逆の例。「その前に」します。

     日本へ行くなら、日本語を勉強しなさい。(勉強する→行く)

     歌を歌うなら、向こうで歌ってください。(向こうに行く→歌う)

     台風が来るなら、屋根を直しておかないと。(直す→台風が来る)

 「今、Aの事柄が予定・意思として存在する」ことを前提として、Bのことを言います。実際に事柄が起こる順序はB→Aになります。

     飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。

 「~たら」との対照のいい例です。「酒を飲んだあとでは車を運転するな」という意味が「~たら」で示されます。「車を運転する予定がある人は、その前に酒を飲むな」ということは「~なら」で表せます。

 「A→B」の順になる場合もあります。それは、事柄の内容によって決まります。

     日本へ行くなら、ことばだけでなく文化も勉強してきなさい。

     旅行に行くなら、おみやげを忘れないでね。

 前後関係のない例。

     屋根を直すなら、壁も塗り替えたほうがいい。

     あなたが会社を辞めるなら、私も辞めます。

     家を造るなら、草の匂いのするカーペットを敷きたいと思うのであります。

 AもBも一緒にするわけです。実際には、多少時間があとになるかもしれませんが、その差は問題にしていません。

 次のような「勧め」には、動作の前後ということは関係ありません。

     日本料理を食べるなら、やっぱりにぎり寿司だね。

     冬に旅行に行くなら、北海道がいちばんいい。

     あの大学に入る(の)なら、加藤先生の授業を受けなくちゃ損だ。

 次は、Aが心理を表す述語の場合。前後ということはありません。

     そうしたいなら、そうしてもいいよ。

     あなたが望むなら わたし何をされてもいいわ

 次の例は「なら」の前のことばが状態を表していて、その成立を想定しています。つまり、「~たら」や「~ば」で言うことができます。

     暑いなら、上着を脱いでもいいですよ。(=たら/ば)

     そんなに暇なら、ちょっと手伝ってくれませんか。(=だったら)

     こんなに安いなら、たくさん買えるね。(=たら) 

     あなたが言わないなら、わたしも言いません。(=ば) 

 「こんなに安いなら」の例では、現に「安い」という事実が成り立っていて、そこで話し手の判断が行われています。

 以上の例をみて分かるように、「~なら」の節のもう一つの特徴は、「あなたが言ったこと・すること」や、「今目の前にある事実」が多いということです。そのことについて、話し手の判断や、意見を言うときに「~なら」を使うのです。 

     かわいい妹さんがいるなら、紹介してください。

     (「妹がいる」と聞いて)

     かわいい妹さんがいたら、紹介してください。

     (いるかどうか知らない)


[~たなら]

 「~なら」は、述語の過去の形も受けるので、「するなら/したなら」の形の対立があります。

     彼がやるなら、彼に任せよう。

     彼がやった(の)なら、彼に責任がある。

     三上研究会に出ているなら、山口さんを知っているでしょう。

     三上研究会に出ていたなら、山口さんを知っているでしょう。

     元気なら、会いたいですね。

     元気だったなら、どうしてクラス会に来なかったんでしょうね。

 「~と/ば/たら」は、過去の事実に反する仮定はできますが、過去の事柄を条件節として何かを言うことはできません。これも「~なら」に固有の用法です。

     彼がやったら、彼に責任がある。

では、将来のこと、あるいは一般的な判断です。

     3時に向こうを出た(の)なら、そろそろ着くころだね。

「3時に出た」というのは、話し手が確実に知っていることではありません。もし知っていたら、

     3時に向こうを出たから、そろそろ着くころだね。

となります。

     3時に向こうを出たら、そろそろ着くころだね。

という文はどうでしょうか。私は、少し安定しない感じがしますが。

 「~た」が現在の状況を表す場合。

     道に迷った(の)なら、あそこの交番で聞くといいですよ。

 これを「~たら」にすると、「今」のことではなくて、一般的な場合の想定になります。  

     道に迷ったら、交番で道を聞くといいです。


[~のなら・~のだったら]

 初めに述べたように、一部の用法を除いて、「~なら」は「~のなら」にしても同じです。例によっては多少の違いを感じますが、それが、用法としての違いなのか、単なる語呂の良さのようなものなのかはっきりしません。今はとりあえず同じものとしておきます。

 そして、前に「~たら」のところで触れたように、「~のだ」を受けた「~たら」つまり「~のだったら」は、「~(の)なら」とほとんど同じです。これまでの「~なら」の例はみな「~のだったら」で言うことができます。

     パソコンを買うなら、この店がいいですよ。

     パソコンを買うのだったら、この店がいいですよ。

     それでいいのなら、そうしましょう。

     それでいいんだったら、そうしましょう。

     私がやるんだったら、もう少し時間をもらわないと。

     別れるんだったら早く別れなさいよ。

     おいしくないんだったら食べなくていいよ。

 この「~んだったら」の形は話しことばで非常によく使われます。


[反事実]

 「~なら」は、事実に反することを言う場合にも、「~と/ば/たら」とは

違った特徴があります。

 まず、「~ば/たら」の反事実の言い方を復習しましょう。

     電話してくれたら/くれれば 迎えに行ったのに。

  実際は「電話」も「迎えに行く」こともなかった、つまり条件節も主節も事実と違うのが、「~ば/たら」の「反事実」の用法です。事実と違うことをした場合を想定して、もっと違う結果であるはずだった、というのです。

