49.6 ~ても
逆接の条件表現です。形は「テ形+も」で、「~てもいいです」の「~ても」の部分と、「~なくてもいい」の「~なくても」の部分と同じです。
書いても 書かなくても 高くても 高くなくても
暇/雨 でも 暇/雨 でなくても
「~ても」の用法を、「~て」と結びつけて考えてみます。「~ても」はある事態を想定して、その状況でどうなるかを述べる表現ですが、他の事態が前提としてあって、それと同じようなことになることを述べます。
a 明日の集会は、口うるさいMさんが来て、大変な会になるだろう。
b ひねくれ屋のUさんが来ても、また大変だ。
aの「Mさんが来る→大変だ」に付け加えて、「Uさんが来る→それも大変だ」という気持ちで、「来て」に「も」が付いて「来ても」となっています。
名詞の場合の「AもBも」のように、いくつかの事態を並列することができます。
少し高くても、多少大きくても、問題はありません。
否定と並べることもできます。
数学ができても、できなくても、大したことではない。
「~たら/ば/と」の反対の条件を受けることもできます。
安かったら、買います。
私は、高くても、買います。
このような例が教科書でいちばんよく使われる例ですが、意味は、「~たら」
の裏側と考えると、わかります。
高かったら、買いません。/高くても、買います。
暇だったら、行きます。/暇でも、行きません。
見たら、わかります。/見ても、わかりません。
見なかったら、わかりません。/見なくても、わかります。
常識的な考え方に従えば、
高い → 買わない 暇だ → 行く
見る → わかる 見ない → わからない
になるのですが、そこで、あえて逆の考え方をするのが「~ても」です。
高い →(けれども)買う 暇だ →(けれども)行かない
見る →(けれども)わからない
見ない →(けれども)わかる
これはちょうど「~ので」に対する「~のに」の関係に似ています。
お金持ちになったので、うれしい。
お金持ちになったのに、うれしくない。
しかし、この「~のに」や上のかっこの中の「けれども」と違うところは、
上の例の「~ても」は「仮定」の事柄についても言える点です。「高い」かどうかはわからないし、まだ「見て」いないのです。そこが、「仮定条件の逆接」であるゆえんです。
本当に「高かった」り、「見た」後では、
高くても、買った。
見ても、わからなかった。
などとなります。過去に使える点でも「~たら」に対応します。
高い → 買わない 見る → わかる
ということを予想して、例えば「見たらわかるだろう」という考えを持っていたのですが、実際は、
見た →(けれども)わからなかった
という、予想と違う事実になって、それを表現したものです。これも、次の「~たら」と対応する表現です。
見たら、(やっぱり)わかった。
というより、むしろ次の表現に近いと言った方がいいでしょうか。
見たたけれども、わからなかった。
この「けれども」との違いは、先ほどの「見る→わかる」という論理がよりはっきりと前提になっていた、あるいは仮定されていた、という違いでしょう。
「~ても」が過去の事実について使われる場合で、「高くても」のような状態性の述語の場合は、「~たら」では言えません。「~たら」で言える過去の事がらは、動作動詞で表される事がらです。「高かった」のような形容詞ではだめです。また、主節は話し手の意志動作ではありません。
×高かったら、買いませんでした。
cf. 値上げしたら、誰も買いませんでした。(過去の事実)
これが、事実でなくて、「反事実」なら言えます。本当はそうでなかったのだけれども、そうだったと仮定して、という場合です。
そうですねえ。高かったら買いませんでしたねえ。(実際は買った)
「~ても」も「反事実」に使えます。
高くても買ったでしょう。
事実は、「高くなかった。買った」です。これは、「~たら」と対応しています。
説明を聞いても、わからなかったでしょう。
説明を聞いたら、わかったでしょう。
(本当は聞かなかった。だから、わからなかった。)
形容詞の場合。
暇でも、行かなかっただろう。(事実は、忙しく、行かなかった)
暇だったら、行っただろう。(事実は、忙しく、行かなかった)
この場合は、「~たら」でも言えます。先ほどの「高かったら」の例と同じです。
次の例はちょっと特殊です。
そんなことを今更言われても困りますねえ。
「言われても困る」と言うより、「言われたら困る」、あるいは、次にとりあげる「~ては」を使って、「言われては困る」としたほうが論理的に合うような気がしますが、ともかくこういう言い方があります。後を省略して、
そんなこと言われてもねえ。
だけでもよく使われます。
[いくら・どんなに]
「どんなに」「いくら」などを使って、程度を強調する表現があります。
どんなに苦しくても、最後まで走ります。
いくらよく見ても、わからなかった。
「何」「誰」などの疑問語を使うと、不定語の「何でも」「誰でも」に近い意味になります。「どの場合でも」つまり「すべての場合に」です。
何が起こっても、責任は私がとります。
誰が来ても、中には入れません。
どの方法でやっても、うまくできませんでした。
これは「~けれども/のに」では言えません。
×いくらよく見たけれども、わからなかった。(×見たのに)
完全に、徹底的に見たけれども、わからなかった。
[たとえ]
「~たら」には「もし」という仮定を表す副詞が使えますが、「~ても」には「たとえ」という副詞があります。
たとえ雪が降っても、試合は行います。
「たとえ」は仮定の場合ですから、「~のに」「~けれども」とは使えません。「たとえ」は過去の事実には使えません。
たとえ死んでも、お前を離しはしない。
たとえ殺されても、秘密を話さない。(殺されたら話す?)
