56.1 概観 56.6 「という」
56.2 内の関係 56.7 連体の重なり
56.3 外の関係 56.8 連体修飾の機能
56.4 連体節の中の要素 56.9 名詞述語となる連体節
56.5 連体節のテンス・アスペクト
56.4 連体節の中の要素
内の関係の連体節は独立性が低く、その中の要素に対する制限が強いです。それに対して、外の関係の連体節には、独立した文に近いものがあります。
節内の要素をいくつか見てみます。テンス・アスペクトは大きな問題なので別にとりあげます。
56.4.1 連体節の中の複合述語
内の関係の連体節の中の述語には形の制限があります。「節」というのは文相当の内容を持っているわけですが、単独の文と比べると、文としての独立性が相当失われています。名詞を修飾するということからくる制約があるのです。
まず、節の中の述語は丁寧形にしないのがふつうです。
?これを買いました人は田中さんです。
これを買った人は田中さんです。
ただし、全体にかなり丁寧な文体で話す場合などには使われます。
あちらで買って参りましたものをご覧に入れたいと存じます。
一度お支払いいただきましたお金はお返しできません。
また、「~だろう」「するそうだ」などの推量のムードも現れません。
× あした来るだろう人はだれですか。
× あした来るそうだ/な 人はだれですか。
?あした来るらしい人はだれですか。
「~だろう+N」は書きことばで使われることはありますが、学習者には勧められません。
そう反論してくるだろうことは容易に予想できたことだが、・・・
出会ったであろう女性、交わしたであろう言葉の数々、・・・
「~かもしれない」はもう少し制限が緩くなりますが、自由に使えるとは言えません。
必ず来る人は○、来るかもしれない人は△を書いてください。
私と結婚したかもしれない人が、他の女性に生ませた赤ん坊を抱いているのを見
るのはつらかった。
推量の中では「しそうだ」だけが使えます。それだけ、たんなる「推量」というよりは「現在の様子」(からの推量)を表しているのだと言えるのでしょう。
あした来そうな人はだれですか。
おいしそうなお菓子を選ぶ。
「しそうだ」は「V-た」をとれないことを思い出してください。
意志は「意志形+と思う」の形なら使えます。意志の直接的な表明でなく、形としては自分の意志の叙述にすぎないからです。
× あした行こう人はいますか。
あした行こうと思う人はいますか。
命令・依頼などはぜんぜんダメです。
× 行けお前
× 行きなさい君
× 行ってくださいあなた
終助詞も現れません。
× 行くね人
外の関係の言語・思考関係の名詞では、「という」を使うことによってさまざまなムードが現れうることを見ました。
必ず完成させろという命令/完成させてくれという依頼 を受けた。
やってみようという気持が大事だ。
その他の名詞では、内の関係に近くなります。
「という」を使った次のような表現もあります。
どうにでもしろ、という顔で私を見た。
手品師は、見破れるものなら見破って見ろ、という手つきでカードを交ぜた。
いかにも、かわいがってね、という形をしたぬいぐるみだ。
表情・身振りなどがその気持ちを表している、という表現です。
次のものは「という」が「そう考えるN」という意味合いで使われています。
ちょっとやってみようという人はいませんか。
その新技術を採用してみようという企業は一つもなかった。
俺が行ってやろうというやつはいないのか。
56.4.2 連体節の中の主体と「は」
内の関係の連体節の中には、主題の「は」は現れません。主体は「Nが」になります。
× 母は卒業した大学で私も学んだ。(母は→母が)
× あなたは教えてくれたやり方でやってみました。(は→が)
× 彼は買ってきたおみやげをもらった。
最後の例で、「もらった」のが「私」つまり話し手なら、この文は非文法的です。「彼」が「もらった」のなら、これでいいのですが、誰が買ってきたのか、あるいは誰にもらったのか、言い表すほうが自然でしょう。学習者の作文によくある例です。
子どもたちは、父親が/に 買って来たおみやげをもらった。
対比の意味を持たせたい場合に「は」が使われます。
この学校は、英語は得意だが数学は全然だめな学生が多い。
56.4.3 連体節の主体のガ/ノ
内の関係の連体節の中の主体を示す「が」が「の」で置き換えられる場合があります。「ガノ可変」などと呼ばれることがあります。
雨の降る晩に、昔の恋人に偶然出会った。(雨が降る晩)
私の見た映画の中でこれが一番良かった。(私が見た映画)
?梅干しの食べられない人はいますか。(梅干しが食べられない)
外国語のじょうずな人(外国語がじょうずだ)
主体の「Nの」のすぐあとに述語がくる形が典型的で、わかりやすいです。名詞が来て「NのN」の形になってしまうと、誤解が起こりやすくなりますから使われません。
?私の彼女に会った日(私が彼女に会った日)
?私の本を買ったとき(私が本を買ったとき)
ただし、書きことばでは「Nの」と述語がかなり離れていても使われます。
彼のすぐ東京を離れ彼女の待つ国へ帰ろうとしたことは当然であった。
(彼が帰ろうとした)
こうしてみるとずいぶんぎこちなく感じますが、少し古い小説にはよく見られる文です。
56.4.4 副詞句
内の関係の連体節の中にはある種の副詞句が使えません。それは、陳述の副詞の一部や、発言の副詞などの文修飾の副詞句です。
がんばればできたかもしれない問題