 では、「~なら」の場合。

     こんなに荷物があったのなら、駅まで迎えに行ったのに。

「荷物があった」のは事実です。「迎えに行った」というのは事実に反します。「~なら」の「反事実」の用法は、事実を条件節で述べて、そのような前提からは次のような内容が出てくるべきだ、ということで事実と違う主節を述べます。これは他の形式では言えない内容なので、「~なら」の重要な用法です。

(上の電話の例で「電話してくれたなら」とも言えますが、これは「×電話してくれたのなら」と言えません。次のページを見て下さい)

 自分の行動についての後悔や、相手の行動に対する(軽い)非難などを表すためによく使われます。

     家を建てるのなら、いい大工さんを紹介してあげたのに。(もう建てた)

     こんな安くなるのなら、株なんか買うんじゃなかった。(株を買った)

 上の例の「建てる」は「建てた」とは言えません。「建てるつもりだった時に相談してくれれば」という気持ちです。事実としては、今、すでに建っているか、建築途中です。「~なら」は「するなら/したなら」の対立があるので、どちらの形にするか注意して選ばなければなりません。

 主節全体が「反事実」なのではありませんが、「V-てほしかった」のような、事実と違う行動を相手に期待していたという意味を表す形が主節に来る場合が多くあります。

     おいしくないなら、そう言ってよ。言わないから、あたしも買っちゃったわ。 

     困っちゃうなあ。来るなら先に電話しておいてよ。

     見たのなら、そう証言してくれればよかったのに。

     どうせあたしをだますなら 死ぬまでだましてほしかった

 なお、「~のだったら」の形は「~なら」と同じになります。

     来るのだったら、駅まで迎えに行ったのに。

     彼が好きだったんなら、はっきりそう言えばよかったじゃない。黙っているか

     ら、あんな女にとられちゃったのよ。

     彼が好きなんだったら、はっきりそう言えばよかったじゃない。

「だったのなら」「なのだったら」という形の違いに注意して下さい。意味は、結局同じです。


[「~のなら」が言えない用法]

 「~なら」はほとんどの場合「~のなら」とも言えます(多少の自然さの違いはあります)が、次の用法は特別です。「~のなら」では不自然です。

     この実験に失敗したなら、二度とチャンスは来ないぞ。    

     彼女と結婚できたなら、きっと幸せな家庭を築くだろう。(将来)

     このまま強い雨が続いたなら、洪水の恐れが大きくなる。

     ジョニーが来たなら伝えてよ 二時間待ってたと (ジョニーへの伝言)

 これらの例はみな「A→B」の順序になっていて、「~ば/たら」で言い換えることができるもので、そのほうが自然な話しことばになります。また、例は「~たなら」にしましたが、「~るなら」でも言えます。

     このまま強い雨が続くなら、洪水の恐れが大きくなる。

 上の「彼女と結婚できたなら~」の例は、将来の事柄です。過去のこと、つまり、結婚しそうだったがその後どうなったか知らない、というような文脈なら、すでにとりあげた「~たなら」と同じ用法で、「~たのなら」にできます。

     彼女と結婚できたのなら、きっと幸せな家庭を築いただろう。

 主節のムードが意志や命令・勧めなどに限らない点も、すでに述べた用法とは違います。

 事実に反する仮想の場合。ちょっと大げさな感じがします。

     あの時、あなたに会わなかったなら、今の幸せはつかめなかったでしょう。

     (=会わなければ/会わなかったら)

     もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう。

実際は「会った」し、「幸せをつかんだ」わけで、条件節も主節も事実に反します。「~ば/たら」の用法と同じです。

 次の例は二つの意味になります。

     これが好きなら、もっとあげたのに。

 実際に好きだったけれども、そう言わなかったのでもうなくなってしまった場合と、実際には好きでなかったのであげられなかったという場合です。食事のあとで親が小さな子どもに言っている場面を想像して下さい。「~なら」の二つの用法の違いによります。


[ものなら]

 形式名詞の「もの」を付けた形は、多く可能表現を受けて、そうなる可能性の少ない事柄の実現を条件とすることを表します。

     生きられるものなら、100まで生きてみたい。

     あいつを助けてやれるものなら、何でもするんだが。

     あんたにできるものならやってごらん。

     がんばって何とかなるものなら、ぜひやってみるべきだ。

     忘れられるものならば もう旅になど出ない

 「~なら」でも言えますが、気持ちのこもり方が違います。

     あんたにできるならやってごらん。

 「~ものなら」のほうは、「どうせできないだろうけど」という反語の気持ちが感じられます。


[V-(よ)うものなら]

Aはやはり起こりそうもないことで、Bは何か大変なことが起こることを表します。少し大げさな表現です。

     ちょっとでも口答えなんかしようものなら、うちから追い出されてしまうよ。

     そんなことを言おうものなら、社長の雷が落ちるよ。

     この時期に雪でも降ろうものなら、農作物が大被害を受けるだろう。

 この文型で注意すべきことは、「~たら」で言えることです。逆に「~なら」では言えません。事柄の起こる順序は「A→B」です。    

 以上の4つの形「と/ば/たら/なら」が、条件表現の中でいつも問題になるものですが、ほかにもいくつか条件を表す形があります。それを見てみましょう。まず、基本的な「逆接」の条件を表す「~ても」から。

niwa saburoo の日本語文法概説

日本語教育のための文法を記述したものです。 以前は、Yahoo geocities で公開していたのですが、こちらに引っ越してきました。 1990年代に書いたものなので、内容は古くなっていますが、お役に立てれば幸いです。

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