これはもちろん「たとえ=比喩」です。
[~たって]
「~ても」のくだけた話しことばの形です。形の作り方は、テ形のテのところに「たって」を入れます。イ形容詞の形に注意して下さい。
話す → 話したって 死ぬ → 死んだって
見る → 見たって 寝る → 寝たって
する → したって 来る → 来たって
長い → 長くたって いい → よくたって
暇だ → 暇だって 雨だ → 雨だって
タ形に「って」をつければよさそうなものですが、イ形容詞が違うのでそうは言えません。「長かったって」という形も聞くかもしれませんが、一般的とは言えません。否定を受ける形は「~なくたって」です。
(「長かったって言ってた」の「って」は、引用の「~と」の口語形で、ここの「~って」とはまったく別の形式です。)
意味用法は「~ても」とほとんど変わりません。
死んだって、話さない。
君はよくたって、僕には困るんだ。
いくら元気だって、老人にそんなことをさせちゃ危ないよ。
子どもだってわかります。
接続詞の「でも」に対して「だって」があるところまで同じですが、その意味・用法は少し違ってきます。(→「 」)
だって、そうじゃありませんか。
[V-(よ)うと/が]
動詞の意志形に「と」または「が」が続く形が「~ても」と同じような意味を表します。硬い言いかたです。
右へ行こうと、左へ行こうと、それは君の勝手だ。
授業中にマンガを読もうが、寝ていようが、先生は注意をしない。
何を言おうと自由ですが、自分のことばに責任を持って下さい。
あいつがどこで何をしようが、俺には関係ないことだ。
どんなにがんばろうと、彼女を超えることはできない。
[V-(よ)うとV-まいと/V-(よ)うがV-まいが]
「しようとしまいと/しようがしまいが」という形で、「してもしなくても」の意味を表します。
ホームに駅員がいようといまいと、事故が起きるときは起きるさ。
生徒が寝ていようが、マンガを読んでいようが、あの先生はぜんぜん気にしない
でしゃべっている。
金があろうとあるまいと、借りたものは返してもらおうか。(~となかろうと)
最後のかっこの中は、「ない」の推量形です。
[~にしろ/せよ]
上の文型に似て、「V-にしても」の意味を表しますが、こちらは命令形を使います。
どちらを選ぶにしろ、それぞれの特徴をつかんでおくことだ。
どんな男と結婚するにせよ、自分の夢を捨てないことだ。
やるにせよ、やらないにせよ、前もって連絡してほしい。
並列の「~て」に「は」がついた形が「~ては」で、それが「~の」による名詞節を受けて「~では」になった形が「~のでは」だと言えますが、意味はまた別に考えねばなりません。
49.7.1 ~ては
「~たら」に近い表現ですが、後に否定的な内容が来ます。「AてはB」のBが好ましくないことなので、それを引き起こすAを避けるべきだという意味合いになります。事実の説明なので、主節には意志・命令などのムードは来ません。話しことばでは「~ちゃ/じゃ」になります。
そんなことを言っては罰が当たるよ。
腹が減ってはいくさができない。
無理をしちゃ体に毒だ。早く帰って休みなさい。
ここにいては危険だ。
こんなことで死んじゃ笑いものだよ。
君にまで辞められては、チームはがたがたになっちゃうよ。
早く出発しなくては間に合わない。
こんなに高くては、とても手が出ません。
毎日こんなに暇じゃ申し訳ないね。
まだ三年目では、この仕事は任せられない。
「~たら」に近いということは、「~ても」と裏側の関係にあるわけですが、
雨が降ったら行かない。
雨が降っても行く。
に対して、
雨が降っては行けない。
というような場合に使われる点が違います。(「降ったら行けない」も可)意志の入った判断ではなく、否定的な状況にならざるをえない、ということを主節が表します。
