58.1 引用とは
58.2 直接引用の問題点
58.3 間接引用の問題点
58.4 「ように」の問題
58.5 引用と否定
58.1 引用とは
58.1.1 直接引用と間接引用
話し手(いつものように「書き手」も含みます)が誰かのことばを他の人に伝えようとしてそのまま繰り返したり、あるいは、その内容をことばを少し手直しして伝えることを「引用」と言います。(学術論文などで他の論文から「引用」するのはもちろん別です。)「引用」を示す形式は「と」などです。「話法」という用語も使われますが、これは、引用を含めた、より広い「話の伝え方」を表すことにします。引用のいちばん基本的な例は、次のようなものです。
1a Aさんは「明日の会には出られません」と言いました。
b Aさんは今日の会には出られないと言いました。
2a AさんはBさんに「集合は何時ですか」と聞きました。
b AさんはBさんに集合は何時かと聞きました。
3 Aさんは「きゃー、助けてー」と叫びました。
例1aの場合、ある時、ある場所で「Aさん」が他の人(この文の話し手か、あるいは別の人)に、「 」の中のことばを言い、それをこの文の話し手がまた他の誰かに伝えているわけです。つまり、「引用」ということには二つの場面が関係しています。多くの場合、初めの話し手と後の話し手(「引用者」)は違いますが、同じ場合もあります。
4 さっき、私は「私はやめます」と言いました。
聞き手も、違う場合が多いのですが、同一だったり、初めの話し手が後の聞き手だったりもします。
5 さっき、あなたは「私はやめます」と言いましたね。
それでも、それぞれの発話は完全に別のもので、別の場面・文脈での発話になっています。まず、このことをよく確認しておくことが重要です。例2では疑問文、例3では叫び声が引用されていますが、二つの場面が関係しているという点ではまったく同じです。
さて、誰か人の言ったことを他の人に話そうとする場合、そのままのことばづかい、そのままのイントネーションで言うことは案外まれでしょう。多少はことばを変え、言い方を変えるものです。例えば、上の例1の場合、実際には、
6 「え、私ですか、私はねえ、ちょっと、明日の会にはねえ、すみませんが、
出られないんですよねえ」
と、「Aさん」は言ったかもしれません。それを、この文の話し手が多少形を整えて、例1aのように伝えたのかもしれません。例6を、そのままの形で引用して、話したり書いたりするということは、ふつうはしないでしょう。
しかし、それでも例1aは、文法的には「直接引用」と呼ばれ、一応「話されたまま」として扱われます。先ほど述べたような、「場面の違い」をそのまま保持していると見なされるからです。このことはまた後で説明します。
問題になるのは、例1bのように変えられた場合です。1bでは「Aさん」のことばは、重要な点で変えられています。内容的には変更はないのですが、丁寧体が普通体に、つまり文体がかえられ、また、時の表現が変えられています。「Aさん」の「明日」は、1bの話し手にとっては、「今日」にあたる、つまり発話の時間が一日後になっている場合の例です。この1bの言い方は、発話の「場面の違い」を意識して、それを文法的・語彙的にはっきり示しています。
例1bのように、元のことばを変えて(自分の発話の場面に合うように、自分のことばに直して)引用する場合を「間接引用」と呼びます。間接引用を示す重要な形式は、文体と発話の場面に関わることばです。これは後でくわしく見ます。
例3のような叫び声などは間接引用の形になりません。むしろ、
Aさんは叫び声をあげて、助けを求めました。
のような形になります。
さて、聞き手のほうは、話し手によって多少なりとも変えられたことばから、前の場面で実際に言われたことを理解しようとします。そこで重要なのは、話し手が「直接引用」として話したのか、「間接引用」としてことばを直しているのかを、聞き手がまず知ることです。そして、間接引用の場合には、その変更部分を元のことばに直して理解することが必要です。
その間接引用の場合のことばの変え方、内容の復元のしかたの底にある規則を明らかにすることが文法の大きな課題になります。ただ、上の例6から例1への変更(むしろ整形とでも言ったほうがいいでしょうか)はふつう文法の問題とはされません。もう少し整えられた形(これまで例文としてあげてきたような文)の間の関係として考えます。