?確かできたかもしれない問題
?決して解けない問題(を考え出した)
「決して解けない問題ではない」とすると、「決して・・・ではない」という呼応になります。
?もちろん会費の要らない会
「~です」とか「~に行った」などと続ければ、「もちろん」はその述語にかかることになります。
56.5 連体節の中のテンス・アスペクト
従属節のテンスの問題は、「48.2 ~とき」のところでもいろいろ考えてみました。「内の関係」では、基本的な考え方は同じです。連体節と主節、二つの事柄の時間関係はどうなっているのか。主節の述語については単文と同じ解釈でいいのですが、連体節の中の述語のテンスとアスペクトをどう解釈すればいいのかは難しい問題です。それぞれが動きの動詞か、状態動詞か、そして現
在形か、過去形か、V-テイルの形か、いろいろな場合を分けて考えてみましょう。動きの動詞を「スル/シタ」、状態動詞を「イル/イタ」で代表して表します。以下では次のような場合を見ていきます。Aは連体節内の動きの動詞、Bは主節の動きの動詞を表します。
① AスルN・・・Bスル ② AスルN・・・Bシタ
③ AシタN・・・Bスル ④ AシタN・・・Bシタ
⑤ スル/シタN・・・イル/イタ
⑥ イル/イタN
⑦ シテイル/シタN
⑧ シテイル/スルN
それから、関係節内の述語が形容詞・名詞述語である場合を見ます。
「外の関係」の場合は、それぞれのところで触れたように、連体節を受ける名詞の種類、個別的な性格によって決まってきます。それはあとで見ることにして、まず、「内の関係」の場合をくわしく見ます。
56.5.1 内の関係:動詞述語
①[AスルN・・・Bスル]
どちらも動きの動詞で、現在形の場合。習慣や性質を表す場合(時間に縛られない場合)を別にすれば、Bが先に、Aが後に起こるのがふつうです。つまり、AがBに対して「以後(将来)」を表します。これは、単文で動きの動詞の
現在形が将来を表すことと並行しています。ただ、単文では発話時との関係でしたが、ここでは主節の時に対して「将来」であることが違うだけです。
これから家族が食べるものを作ります。
もうすぐ試験を受ける人が集まってきます。
来週までに留学する大学を決めてください。
今、駅へ行く人がバスに乗ります。
みな、「作る→食べる」「集まる→受ける」の順、つまり[B→A]です。
しかし、そうでない場合もあります。
あとで母が作ってくれるご飯を食べます。
この例では、「作る→食べる」の順ですから、[A→B]です。
この原稿は(今日)うちへ取りに来る編集者に渡します。
「来る→渡す」です。これらの例のように、文脈と動詞の意味によって順序が確定する場合は、上の原則[B→A]より強いようです。
習慣的な動作、あるいは性質など時間に関わらない事柄を表す場合は、前後関係がなく、広い意味での「同時」と考えられます。
よく食べ、よく笑う人が長生きします。
よく使う辞書はすぐそばに置いておきます。
[置いておく→使う]ですが、そのあと、[使う→置いておく]でもあるわけです。
②[AスルN・・・Bシタ]
この場合は比較的かんたんです。文全体が過去のことでも、連体節で「スル」の形になるということは、Bに対して「将来/以後」であるということです。つまり[B→A]です。
留学する友達に電話をかけた。
「留学する」のは、「電話をかけた」時点では将来のことですが、この文を発話した時点ではどうなっているのかわかりません。つまり、
きのう電話をかけた → 来月、友だちが留学する
のかもしれませんし、
先々月、電話をかけた → 先月、友だちが留学した
という話を「今」しているのかもしれません。過去のことでも「留学する友だち」なのです。学習者の母語でどうなっているかにもよりますが、わかりにくいところでしょう。
我々は北京へ行く飛行機に乗った。(旅行記:もう帰国した)
その時やっと、結婚する相手が見つかった。(自伝)
子どもが入る小学校を見に行った。
ただし、性質や特徴、習慣などを表す「スルN」は、Bとは別に、時間を離れた事柄を表しています。単文の場合も、性質や特徴、習慣や繰り返しを表す文では、現在形が現在を表すことができました。「スルN」の場合も同じことが言えます。つまり、ある特定の時点にしばられないので、主節が過去でも連体節で現在形が使えます。
よく走る車を買った。(買った時、「よく走った」)
平和を愛するこの民族は、昔から繰り返し侵略されてきた。
次の例は「配達される→飲んだ」となる点で、ちょっと特別に見えますが、「毎日配達される」は繰り返しなので「された」にする必要はありません。
毎日配達される牛乳を飲んだ。
人の職業や物の用途を表すような文も、現在形を使います。
日本語を教える先生には、昔は国語の先生がなりました。
ワインを開けるコルク抜きを探した。
屋上へ上がる階段を見つけた。
これらは、「なる→教える」「探す→開ける」という順序を考えているわけではありません。そのものに備わっている特徴です。
何か食べるものを探した。
の「食べるもの」も同様に考えていいでしょう。
③[AシタN・・・Bスル]
「シタ」はすでに起こったことを表しますから、「Aシタ→Bスル」の順になりますが、この「シタ」は発話時から見た「過去」とは限らないことに注意して下さい。つまり、「Bスル」が将来のことである場合、その少し前、つまり発話時から見れば「将来」のことも表すからです。
遊びに来た友だちと映画に行く(つもりだ)。(来た→行く)