なお、繰り返しを表す「V-ては」は別の表現です。
たまに来て、さんざんグチを言っては帰っていく。
寄せては返す波の音
49.7.2 ~のでは
「~ては」にかなり近い表現ですが、微妙に制限が違います。形の上では、述語を「の」で名詞化し、「~ては」がついた形となります。(名詞文の「だ」ですから「では」になります)
そんなことを言っていたのでは間に合わない。
君にまで辞められたのでは、まったく困ってしまう。
このままここにいたのでは危険だ。
こんな所に隠してあったのでは、気づかなかったはずだ。
子どもがみな遠くにいるのでは、さぞかし寂しいだろう。
彼女までがそう言うのでは、もう我々の負けだ。(言ったのでは)
そんな基本的なことも知らないのでは、話にならない。
いくら欲しくても、こんなに高いのではとても手が出ません。
本人がいやなのでは、いくら親が気に入ってもまとまらないよ。
病気なのでは仕方がない。
×そんなことを言ったのでは、罰が当たるよ。(○言っては)
×無理をしたのでは体に毒だ。(○しては)
「私も行っていいですか」「あなたがいらっしゃるのでは、ちゃんと準備しないと
いけませんね」(?いらっしゃっては)
「~ては」と互いに言い換えられる例が多いのですが、いくつかは言い換えられません。その制限はよくわかりません。
49.8 ~とすると/すれば/したら/しても
「~と/ば/たら/ても」が「~とする」を受けた形です。「~とする」はムードの一種として前にとりあげました。(→「40.その他のムード」)
ある事柄を条件として設定して、その状況で次の事柄がどうなるかを考えます。話し手が、その場で、仮定の条件を設定する、という場合に使われます。
1 妖精が三つの願いをかなえてくれるとします。あなたなら、何をお願いします
か。(現在の状況)
2 来年、大学に入れたとします。あなたは、夏休みに国へ帰りますか。
(未来の状況:その後ですること)
3 来年、大学に進学するとします。この夏休み、あなたはどんな勉強をしますか。
(未来の状況:その前にすること)
4 去年、日本へ留学しなかったとします。あなたは、国で就職したでしょうか、
進学したでしょうか。(過去の状況:その時のこと)
5 去年、日本へ留学しなかったとします。あなたは、いま何をしているでしょう
か。(過去の状況:現在のこと)
「A→B」の起こる順序が「Aが成立した後でB」では必ずしもない点で、「~なら」に似たところがあります。ただし、Bの文末は命令や依頼などにはなりませんが。「する(か)」という現在形の意志表現は使えます。過去の場合は「事実に反する仮定」ができます。
上の例文を他の条件表現で言い換えるとすると、
1’ 妖精が願いをかなえてくれるなら、~
2’ 来年、大学に入れたら、~
3’ 来年、大学に進学するなら、~
4’ 去年、日本へ留学しなかった(な)ら、~
5’ 去年、日本へ留学しなかった(な)ら、~
という形で一つの文にまとめられます。
「~とする」をさらに「~ば」などの条件表現で受けると、「「現在、ある条件を設定する」という条件の下で」ということになり、発話時の判断という点で、「~なら」と近くなります。
49.8.1 ~とすると/すれば
ある事柄、状況をかりに設定して、そのうえで判断・疑問などを述べます。
主節の内容が、現在の判断なので、「A→B」の前後関係のある単純な「~と/ば」とは少し意味合いが違ってきます。
もし、二人の間に違いがあるとすれば、それはちょっとした感覚の差です。
(×あれば)
cf. もし、二人の間に違いがあれば、私はすぐ気づいたはずです。
(違いがある→気づく)