58.1.2 「引用符」
初めにもちょっと書いたように、この本では「話し手」は「書き手」を含みます。文法の一般的な話では、この二者を特に区別する必要はないのですが、引用を問題にする場合には、ちょっと特殊な事情があります。
それは、書かれたもの、私たちがふつうに見る文章の中では、上の例でもそうですが、直接引用を表すために引用符「 」を使うことになっていて、その使い方が問題を複雑にするからです。
初めの例1a、2a、3では引用符「 」を使っています。これは、この中のことばは引用される人の言葉(「引用句」と呼ぶことにします)のままだ、ということを表わすことになっています。ですから、例1の「 」の中は「Aさん」の「ことばそのまま」とみなされます。これは、このあとに出てくる例文でも同じです。読み手は、それを信用して、その文の意味を理解します。引用句の中のことばは、違った場面でのことばとして解釈します。
しかし、そうは言っても、上ですでに例をあげたように、実際に他人のことばを引用する人がそのとおりにやっているかどうかはわかりません。小説やエッセイなどを見ると、この引用符の使い方はもっと技巧的で、初めの話し手のことばどおりとは考えられない例が多く見られます。実際には、一応そういう約束事が基本になっている、というだけのことでしょう。
彼は、もういやになったよと言いながら、それでも、「なにくそ!」とリハビリ
を続けていた。
また、引用句の後におかれる動詞が省略されて、引用句とは直接つながらないような動詞と結ばれている場合が多く見られます。
彼は「ありがとうございました」と頭を下げた。
「・・・・と言って、~」とでもするところでしょう。上の「~リハビリを~」もそうです。その言葉とともに行われる動作を表す動詞が「と」の後に続きます。このような例は、意外に多く使われています。
「こんな事があっていいものか」と憤慨していた。
「宝くじが当たったら」とたわいない夢をみていた。
「憤慨する」は言語表現を引用句としてとるものでしょうか。この辺から、引用句と言うより、その時の様子を表す副詞的表現に近づいてきます。
書かれたものの中での引用符の使い方の技巧の問題と、話しことばの中での引用の問題は切り離して考えなければなりません。
しかし、以下の例では、基本的には直接引用には「 」をつけ、「 」のないものは間接引用であることにします。
58.1.3 話し言葉の中の「引用」
上に述べてきたような問題があるにせよ、書きことばの場合には、いちおう引用符が直接引用か間接引用かを示してくれる場合がありますが、話しことばでは、つながった音声を聞いてどちらかを判別し、間接引用ならそのつもりでことばの解釈をしなければなりません。
しかし、このような文法の本の中で例文をあげようとすると、話しことばに関しても、どうしても「 」を使うかどうかの選択をせまられてしまいます。私たちが例文を読む場合は、引用符によって直接引用かどうかがわかってしまい、そのことを頭においてその文の意味を理解するのですが、話しことばでは引用符などは示せませんから、ポーズや声の調子などで切れ目を示すことになります。実際には、初めに述べたように、話された言葉そのまま、というのは案外少なく、多少の変更を加えているのですが、間接引用としてことばを変えている場合は、特にそのつもりで聞かなければなりません。
話しことばでは引用部分(特にその初め)をはっきりと表せるようなことばがありません。ふつうは「と」や「って」などを使って引用の終わりを示しますが、「と」も「って」も他の用法があるので、まぎらわしい場合があります。
話しことばの場合には「引用符」はありませんから、誰かが、
Aさんが・・・・と(って)言ったよ。
と言うのを聞いたときには、まずそれが直接引用か間接引用かを判断しなければなりません。直接引用だということがわかれば、問題はありません。その引用句を、いちおうそのまま「Aさん」のことばとして受け取ればいいわけです。(引用句の初めがはっきりしない場合もありますが、それはまた後で)
問題は間接引用である場合、つまり引用者がことばを置き換えている可能性がある場合です。間接引用の場合のことばの置き換え方、そしてそれを聞き手がどう理解するか、という問題が「引用」の大きな問題になるわけです。