切符を買った人はすぐ中に入って下さい。
すでに切符を買った人へのことばとも、切符を買う前の注意ともとれます。
アルバイトで稼いだお金で旅行をします。
「アルバイトで稼ぐ」のは将来のことでもかまいません。
この夏休みの前半はアルバイトをするつもりです。そして、そのアルバイトで
稼いだお金で休みの後半に旅行をするつもりです。
ここも、学習者にとってわかりにくいところでしょう。
9月に、夏休みに読んだ本の話をして下さい。(と、7月に言う)
「9月」になってから、「夏休みに読んだ本の・・・」と言えば、この「読んだ」は過去のことになります。
④[AシタN・・・Bシタ]
両方とも過去形の場合。多くの場合、[A→B]の順になります。つまり、連体節の「シタ」は、主節より「以前(過去)」のことを表します。
買ってきた本を読んでみた。
留学した友だちが手紙をくれた。
人々は、地震で壊れた家を建て直した。
逆の順と考えられる例。
ホテルの部屋で自殺した男性は、後から連れが来ると言った。
「死人に口なし」で(?)、「言った→自殺した」つまり[B→A]の順になります!
一次隊で出発した人に機材を預けてしまった。
「預けた→出発した」でしょう。動詞の意味によってそう決まります。
すでにとりあげた①「A・Bがともに現在形の場合」と、この④「ともに過去形の場合」を合わせて考えると、次のことが言えそうです。
つまり、これらの場合も、②③の「連体節と主節の動詞の時が違う場合」と同様に、基本的には「スルN」は主節より後を、「シタN」は主節より前を表すことが多いが、それは絶対的なものではなく、文脈と動詞の意味によって、反対になる場合がある、ということです。くわしいことはよくわかりません。もっと研究が必要なところです。
⑤[スル/シタN・・・イル/イタ]
主節の動詞が状態動詞である場合を考えます。状態動詞は「幅」のある時間を示します。「スルN」は主節と同時(含まれる)か、それより将来を、「シタN」は主節より以前(過去)を表します。
来年、日本へ留学する学生がたくさんいる。 (将来)
よく勉強する学生はこの問題ができる。 (同時)
日光浴をする人が芝生に大勢寝ころんでいる。
あの中に大金を盗んだ犯人がいる。 (以前)
教師を厳しく批判した学生が教師になっている。
風に揺れる木の葉を窓から見ていた。 (同時)
同時を表す「スルN」は、ある時間の幅を持った動作を表しています。
次の例は、「何度も来た」という表現が習慣的な繰り返しを表し、次で見る「イタN」と同様に考えていいでしょう。
以前、このことで何度も相談に来た女性がいた。 (同時)
次の例では、「シタN」が主節と同時を表している点で例外的です。
高校の卒業式の時、学校を厳しく批判した生徒がいた。
ビラを受け取ってくれた人も少しはあった。
この「いる・ある」は、「その時そこに」と言うより、そういう人が存在した、言い換えれば「ある人が~した」という意味になっています。たんにその時の状態を示すのではない点が、他の状態動詞と違うのでしょう。
⑥[イルNとイタN]
連体節の述語が状態動詞の場合を考えてみましょう。「イルN」は主節と同時を表します。主節が過去でも同じです。
大阪にいる母と電話で話します/ました。
私たちの中に英語が書ける人はいませんでした。
そこにある道具を使って下さい/使いました。
では「イタN」はどんなときに使うのでしょうか。
「イタN」が単純に過去を表す場合。テレビで事故の報道をするとき、
では、現場にいた人の話を聞いてみます。
と言えば、この「いた」は発話の現在から見た、単なる過去です。
ここで主節が過去の場合、
現場にいる/いた 人に話を聞きました。
これはほぼ同じ意味になります。「いる/いた」時と、「聞いた」時は同じ時です。
(事故当時)現場にいた人に(昨日)話を聞いた。
という場合にも、文脈から理解可能なら、
現場にいた人に話を聞きました。
と言えます。この二つの「~た」は違った時を指しています。この「いた」と、上の「いる」と同じ意味の「いた」との区別が難しいところです。文脈から明らかになる違いです。
初めにあげた例で、
大阪にいた母と電話で話しました。
とすると、その時は「大阪にいた」けれども、今は「大阪にいない」ように感じられます。主節が過去の時、連体節が単に過去の状態を表すだけなら、現在形が主節の述語と同時(つまり過去)を表すことで十分なのです。
ただし、一時的な状態を表す「イタN」は、「ちょうどその時、たまたま」という意味合いを含むことがあります。
例の話、食堂にいた彼に話しておいたよ。(?いる)
「いる」とすると、食堂で働いているとか、何らかの理由でずっといることになります。
ちょうどそこにあったお菓子を食べた。
次の例のように、状態の変化をはっきり表す場合には過去形が使われます。
大阪にいた母も、東京に引っ越してきました。
以前は書けた漢字が最近書けなくなった。
「イタN」が将来のことを表すことはまれですが、
後で金庫を開けてみて、そこにあったものを使います。(ある)
ちょっと用があって教室を出ますが、すぐ戻ってきます。私が戻ってきたときに
いなかった人は欠席扱いにします。(いない)
Bが過去の場合は、Aが現在形でも過去形でも同じ内容を表します。
その時、そこにある絵を見た。
その時、そこにあった絵を見た。
現在形のほうは、主節の述語と「同時」であることを示し、過去形のほうは、現在(発話時)から見て「過去」だ、という意識によるものと言えます。