「違いがあるとする」と「それは感覚の差だ」とは、時間的にも論理的にも前後関係はありません。「違いがあれば」のほうは、それを前提として「気づく」ということが実現するのです。
大地震が起こるとすれば、いつ頃でしょうか。(×起これば)
これができる人がいるとすれば、彼女をおいて他にはいない。(×いれば)
確定した事柄を「条件」として設定することもあります。
(金庫を開け、それがないことを確認してから)ここにないとすると、いったい
どこに隠してあるのだろう。(×ここにないと)
過去のことを仮定する「~たとする」の形もあります。
彼女がやったとすれば、つじつまが合う。
その時間に沖縄にいたとすれば、犯行時刻に間に合ったはずがない。
「~とする」のない形でも言えることも多いです。意味がほとんど変わらない場合と、微妙に違ってくる場合があります。
客が百人来ると、いすが足りないなあ。
客が百人来るとすると、いすが足りないなあ。
計画がうまく行けば、相当なもうけになるはずだ。
計画がうまく行くとすれば、相当なもうけになるはずだ。
これらはほとんど同じでしょう。「A→B」で、Aの結果としてBの事態が引き起こされるという関係にあるからです。しいて言えば、「~とする」のほうが、条件の実現性を多少本気で考えている、と言えるでしょうか。
次の例と比べてみて下さい。
a 飛行機が欠航になれば、列車で行かなければならない。
b 飛行機が欠航になるとすれば、今すぐ列車で行かないといけない。
c 飛行機が欠航になったとすれば、今すぐ列車に乗っても間に合わない。
aは将来の仮定で、「欠航」が確定した時点で、列車に乗ることを決断する、という感じです。つまり、他の方法を考えているだけです。bは、「欠航」かどうかはまだわからないのですが、その可能性が高く、それなら急いで行かないと、という気持ちです。cは、未確認情報として「欠航」ということが言われていて、それならもう遅い、というところです。
b、cは「~なるのなら」「~なったのなら」と「~なら」で言いかえることができます。
主節に意志のムードなどは使えません。ここが「~なら」との違いです。
×彼がやらないとすると/すれば、私がやります/君がやれ。
彼がやらないのなら/だったら、私がやります/君がやれ。
cf. 彼がやらないとすれば、私がやることになります。
彼がやらなければ、私がやります/君がやれ。
「~のだったら」は「~なら」と同じです。Aが否定、つまり状態述語なので「~ば」でも言えます。
49.8.2 ~としたら
「~とすると/すれば」と違うのは、主節のムードが少し自由なことです。
宝くじで1億円当たったとしたら、どうしますか。
?宝くじで1億円当たったとすれば/すると、どうしますか。
もし、どちらか選べるとしたら、女の子のほうがいい。(二番目の子どもは)
(?とすれば/×とすると)
ただし、意志や命令は少し無理のようです。
?宝くじで1億円当たったとしたら、一戸建ての家を買おう。(○当たったら)
1億円当たったとしたら、一戸建ての家を買おうと思います。
「~と思います」をつけると、いくらか安定します。次は命令の例。
?代表に選ばれたとしたら、しっかりやりなさい。(○選ばれたら)
以下の例では、「~とすれば」とほとんど同じです。多少話しことば的です。
この家を建て直すとしたら、いくらぐらいかかるでしょうか。
我々が優勝するとしたら、それは応援して下さったファンのおかげです。
え?国松がけがをしたって?敵のエースが投げられないとしたら、もう勝ったも
同然だな。
機械に詳しいあなたが使えないとしたら、使える人はいませんよ。
そんな話を信ずるとしたら、馬鹿ですね。
彼が無実だとしたら、いったい犯人は誰だ?