引用と言うと、まず言語関係の動詞を考えますが、思考・感情・感覚の動詞も「~と」、つまり引用句をとることができます。ただし、上で述べたような二つの場面での発話があるわけではありません。話し手が変わることもありません。しかし、ある時、心の中で思い、それを発話時に聞き手に伝えるわけですから、時や場所が違ってくるということはあります。
「なかなかバスが来ないなあ」と思った。
絶対やってみようと決心した/思った。
サンタクロースは本当にいると信じていた。
「うまく行った!」と心の中で喜んだ。
部屋の中に誰かいると感じた。
その時、「来週にはここから出られるだろう」と思った。
その時、今週にはそこから出られるだろうと思った。
これらの動詞は、丁寧形をとりません。心の中のことですから、聞き手に対する丁寧さは必要ないのです。敬語は使えますが。
神は必ずお答えくださると(私は)信じていた。
思考動詞の場合も、書きことばで引用符「 」を使うかどうかは、上の例からもわかるように、たぶんに便宜的なものです。
58.1.4 引用されるもの
引用符の中身について考えてみましょう。引用符の中に入るのは言語表現と限るわけではありません。日本語でなくてもいいし、人間の声でなくても、音でもいいのです。直接引用とは「そのまま」なのですから。
その時、「ガチャーン」と何かの割れる音がした。
ポチは足で土をかきながら、「ワンワン」と吠えた。
その人はにっこり笑って「Bonjour.」と言った。
このような例では、初めに述べた「二つの場面」の問題は起きません。思考動詞の場合は、基本的に日本語、少なくとも言語でしょう。
58.1.5 と・って・なんて
引用句を示す助詞は「と」が基本ですが、話しことばでは「って」がよく使われます。
天気予報では雨が降るって言ってたけど。
田中君は今日来ないって聞いたよ。
二度と来るな、って怒られちゃった。
文末に使われて「(する)そうだ」「ということだ」の意味を表すことが多いのが特徴です。
田中君、今日は来ないって。(×田中君、今日は来ないと。)
残業をやれってさ。
誰かが話し手に「残業をやれ」と言い、話し手がそれを引用して、「って」でそれが他者の発話であることを示しています。この言い方は、引用動詞が省略されているので、その引用された内容が誰の発話であるのか、つまり情報源が誰であるのかをはっきり示さないという性質があり、「~そうだ」に似ています。また、上の例にあるように、命令・依頼・意志・勧誘などのムード形式を受ける制限がないので、自由に使え、大変便利な表現です。
「~と」は「今日は来ないとさ」のように終助詞をつけると安定します。あるいは、「と」を少し強く高く言う(プロミネンスを置く)ことでも言えます。
「なんて」は「などと」の代わりに話しことばで使われる形ですが、「など」の「低い評価」の意味合いを持っています。
まあ、帰るなんて言わないでさあ。
「出ていけ、この野郎!」なんて言われちゃってねえ。
次の例は、以上のどれも使っていません。
大したことしたわけじゃないけどね、「ありがとう」ぐらいは言ってもいいん
じゃないか?
これは「~の一言ぐらいは」か、あるいは「~ぐらいのことを言う」でしょう。
あいつにほれてんなら、「おれについて来い」ぐらいのことは言ってみろよ。
こう考えると、「Nを言う」のNに引用句が入り、その「を」が副助詞の「ぐらい」に取って代わられたか、あるいは、「~ことを言う」の「こと」に「~ぐらいの」という修飾語がついた形と考えられます。
もう一つ、「ような・みたいな」の例。
天気予報で、明日雨が降るようなこと言ってたね。
田中さん、今日来るみたいなこと言ってたよ。
これも「ことを」で、つまりは名詞節です。
なお、「と」がいくつか並ぶ場合、「~とか」が使われます。
死んでも別れないとか、一緒になれなかったら死ぬとか言ってたのが、結婚して
半年で離婚したよ。
58.2 直接引用の問題点
引用では間接引用のほうが問題になることが多いのですが、直接引用についてもいくつかの問題を見ておきます。
58.2.1 引用動詞
引用符(を使った引用句)をとる動詞は、基本的には限られていますが、前にも述べたようにいろいろな動詞が引用符をとることがあります。まず、言語関係の動詞。
言う・しゃべる・話す・告げる・述べる・書く・記す・描写する
願う・祈る・頼む・命じる・命令する・誘う・勧める・断る