56.5.1 内の関係:動詞述語
⑦[シテイルN/シタN]
「V-ている」の継続の場合は、基本的に状態動詞と同じです。
読んでいる/いた 本から目を離さなかった。
読んでいた本を閉じて、私を見た。(?読んでいる)
結果の状態を表す場合。
閉まっている/いた ドアを無理に開けようとした。
「閉まったドア」とも言えます。
ここに落ちていた財布は結局誰のだった?(?落ちている)
こちらは、「落ちた財布」とは言えません。
経験の「V-ている」。
5回も結婚し、離婚している/した 人に会って話を聞いた。
「していた」ではなく「した」がぴったりします。経験の「V-ている」は「V-た」に近い、というのは当然のことです。
状態を表す「V-ている」も「V-た」で言えますが、こちらは結果の状態が固定化した用法です。
曲がっている釘 曲がった釘 曲がっていた釘
曲がっている道 曲がった道 曲がっていた道
「V-ていた」にすると、今は「曲がっていない」と感じます。
おれている釘 折れた釘
澄んでいる水 澄んだ水
では「V-た」のほうが自然です。
この「V-た」は、より形容詞に近づいていると言えますが、逆に、「Nが」があると、本来の動詞性がもどり、状態を表せなくなります。
眼鏡をかけている/かけた 人
その人がかけている眼鏡
その人がかけた眼鏡
最後の例は「その人が以前その眼鏡をかけた」という意味になります。
⑧[シテイル/スル N]
継続を表す「シテイルN」は、「スルN」の形で言えることがあります。
店には立ち読みをする人がたくさんいた。(している人)
電車の中で漫画を熱心に読む会社員を見ていると、情けなくなる。
店の前を通る人に声をかけた。
雪の降る晩に女が訪ねてきた。
お年寄りの話にきまじめに耳を傾ける子供たち。(写真の説明)
次の例は、「性質」に近いようにも感じられます。
三日月のそばに強く光る赤い星があった。
小川を流れる水をすくって飲んだ。
けれども、これらは独立の文では言えません。
?赤い星が強く光る。
赤い星が強く光っている。
「光る」の例は、「赤い星」一般の特徴になってしまいます。「今、あそこに見える星」の描写である場合は「光っている」になります。同様に「小川を水が流れる」は一般的な状態の描写としては成り立ちますが、「水をすくって飲んだ」というある個別的な時の描写としては「小川を水が流れている/いた」でなければなりません。
次のような例は「スルN」では落ち着きません。
?あそこに、本を読む人がいますね。あの人は・・・ (読んでいる)
?ガラス窓を拭く店員が急に私のほうを振り向いた。(拭いていた)
「結果の状態」の「シテイルN」は「スルN」に換えられません。
×前に座る人に聞いてみた。(座っている)
×ちょうど止まる電車に乗ることができた。(止まっている)
56.5.2 形容詞述語の場合
基本的には現在形が使われます。文末の述語が過去でも、変わりません。
背が高い/親切な 人に手伝ってもらいます。
背が高い/親切な 人に手伝ってもらいました。
形容詞は、主節の述語と同じ時の状態を表しているわけです。
連体修飾をしている形容詞が過去形になるのは、そのあとの状態との比較の形になっている場合です。
激しかった雨がようやく小降りになった。(激しかった→小降り)
さっきは本当に激しい雨だった。(×激しかった雨だった)
前はおいしかったステーキが、コックさんが変わると、とたんにまずくなった。
(最近の大根おろしはうまくないので食べない、という話の後)
?十年前、辛かった大根おろしをよく食べた。
十年前、その頃はまだ辛かった大根おろしをよく食べた。
昔は景気がよかったこの町も、今ではすっかりさびれてしまった。
(景気がよかった→さびれてしまった)
暗かった町が、街灯が増えて明るくなった。
子どものころ成績がよかった私は、今ではそれだけが自慢だ。
56.5.3 名詞述語の場合
名詞述語の過去形も使われる場合が少なく、過去形が使われた場合は、そのあとの状態との比較ということと、そのころを回想する感じがあります。
まだほんの子供だった私はそのことに気づかなかった。
その時組合の書記長だった人が、今では社長だ。
鮮やかな赤だった正面の門も、風雨にさらされてすっかり色がはげ落ちている。
当時、世界最大の都市だった長安はまさに国際的な町だった。
総理の秘書だった田辺氏は次のように回想している。
56.5.4 外の関係の連体節
外の関係の場合は、それぞれの名詞が受ける節の内容によって、連体節の述語が過去形をとれるかどうか決まります。
まず、次のような名詞では、意味の制約から過去形に限られます。
思い出・記憶・歴史・過去
子どものころ、近所の小川で遊んだ思い出を子供達に話した。
どこか、暗い部屋で一人で泣いていた記憶がある。
(「忘れてしまいたい記憶」のような例は「内の関係」です)
彼は、自分が浮浪児だったという過去を消してしまいたかった。
相対的な関係の名詞で、あとに結果が残るものも過去形をとります。
指紋をぬぐった跡があるのがかえって怪しい。
ナイフで切った傷が手のひらにあった。
逆に、将来のことを意味する次のような名詞は現在形になります。
計画・約束・予定・意図
駅前に大きなホテルを建てる計画がある。
10年後に結婚する約束をした。
そこから金沢に回るという予定を立てていた。
情報科学を学ぶ目的で日本に留学した。
(「日本に留学した目的」は別の用法です)