条件節が仮定の話もあり、かなり確定したものもあります。
49.8.3 ~と/に しても
次は「~とする」+「~ても」ですが、この形の大きな特徴は、「~にしても」という「に」を使った形でも言えることです。
今日来ると/に しても、夜になりますね。(×来ても)
この部屋の中にあると/にしても、どうやって見つけたらいいのか。
(×あっても)
君の話は信じると/にしても、証言との食い違いをどう考えるかだ。
成績上昇は無理だったと/にしても、現状維持は何とかできた。
この実験を続けると/にしても、やめると/にしても、それなりの理由づけが
必要ですね。(×続けても、やめても)
「~ても」では言えないものと、言いかえられるものがあります。「~たら」などと同じように、「A→B」のAの成立を前提にしているかどうかが関係するようです。
「~ても」と同じように、「いくら・どう・どんなに」などが共に使われ、Aの内容の程度を表すこともよくあります。
いくら時間がかかると/にしても、もう着いていいころですね。
どんなにがんばったとしても、8位がやっとだろう。
事実に反する仮定ができます。
あの時引き返したとしても、遭難は避けられなかったでしょう。
彼女と結婚できたとしても、結局平凡な夫婦になっただろう。
仮に彼女が男だったとしても、採用しないことに変わりはない。
この「~にしても」は、「~にせよ/しろ」という形でもほぼ同じ意味になります。書きことば的になりますが。
来るにせよ/しろ、来ないにせよ/しろ、電話をかけてほしい。
いつ始めるにせよ/しろ、このことを忘れてはいけない。
どんなに寒かったにせよ/しろ、持ち場を離れてはいけなかった。
49.8.4 ~となると/なれば/なったら
「~とする」は仮定の意味がありましたが、「~となる」にはそういう意味はありません。たんに、ある状況が生まれることを表すだけです。その状況を条件として、その状況に対する評価や、必要なことなどを述べます。
「~となると/なれば/なったら」の違いは特にないようです。主節の述語には意志や命令は使えません。AとBの順序によって、単純な「~と/ば/たらでは言えない場合があります。それらは「~なら」で言いかえられる場合が多いです。
一人で全部やるとなると、ちょっと大変だ。
家を建て直すとなったら、その間住むところを探さないと。
一人の社会人として生きていくとなれば、そうそう楽しいことばかりあるわけで
はない。
有名人を呼ぶとなると、かなり前に頼まなければなりません。
人間、やるしかないとなれば、だいたいのことはできるものだ。
この部品でちょうどいいとなれば、安くあがるぞ。
慣用的な言いかたで「いざとなると/なれば/なったら」があります。
49.9 その他
条件を表す表現はまだほかにもあります。いくつかをかんたんに見ておきます。
49.9.1 V-たところで
仮定的な意味合いで、逆接条件の「~ても」に近くなります。そのことの実現を仮定して、それでもダメだ、という否定的な意味合いです。「どうせ/結局」などの副詞がよく使われます。過去のことについて言う場合も、事実とは違うことを仮定しても、結局同じ否定的な結果になっただろう、という結論になります。
やってみたところでどうせむだだ。
お金がいくらあったところで、何の足しにもならない。
彼が助けに来たところで、結局助けられなかったさ。
君が行ったところで、どうせだめだったんだから、気にするなよ。
49.9.2 ~かぎり(は)
「同じ状態が続いている」という条件の下で、主節の事柄が起こるということを表します。状態性の述語、および否定の「V-ない」に接続します。否定の場合は、「そのことが起こらない」という状態を示します。「~うちは/あいだは」に言い換えられますが、「A→B」という条件の意味合いが強く感じられるので、条件表現に入れておきます。
人は、生きている限り、夢を見るものだ。
仕事がある限り、働き続けるつもりだ。
国家が存在する限り、個人は自由になれない。
力の続く限り、がんばります。
あいつが辞めない限り、俺も辞めない。
日本は、法律が変わらない限り、外国人には住みにくい国だ。
彼が自分の罪を認めない限り、情状酌量はないだろう。
次の例は少し違います。「続けているうちは」「建てられない」のです。
反対運動を続けない限り、焼却場を建てられてしまうよ。
また、次の例は「言わない」が状態ではなく、ある一回の動作です。「無理でないことを言う」のです。「限り」の本来の意味の「限度」に近い用法です。
よほど無理を言わない限り、引き受けてくれるだろう。
49.9.3 ~ばあい(に)
何か物事が起こるには時と場所が必要ですが、それ以外にも、その場の状況というものがあります。それが「場合」です。「時と場合によって」などと、「とき」と対になった表現もよく使われます。もっと抽象的な状況をさすこともあります。例えば、今の「・・・状況をさすことも・・・」の「こと」は「場合」で言い換えられます。
もっと抽象的な状況をさす場合もあります。
この「場合」は何でしょうか。「ある一つの具体的な使われ方」ぐらいでしょうか。何とも説明のしにくいことばです。
「ばあい」は形式名詞で、「Nの」を受けますが、[ひと]名詞や[もの]名詞を受ける場合と、[こと]名詞を受ける場合では少し意味合いが違ってきます。
a 彼の場合 核家族の場合 再生紙の場合
b 故障の場合 再試合の場合 病気の場合 雨の場合
aでは、その名詞に関して何かを問題にするという状況を表します。
核家族の場合は、地域社会とのつながりが弱くなりがちです。
bのほうは、その名詞そのものが何らかの状況を表しています。「ばあい」が条件表現に近い意味を表します。
再試合の場合は、先攻・後攻を逆にすることになっている。
再試合になったら、~
もちろん、[もの]名詞でも、次の例のように「Nが」があれば文相当で、「NがNである」状況を表しています。
材料が木の場合、肌触りはいいが、強度に問題がある。
材料が木だったら、~
責任者が彼女の場合 出発が夜の場合
「場合」が動詞を受けて一つの事態を表し、主節がそれを前提として成り立つという関係にあるとき、この「~場合」は「~たら」に近くなります。文末に命令や依頼、意志のムードなどを使うことができます。
雨が降った場合、試合は中止になります。
病気で休んだ場合、試験はどうなるの?