聞く・質問する・呼ぶ・叫ぶ・怒鳴る・嘆く・歌う
鳴く・吠える 音を立てる・響く
そのほか、「声をかける」「呼び止める」のような連語や複合動詞なども含めると数多くあります。
基本的な補語の型は、「人が人にものをV」の「ものを」のところに引用句「~と」が入る形になります。動詞の対象を表すというより、その具体的な内容を表します。
弟は私に「こんなのやだよ」と言った。
「Nを」が存在し、引用句の内容を表すこともあります。
弟は、「こんなのやだよ」と文句/不平 を言った。
「平和が訪れますように」と祈りを捧げた。
「誘う・呼ぶ」などは「人を」になり、「ことを」をとりません。
「お祭りに行かない?」と友だちを誘った。
これらの「~と」は連用修飾語ということになります。
次に、思考関係の動詞。引用符なしの形をとるのが基本でしょうが、引用符を使うこともよくあります。
思う・考える・感じる・知る・わかる・予想する・推測する・信じる・期待する・
判断する・決める・決定する・決心する・喜ぶ・悲しむ
彼女は、「絶対に弁護士になってやる!」と思ったそうだ。
私は「二度とタバコは吸うまい」と決心した。
私は「うまくいった」と喜んだ。
前にも触れましたが、引用句と直接関係のない動詞。その発話に付随する動作を示すことが多いです。
その男は「ふざけるな!」と机を叩いて立ち上がった。
彼は顔をあげて、「きれいだなあ」と桜の花を見上げた。
子どもは、「ふん」とそっぽを向いた。
その時の精神状態。
私は「だめだったか」とがっかりした。
「うわーい、ばんざーい!」と喜んだ。
「喜ぶ」はそれ自体が引用句をとる動詞とは言えないでしょう。
そのことばが間接的にある動詞の意味を表すもの。
「今日は早く帰って子どもと遊ぶんだ」と飲み会を断った。
断りの表現としては、「今日は行かない」と言えばはっきりしますが、上の例は間接的に断りを表しています。
「これがおいしいですよ」とお菓子を勧めた。
そのことばが直接ある動詞が表す行為になるもの。
その男は、「しゃべったらただじゃおかねえぞ」と私をおどした。
話し手の、引用句の話し手の態度に対する判断・評価を表すもの。
彼女は、「彼とじゃあねえ」と出演を渋っていた。
以上の他にも引用句を受ける動詞の例は数多くあり、かなり制限は弱いようです。
形容詞にも引用句を受けられるものがあります。
私は「これでいいのかなあ」とちょっと心配だった。
彼女は「本当に来てくれるかなあ」と不安そうだった。
58.2.2 ムードの制限
直接引用をとる述語の中で、引用句にある特別なムードを要求するものがあります。これは意味的な制限です。
「行け/行きなさい!」と命令した。
「行ってくれ/ください」と頼んだ。
「行こう/行きましょう/行かない(か)?」と誘った。
「私が行こう」と決心した/申し出た。
「本当に行くの/行くね/行くだろう?」と確かめた。
「行く(か)?」と聞いた/たずねた/質問した。
「言う」はどれにも使え、いちばん広い用法の引用動詞です。「~と手紙を書いた」としても、どれにも使えます。
58.3 間接引用の問題点
引用で大切なことは、初めの発話の場と、それを引用する発話の場との違いによる表現の問題を聞き手が正しく理解すること、そして話し手はそれが理解しやすいように表現すること、です。具体的に問題になるのは次に述べる「ダイクシス」ですが、まず、直接引用か間接引用かという目印が必要です。
58.3.1 文体・終助詞
間接引用では丁寧体は普通体に直すのが原則です。丁寧形が残っていれば、直接引用と見なされます。
× 彼は昨日、明日行きますと言った。
彼は昨日、明日行くと言った。(「あさって行きます」と言った)
もちろん、「明日行く」の直接引用という可能性もあります。
終助詞があると、直接引用と見なされます。
「このサラダがおいしいね」と君は言った。
これらがあれば、直接引用で、「ダイクシス」はそのままで解釈できます。これらがない場合、直接引用か間接引用かわからないことになります。
58.3.2 人称・時・場所(ダイクシス)
間接引用のいちばん基本的な問題は、聞き手が引用された言葉の内容を復元し、その情報を正確に理解することです。そこでまず問題になるのは、発話の場面に縛られる要素です。具体的には、人称・時・場所です。