時間に関わらない、次のような名詞も現在形をとります。
習慣・癖・性格・性質・規則・決まり・方法・条件・仕事
歯を磨く習慣をつける
頭をかく癖が治らない。
熱中すると止まらない性格が周囲の人と合わなかった。
相手チームにフリーキックを与えるという規則がある。
研究に専念するという条件で契約を結んだ。
ワープロを打つ仕事で目を悪くした。
ただし、「性格」の例は、変化して現在は違ってきたという設定なら、過去形にもなります。少し前に見た「56.5.2 形容詞の場合」と同じです。
熱中すると止まらなかった性格が、ずいぶん穏やかになった。
言語・思考関係の名詞は、どちらでもとり得ます。
5日に来る/来た という手紙
この方法でいい/よかった という信念は揺るがなかった。
ただし、「決心・希望」などは、意味的に現在形しかとれません。
絶対にやり通すという決心を貫いた。
留学したいという希望を述べた。
56.6 「という」と「ような」
複文で使われる「という」は、さまざまなものがあります。名詞節で使われる場合は「57.名詞節」でまた論じることにして、ここでは連体節で使われる場合だけに話を限ります。
「という」が名詞と名詞をつなぐ形は「5.8 NというN」で見ました。ここでは連体節と名詞をつなぐ用法を見ます。
名詞の場合の復習から。「AというB」という形の用法は基本的に二つ考えられます。一つは、AがBの名前を導入するという働きをもつ場合です。
田中さんという人が来ました。
という文の伝えたい内容は、「人が来た」こと、そして「その人の名前が田中であること」です。それに対して、
アブサンというお酒を知っていますか。
という文では、「アブサンは酒(の名前)だ」「アブサンを知っているか」ということでしょう。ここでは、Aはどんな種類の名詞かをBが説明しています。
もっと単純化して言えば、AがBに情報を付け加えているか、反対にBがAに情報を付け加えているか、の二つの場合があるということです。
では、連体節と名詞の場合はどうなっているのでしょうか。「という」の用法が問題になるのは「外の関係」の連体節です。
「外の関係」の連体節では、名詞の内容を表す連体節を名詞につなぐものです。まず、言語表現・思考に関する名詞は「という」が必要です。言語で表現された内容や思考の内容が連体節となります。
姉に子供が生まれたという手紙
8時に集まれという命令
デモに参加しようという誘い
会は何時からかという問い合わせ
うまく行くだろうという期待
これらの「という」は省略できません。逆に言うと、「という」を使うことによって、「集まれ」「しよう」「行くだろう」というようなムードの表現を節の中に取り込むことができます。「という」を使えない名詞の場合は、これらのムードの表現や「~だ」の形を節としてとることはできません。
事柄を表す名詞では「という」はなくてもいいことが多いのですが、では、ある場合とどう違うのか、ということが問題になります。
日本語を教えるという仕事はどんな仕事ですか。
日本語を教える仕事を捜しています。
連体修飾の機能は、限定と属性の説明の二つだということを前に述べました。
かんたんに言えば「どのN」か「どんなN」かという違いです。その観点から考えると、「という」がある場合は「どのN」つまり限定にはなりにくいようです。「AというB」はBの名詞にAという名前を情報として付け加えることですから、限定と言うより属性説明です。
「日本語を教える」は「という」を介して「仕事」の内容を説明しています。ですから、「どんな仕事ですか」という質問に合っています。
「という」のない方も、連体節が名詞の内容を表しているという点では同じですが、限定という働きも持っています。つまり、「どのN」の答えになり得ます。上の例で言えば、「仕事」の内容を「日本語を教える」、つまり「どんなN」かを説明しながら、「どのN」という限定の役割も果たしている、ということです。ちょっと苦しい説明でしょうか。
他の名詞の場合にも常にそういう機能的な差があるかというと、それぞれ微妙です。
この叔父に格別世話になったという記憶はなかった。
子どもの頃この叔父の世話になった記憶がある。
ペットから感染するという病気を知っていますか。
ペットから感染する病気にかかってしまいました。
子どもを育てるという楽しみは何物にも代え難い。
子どもを育てる楽しみなんてない。苦しみだけだ。
それぞれ「という」があってもなくても言えそうです。その微妙な差はこれからの研究課題です。
つけてはいけない場合は、相対的な名詞です。
私たちが立っている後ろ(×私たちが立っているという後ろ)
子供がドアをたたく音(×子供がドアをたたくという音)
ナイフでけがをした傷跡
1万円札で払ったお釣り
前に見たように、同じ名詞でも連体節との意味関係によって「という」が入る場合と、入らない場合があります。(「言い訳・理由・証拠」など)
文型による違いもあります。
タバコを吸ってはいけないという規則がある。
×タバコを吸ってはいけない規則がある。
ここでは、タバコを吸ってはいけない規則になっています。
「規則」という名詞は、連体節が名詞述語を修飾する形で、ある特徴を持った文型になり、上の例で見るように「という」を使わなくてもよくなります。これに似た名詞を「56.9 名詞述語となる連体節」でいくつか見ます。
以上は「外の関係」ですが、「内の関係」でも「という」を使う場合があるのでやっかいです。
これが彼女からもらったという手紙かい?