彼がいた場合は、彼に電話させろ。彼がいない場合は、お前が電話しろ。
彼女が来なかった場合は、彼に頼もう。
部品が足りない場合は、この番号に電話してください。
君が断った場合、誰が引き受けると思う?
ある特別な「場合」を想定していうことや、いくつかの違った状況を想定して言うことがよくあります。特別な場合ということで、何かが「うまくいかなかった」ことを想定することが多いです。上の例でも「休む・来ない・足りない・断る」などになっています。また、違った状況(「休まない・来る」など)との対比的な意味が強いという点は、「~ば」に似ています。
「は」は対比の意味を加えます。「に」が付くときは「~には」になることが多いようです。
うまく行かなかった場合には、君に責任をとってもらうよ。
確実に起こることには使えません。
×春になった場合、花が咲く。
?右に曲がった場合、駅があります。
僕が死んだ場合は、妻に連絡して下さい。
最後の例で、「僕」は必ずいつかは死ぬのですが、文脈の中で限定されたある時間内に死んだ場合、ということです。
「ばあい」は名詞なので、「の」を付けて名詞に続けたり、「を」を付けて動詞の対象にしたりすることができます。この使い方では、「連体節」の「外の連体」と考えられます。(→「56.連体節」)
うまくいった場合の報酬を楽しみにしている。
彼女が来ない場合のことは考えていません。
計画が失敗した場合を/も 考えて、その用意をしておこう。
49.10 まとめ
以上、条件を表す形式の用法を見てきました。まだわからないことが多く、日本語話者はこれらをなんなく使い分けているのかと思うと、人間の言語能力のすばらしさと、文法研究の不足を痛感します。それはともかく、これらの形式の使い分けをかんたんにまとめてみます。
まず、話しことばで、「A→B」の順で成り立つことは「~たら」を使っておけば安全です。「~ば」や「~と」は文末のムードに制限があるからです。もちろん、決まった言い方、例えばことわざの「~ば」、道順説明での「~と」などは別ですが。
「A→B」の順でない場合は、「~たら」は使えませんから、「~なら」が可能かどうか考えます。もちろん、そういう場合にいつも「~なら」が使えるわけではありませんが。「~とき」や「~て」など、他の表現との使い分けも考えなければなりません。
食べるとき、手を洗う。
食べたとき、歯を磨く。
食べるなら、手を洗いなさい。
食べたら、歯を磨きなさい。
食べたら、手を洗いなさい。(意味が違う)
食べたなら、歯を磨きなさい。(「たら」に近い)
「食べるなら」とすると、「食べるつもりなら」という意味合いを感じます。
そして、文末にはある種のムードが来ます。「食べたら」は「食べ終わった」ことを想定していますが、食べ始める前に言うこともできます。「食べたなら」は現に食べ終わっているか、その判断が付きかねるときに使われるでしょう。
過去の事柄の場合。
留学するとき、せんべつをもらった。
× 留学するなら、せんべつをもらった。
× 留学すると、せんべつをもらった。
それを見たとき、びっくりした。
それを見て、びっくりした。
それを見ると、びっくりした。
それを見たら、びっくりした。
「なら」は過去の単なる事実には使えません。「反実仮想」はまた別ですが。
「反実仮想」になると、かなり複雑になることはすでに見ました。
ここで条件表現とそれ以外の表現とを比べてみましょう。「~と」と「~て」の違いは難しいものです。
49.10.1 「~と」と「~て」
過去の「と」は、「~て、~」との違いが問題になります。学習者の間違いやすいところです。少し考えてみましょう。
朝起きると、顔を洗った。
朝起きて、顔を洗った。
電車が止まると、ドアが開いた。
電車が止まって、ドアが開いた。
電車が止まり、ドアが開いた。
主節と従属節の主体が同じ場合は、「AてB」のA、Bは一続き・ひとまとまりの動きになります。「何をしたか」-「起きて、顔を洗った」という対応になります。
それに対して、「AとB」のほうは、一続きの動きですが、ひとまとまりの動きではありません。「と」で分けられています。「~と」のあと、どういうことが起こったかを表しています。「朝起きると、何をしたか」-「顔を洗った」という対応です。
「電車が止まる」と「ドアが開く」も、「と」で結ばれると、一応べつべつの事柄です。ですから、「と」はかなり別の動きをつなぐことができます。
電車が止まると、乗客が乗り込んだ。
電車が止まると、盛大な拍手がわき起こった。
電車が止まると、猿が木から屋根に飛び移った。
電車が止まると、突然非常ベルが鳴り響いた。
「て」の場合は、ひとつづき・ひとまとまりの動きですから、以上の例文のいくつかは、「~て」にすると不自然になります。
動作が3つの場合を考えてみましょう。
朝起きて、顔を洗って、歯を磨いた。
× 朝起きると、顔を洗うと、歯を磨いた。
朝起きると、顔を洗って歯を磨いた。
「~と」を一つの文で2回使うことはできません。「~と」は一つの文を二つに分けて、前の動作のあと、どうしたか・どうなったかを述べる文です。「~て」のように、次々と起こることを述べていく形式ではありません。
「~と」と「~て」がよく一緒に使われるのが、道案内の表現です。
この道をまっすぐ行って、右に曲がると、駅があります。
道案内ですから、あとには目標物の存在が来ます。「動作」、その結果としてのものの発見、と言えば「~と」のお得意の領域です。その前の、いくつかの動作の連続は「~て」で表されます。この交替がうまく行かない例が、初級の学習者にはよく見られます。
× この道をまっすぐ行って、右に曲がって、駅があります。
× 駅の前の道をまっすぐ行くと、三つ目の角で曲がります。
これは、文の連続の場合の「すると」と「そして」の使い分けにもつながります。(→「64.文の接続」)
49.10.2 ~とき
「~とき」は「48.時」の中で見ましたが、条件表現と非常に近い使い方があります。時間を示すというより、ある状況を示します。
私が時間までに戻らなかった時には、先に行ってください。
私が時間までに戻らなかったら、先に行ってください。
将来、従属節のことが成り立った状態を仮定して、主節のことが述べられています。この「とき」は「ばあい」で置き換えられ、「戻らなかったら」でもほとんど同じです。「もし、~時には、~」という言い方すら可能でしょう。
(「あれはいつ返してくれるんですか?」)
明日、式が終わった時に、すぐお返しします。
明日、式が終わったら、すぐお返しします。
この「~たら」は、ほとんど確実に起こるはずのことを述べています。この例では「~たら」のほうが自然です。
過去の場合。個別的なことと、習慣的なこと。
彼女は、ガス漏れに気付いた時、すぐに窓を開けた。
彼女は、ガス漏れに気付くと、すぐに窓を開けた。
彼は、めんどうなことになった時は、いつも私のところに来た。
彼は、めんどうなことになると、いつも私のところに来た。
この違いはどう考えたらいいでしょうか。上の例を否定にしてみます。
彼女は、ガス漏れに気づいた時、すぐには窓を開けなかった。
?彼女は、ガス漏れに気づくと、すぐには窓を開けなかった。
継起的な動作は、否定にすると不自然です。「とき」は、やはり単に時を示すだけ、であるようです。習慣的なことのほうは、違いがよくわかりません。
49.10.3 「は」と「が」
条件節には「は」は入りません。主体が違う場合は、「が-が」「が-は」になります。
秋が来れば、葉が落ちる。
私が専門バカなら、君たちはただのバカだ。
主体が同じ場合は、主節は「Nは」になることが多いのですが、条件節に「Nが」が必要な場合は、そのままそれが全体の主体を表すことがあります。
私が男だったら、もっと女の能力を引き出すようにするんだけど。
同じ「Nが」がまた主節に使われることもあります。
彼が委員会に入っているのなら、結局彼が全部やらされるだろう。
[参考文献]
グループ・ジャマシイ編著1998『日本語文型辞典』くろしお出版
寺村秀夫1981『日本語の文法(下)』国立国語研究所
仁田義雄編1995『複文の研究(上)』『複文の研究(下)』くろしお出版
益岡隆志1997『複文』くろしお出版
森田良行・松木正恵1989『日本語表現文型』アルク出版
有田節子1996「ハのdomain設定機能とテハ構文の二つの解釈」小泉古稀記念『言語探求の領域』
有田節子1999「プロトタイプから見た日本語の条件文」『言語研究』11
有田節子1999「テハ構文の二つの解釈について」『国語学』199集