この「という」は「と言われている」とか「という話の」などの「伝聞」の意味合いがあります。つまり、「引用」の「と」の意味が生きているのです。
これが、西郷隆盛が腰掛けたという岩です。
これが、西郷隆盛が腰掛けたと言われ(てい)る岩です。
連体節の次にとりあげる名詞節でも「という」はよく使われます。
言語は恐ろしく複雑だということがよくわかった。
言語が恐ろしく複雑であることがよくわかった。
連用節ではまったく触れませんでしたが、時々使われます。
いざ出発しようという時になって、客が来た。
結論は、これじゃダメだ、というのでまたやり直した。
[って]
話しことばでは「って」の形にもなります。
行かないかって手紙をもらったよ。
もうだめ、って感じだね。
あいつが買ったって車、あれ?(内の関係:伝聞の意味合い)
あいつが買った車、あれ?
[なんて]
「なんて」は「などという」という意味に当たります。
ここでタバコを吸っちゃいけないなんて規則、誰が決めたの?
これが最後だなんて嘘は聞き飽きたよ。
[との/かの]
「との」を「という」の代わりに使える場合が多いです。
君が行ってくれとの手紙を受け取った。
出発せよとの命令を受けた。
いつ終わるのかとの質問に答えた。
けれども、使えない場合もあります。この制限はよくわかりません。
?絶対に行こうとの意見を述べた。
?本当にできるのか(どうか)との疑問がある。
また、連体節が疑問の形である場合は、「の」だけでもつなげられることがあります。つまり「~か(どうか)の」という形になります。
開始時刻を何時にするかの決定は、当委員会で行います。
これを認めるかどうかの判断は、明日の会議に持ち越された。
これも、できない場合があります。
?いつ終わるかの質問に答えた。(~かという質問)
?問題がまだ残っていないかどうかの不安が心をよぎった。
できる場合は、課題に対する解決を表す名詞の場合でしょうか。課題そのものが内容となるような名詞はだめなようですが、これもよくわかりません。
[ような]
連体節と名詞をつなぐことばで、「という」とはまた違った性質を持つもので、様子を表す「~ようだ」「~ように」の連体修飾の形です。「内の関係」、「外の関係」どちらにもよく使われます。
その子は、驚いたような顔をしてこっちを見た。
彼は、蚊の鳴くような声で、「はい」と言った。
彼女のテニスの腕は、目を見張るような進歩を遂げた。
そういう様子で、というのが基本的な意味でしょう。「蚊の鳴くような声」は比喩的表現です。「目を見張る」のは主節の主体ではなく、他の人、例えば話し手です。
次の例は「様子」というのとは少し違います。
彼は嘘をつくような人ではありません。
叩いたぐらいで壊れる機械じゃないよ。
そんじょそこらで売っているような品物ではございません。
そういう種類のもの、ということで、あとに否定が来ることが多いようです。
連体節の動詞が言語・思考関係の例があります。「~ように」と対応します。
予想したような結果になった。
この本に書いてあるような事件がたくさん起こりました。
先ほどあなたが言われたような事実はありません。
「ような」が省ける場合が多いのですが、次のような固定した表現では省略できません。
見てきたような嘘をつく (×見てきた嘘)
降るような星空 (×降る星空)
バケツをひっくり返したような土砂降り
「という」とつながって「というような」という形もよくあります。
やりたい人はやってもいい、というような話だった。
さあさ、ごらんよ、どこにでもあるというような品物じゃないよ。
ま、これ以上やってもムダだ、というような結論ですかね。
56.7 連体の重なり
まず、連体節と他の連体修飾語の重なりから考えてみましょう。
あの、京都で買った人形
京都で買ったあの人形
この違いは微妙です。
あの、京都の店で買った人形
となると、「あの店」である可能性があります。ただし、そう解釈するためには、「あの」が文脈指示になり(発話の場に「京都の店」はありません)、聞き手も知っているとか、いろいろ複雑になります。(→「15.指示語」)」「あの人形」は現場指示、文脈指示の両方がありえます。
「大きな」「美しい」や「私の(娘の)」などを加えるとさらに複雑になりますが、その話は省略しましょう。
ただ、一般的に言えることは、長い修飾語は前に持ってきた方がいいということです。
京都の店で買ってきた、美しい、大きな、私の娘の人形
「あの」はどこに入れましょうか。指示語は、短いものですが、いちばん前に付けることもよくあります。「指示」ということだけに特化した、他の修飾語とはちょっと違った独特の特徴があるためでしょう。
一つの名詞に複数の連体節がかかる場合を考えてみましょう。すぐ上の文がその例になります。