今泉喜一1986「「と、ば、たら、なら」を体系的にとらえる試み」MBK発表資料
奥田靖雄1986「条件付けを表現するつきそい・あわせ文-その体系性をめぐって-」『教育国語』87むぎ書房
小野純一1998「仮定条件を表す「-トキハ」の成立条件について-「-タラ」「-ト」との比較を通して-」『ことばの科学』11名古屋大学言語文化部言語文化研究会
言語学研究会・構文論グループ1985「条件付けを表現するつきそい・あわせ文(二)」『教育国語』82むぎ書房
言語学研究会・構文論グループ1985「条件付けを表現するつきそい・あわせ文(三)」『教育国語』83むぎ書房
小泉保1987「譲歩文について」『言語研究』91
江田すみれ1991「複合辞による条件の表現Ⅰ「となると」の意味と機能」『日本語教育』75
江田すみれ1991「複合辞による条件の表現Ⅰ「となると」の意味と機能」4『日本語教育』75
江田すみれ1992「複合辞による条件の表現Ⅱ-「と」「すると」「となると」の意味と機能について-」『日本語教育』78
江田すみれ1994「複合辞による条件の表現-「は」「とすれば」-」『日本語教育』83
江田すみれ1998「条件を表す複合辞「とすると」「とすれば」「としたら」の共通性と相違点について」『日本語教育』99
小矢野哲夫1997「うらめ条件-接続のモダリティ副詞-「たとえ」の使用条件」『日本語文法 体系と方法』 ひつじ書房
周馥卿「日本語の条件表現」筑波?
鈴木義和「接続助詞「と」の用法と意味」
田中寛1985「条件表現における提題化機能」『日本語教育』57
田中寛「ナラ節条件文における発話意図-前提情報と事態認識-」『語学教育研究論叢』18大東文化大学
田中寛「条件表現と発話機能-慣用的側面をめぐって-」大東文化?
田仁淑1989「条件節をともなう複文」『日本語学科年報』11東京外国語大学
戸村佳代1988「日本語における二つのタイプの譲歩文-「ノニ」と「テモ」-」『文藝言語研究言語篇』15筑波大学
豊田豊子1985「「と、ば、たら、なら」の用法の調査とその結果」『日本語教育』56
豊田豊子1987「条件」『NAFL Institute 日本語教師養成通信講座 B-3 日本語の文法(3)』
中島信夫1989「日本語の条件文「・・・ナラ・・・」について」『甲南大学紀要文学編』73
長野ゆり1998「仮定を表す「~てみろ」の用法について」『日本語教育』96
仁田義雄1987「条件づけとその周辺」『日本語学』9月号明治書院
蓮沼昭子1985「「ナラ」と「トスレバ」」『日本語教育』56
蓮沼昭子1987「条件文における日常的推論-「テハ」と「バ」の選択要因をめぐって-」『国語学』150
濱田留美 「接続の「と」と「て」の間」
前田直子1991「条件文分類の一考察」『日本語学科年報』13東京外国語大学
前田直子1990「「論理文」の体系性-条件文・理由文・逆条件文をめぐって-」『日本学報』9大阪大学
前田直子1995「ト、バ、タラ、ナラ」宮島他編『類義下』くろしお出版
前田直子1998「非仮定的な事態を接続するト・タラ文の意味・用法」東京大学留学生センター紀要第8号』
渡邉文生1991「「~した場合」構文の意味特徴」『計量国語学』第十八巻第一号
Noriko Akatsuka「Conditionals and the Epistemic Scale」Language?
丹羽哲也「仮定条件と主題、対比」
網浜信乃1990「条件節と理由節-ナラとカラの対比を中心に-」『待兼論叢 日本学篇』24大阪大学文学部
田中寛1989?「逆接の条件文<ても>をめぐって」『日本語教育』67
加藤理恵1998「「時」を表す「たら」と「と」について」『日本語教育』97
長野ゆり1993「仮定を表す「~てみろ」の用法について」『現代日本語研究』3大阪大学
長野ゆり1994「「~てみる」の用法の一側面」『現代日本語研究』1大阪大学
蓮沼昭子1993「「たら」と「と」の事実的用法をめぐって」益岡隆志編『日本語の条件表現』くろしお出版
蓮沼昭子1987「条件文における日常的推論-「テハ」と「バ」の選択要因をめぐって」国語学150集
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