「指示」ということだけに特化した、
他の修飾語とはちょっと違った
独特の 特徴
「特徴」に三つの連体修飾が付けられています。次はもっと単純な例です。
駅前で見かけた、赤いシャツを着た男(が今、家の前にいる)
あの時見た、忘れようとしても忘れられない、あの光景
修飾部分が連用の関係になることもよくあります。
人間の恐ろしさを知らない、楽園の中でのんびりと生きてきた鳥
「知らない(鳥)」を「知らず」あるいは「知らないままに」などの形に変えると、それらは「生きてきた」にかかる連用修飾節となりますが、全体としては同じような意味になります。
内の関係の連体節と外の関係の連体節が一つの名詞にかかる例。
これまで言われてきた、核持ち込みはなかったという弁明 [内+外]
太陽電池を使うという、それまでにはなかった新しい方法 [外+内]
間に接続詞が入ることもあります。
科学の発達した、しかし、人類滅亡の恐れもある現代
外の関係の連体節で選択型の接続詞を使った例
人数を減らすか、それとも日程を短くするかという迷い
産業の発展を重視するか、それとも人命を最優先するかという選択
次の例では後の連体節が二重になっています。
夢を持った、そしてそれを実現するエネルギーを持った若者たち
[夢を持った][[そしてそれを実現する]エネルギーを持った]若者
内の関係の連体節が何重にもなった例を考えます。
[[[汽車を待つ]君の横で時計を気にしている]僕に降りかかる]雪
待ちに待った春が来て喜んでいる人々を撮った写真
魚を食べた猫を追いかけた犬を捕まえた人を見た。
あまりいい作例ではありませんが、文法的にはこういうものはいくらでも可能です。次は「外の関係」の「という」を含んだ例。
社会を改革しようという考えを持った人にインタビューした記録
以上のように、いくつかの連体節が並列的に、あるいは重層的に一つの名詞にかかる例は、ごくありふれたものです。日常の話しことばは短い文が多いのでこのような例は少ないかもしれませんが、講演や大学の講義などではよくある形です。日本語ができるということは、これらを聞いて瞬時に理解でき、また自分で次々と作り出せるということです。
56.8 連体修飾の機能
「5.2 NのN」と「10.修飾」でも述べたように、連体修飾の働きは「限定」と「属性の説明」の二つが考えられます。連体節の場合も基本的には同じです。
まず、内の関係の連体節。
そこにある本は私が書いた本です。
「そこにある本」は他の本と区別するための限定で、「私が書いた本」は本の説明です。疑問語で置き換えてみると、
そこにある本はどんな本ですか。
どの本があなたの書いた本ですか。
のように、「どんなN(属性説明)」「どのN(限定)」という違った機能の疑問語になります。
外の関係の連体節では、もう少し広がりがあります。
まず、連体節が名詞の「内容」になるものがあります。これは「説明」の一種と言えるでしょう。疑問語を使えば、「どんな」でしょう。
結婚したという手紙をもらった。
韓国語の通訳になるという目標に向かって勉強する。
戦争を繰り返してきた歴史を皆で確認しよう。
「内容」を表すのではなく、名詞が連体節の内容の実現に関するものである場合があります。「因果関係」の名詞です。
韓国に留学した目的は日本語の起源の研究です。
科学が発達した結果、宗教は衰退したか。
疑問語で言えば、「何の目的/結果」です。「どんな目的/結果」かと言えば、「日本語の起源の研究/宗教が衰退した」となります。
「相対名詞」では連体節が相対的な名詞の基準を表しています。
私たちが住んでいる上をジェット機が飛んでいく。
試合を始める前に、開会式を行った。
「何の上」あるいは「どこの上」でしょうか。そして「何の前に」。名詞の独立性は低く、名詞を節が修飾していると言うより、節と名詞が一緒になってある一つの場所や時間を示していると言えます。
これらの例を通じて、連体節は何を表していると言えるでしょうか。一言でまとめるのは無理なことでしょうが、とにかく、その名詞の意味内容をよりくわしくしているということは確かなようです。
もう少し違った観点から見た、連用節との意味的な関連については「59.複文のまとめ」を見て下さい。
[必須の連体節]
文法構造上、連体修飾が省略できない例は、「10.3 修飾語の役割」でも出しておきました。
長い髪の少女 ?髪の少女
大きな声で叫ぶ ?声で叫ぶ
赤い色に塗る ?色に塗る
「少女の長い髪」では「少女の髪」のように「長い」は省略できます。(もちろん意味は変わりますが、文法的な構造です)「AのB」の形で、AがBの部分・所有物・側面のような語である場合、修飾語が必要なようです。
青い服の女性 素直な性格の男 澄んだスープのラーメン
厚い表紙の本 有名な親の息子 貧乏な家庭の子供
「厚い本の表紙」なら「本の表紙」と言うことができます。「親」や「家庭」の例では、子供の方が所属しているわけですが、修飾語は省けません。ただし、材質の場合は修飾語が省略できるようです。
白いコンクリートの建物 堅い木の机
これは、それぞれ「白い建物」「堅い机」でもあるからでしょうか。
「大きな声で」のような「様子」を表す場合は、必ず主体の「声」であるし、「赤い色に」の例では「壁を塗る」のような対象の「色」であるわけで、それぞれその名詞が所属する「本体」を表す名詞があります。その本体が元々持っているものだけでは連体修飾や連用修飾の機能を持てないのです。その部分・側面が「どうであるか」を情報として付け加えるような修飾部分が必要で、そのような場合に、修飾語が省けないということのようです。
さて、連体節の場合はどうでしょうか。上の三つの例の修飾部分が連体節になった場合はもちろん省略できません。
教室にいる学生を呼んできて下さい。(学生を呼んできて下さい)
ウサギを描いた表紙の本を探して下さい。(×表紙の本を~)
その人は、しゃがれた、よく聞こえない声で話し始めた。
(×その人は、声で話し始めた)
壁を遠くからよく見える色に塗った。(×壁を色に塗った)
最初の例は、ごくふつうの連体修飾の例です。連体節がなくても意味を成しますが、連体節で「学生」の範囲を限定しているわけです。
次のような場合も修飾部分を省略できません。
その本は、十年前に外国で買った本でした。(?その本は本でした)
あの人は、とても面白い人です。(?あの人は人です)
この場合、「本だ」「人だ」は構造上は述語の位置にありますが、実質的な述語は連体節の中の述語「買った」「面白い」です。
以上は内の関係の連体節です。外の関係でも省略できない例があります。
彼はもっと詳しい調査をすべきだという意見を述べた。
離婚が増えているという統計が新聞に出ていた。(?統計が新聞に出ていた)
我々は、利益の1割を受け取るという条件で出資した。
(×我々は条件で出資した。)
今回は選挙人をそれぞれ5名出すという方法をとった。
彼らはリコールを要求するという手段に出た。
初めの例は、「彼は意見を述べた」のように省略しても文法的です。「統計」の例では何か「~の」というような修飾語句が必要な感じがします。「条件」以下の例はまったく非文法的になります。
名詞文の述語の位置に連体節が来た場合は独特の問題がありますので、次に分けてとりあげます。
56.9 名詞述語となる連体節
連体節が名詞述語の位置に来るものの中で、特徴のあるものがあります。
1 彼は、田中商事に勤めるサラリーマンです。
2 あの人は、以前私の恋人だった人です。
3 彼は、丸い顔です。
まず、例1は問題のないものです。連体節をとっても意味が通じます。
彼は、サラリーマンです。
例2は意味のない文になってしまいます。
?あの人は人です。
ここで、実質的な述語は連体節の中の述語です。
あの人は、以前私の恋人でした。
ではなぜ、例2のように連体節にして「人です」という名詞述語にするのか、ですが、レトリックの問題と言うしかないでしょうか。
例3も意味をなしません。
×彼は顔です。
連体節の述語も「彼」の形容ではなくて、「顔」の形容です。
×彼は丸いです。
彼の顔は丸いです。
この形は「は・が文」にすることができます。
彼は顔が丸いです。
ここでも、ではなぜ例3のような文型にするのか、その意味合いは何か、が問題になります。
以下は外の関係の連体節です。
4 彼は、嫌いなことは絶対にしない性格です。
5 彼は、若い女の子にもてるタイプです。
これらも連体節がないと意味をなしませんが、逆に文末の名詞述語をとっても意味を成します。
6 彼は、嫌いなことは絶対にしません。
7 彼は、若い女の子にもてます。
しかし、こうすると、はっきり事実として言い切っていることになります。それに対して例4・5では、それは「彼」の「性格」であり、「タイプ」だとして、「彼」の属性を説明しています。
もう少し類例をあげておきます。どれもみな外の関係の連体節です。
この文は、従属節が二つある構造です。
この鍵は、どうやっても本人以外には開けられない仕組みだ。
相手は、何があっても後へは引かない姿勢だ。
こちらの出方次第では、うまくいきそうな雰囲気/感触だ。
時間内には問題点が解決できない情勢/模様/見通しだ。
彼は辞めるわけには行かない立場/運命だ。
この祭りは、女は中に入れない習わしだ。
彼は、うれしくて仕方がないという感じでした。
私は、あまりやりたくないという気持ちでした。
私は、来年留学する予定です。
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