前にも述べたように、引用には二つの場面が関係します。その二つの場面の間で、話し手が変わり、時間が変わり、場所が変わります。(時間以外は同じ場合もあります。)
前にあげた例にもあったように、「明日」を「今日」に言いかえたりする必要があります。
a 彼は「明日そちら(あなたのうち)へ行きます」と言いました。
b 彼は今日こちら(私のうち)へ来るといいました。
ずっと前のことなら、「次の日」とか「翌日」などが使われます。そして、誰が誰に話すかによって、「私」や「あなた」が誰か決まります。それに関係した「お宅」「そちら」なども。そして、動きの方向「行く・来る」という動詞の向きも変わります。聞き手は、これらを会話のスピードに遅れることなく、正確に解釈していかなければなりません。
実際の場面では「これ」や「あそこ」で誤解なく伝わる内容も、違った時と場所で引用される場合は、もっとはっきりさせなければ伝わりません。
例えば、
私はあの人に「これはあそこに入れて下さい」と言われた。
を同じ場所で言うなら、
私はあの人にこれ(それ)をあそこに入れるように言われた。
でも通じますが、はっきり言えば、
私は係の人にその箱をあの棚に入れるように言われた。
となりますし、場面が変われば、
私は係の人に道具箱を机の横の棚に入れるように言われた。
などとなります。
実際の状況で、どのようにして内容を過不足なく伝えるかは、引用者の判断によります。引用者がどこまで言い換えるか、省略するか、などを聞き手はうまく察しないと、誤解が起こります。
これらの、発話の場面に縛られる人称・時・場所などの要素を「ダイクシス」と呼びます。「境遇性のある単語」という言い方をする人もあります。その「境遇」によって、同じ内容をさすのに違う単語を使わなければならないということです。
以上の例とは少し違いますが、「やりもらい動詞」も人称を考慮しなければならないという点で、間接引用にする場合に注意が必要な動詞です。
「この前君に貸してあげた本を返してくれないか」と言われた。
(彼に)この前私に貸してくれた本を返してくれないかと言われた。
「V-てあげる」を「V-てくれる」に直しています。「V-てくれないか」のほうは変更なしです。これを次のようにしたらどうでしょうか。
この前彼に貸してもらった本を返してくれないかと言われた。
これは間接引用の範囲を越えているでしょうか。意味内容は同じですが。
「これを君にあげよう」と言った。
これを僕にくれると言った。
「彼にあげよう」なら間接引用にしてもそのままでいいのですが、「僕にくれよう」とは言えないので、注意が必要です。
次の例の「くれよう」という形は意味が違います。「V-ようとする」という文型です。
彼女はそのレコードを僕にくれようとした。
58.3.3 「Nを~(だ)と思う」
評価的な文と「思う」「考える」などの判断を表す動詞との組み合わせで、次のような文型があります。
社長はバカだと思う。
の「は」を「を」に代えた文がよく使われます。「だ」は省略できます。
社長をバカだと思う。
雪舟を日本一の画家と考える。
「社長を思う」とはふつう言わないので、次の例とはまた違います。
政府の方針を偽善的だと批判した。(政府の方針を批判した)
cf. 政府の方針を「その方針は偽善的だ」と批判した。
× 社長を「社長はバカだ」と思う。
これは次の形容詞を使った文型につながります。
こんな日本の現状を情けなく思う。
こんな日本の現状は情けないと思う。
しかし、この「情けなく」は副詞だとも言えそうです。次の「ひどい」では成り立ちません。
あのやり方はひどいと思う。
× あのやり方をひどく思う。
58.3.4 疑問文の引用
疑問文の場合は、丁寧形を普通形に直して間接引用の形にします。
彼は彼女に「いつ来ますか」と聞いた。
彼は彼女にいつ来るかと聞いた。
先週、医者は私に「明日来られませんか」と聞いた。
先週、医者は私に次の日来られないかと聞いた。
「~か」の形だけで、名詞節の場合のような「~かどうか」の形はありません。肯否疑問文の場合も「~か」だけです。
?医者は患者に次の日来られないかどうかと聞いた。
これはつまり、直接引用の場合に「~かどうか」という形がないからです。
×先週、医者は私に「明日来られないかどうか」と聞いた。
引用の「と」のないものは、名詞節と考えます。「57.4 ~か(どうか)」で扱いました。
先週、医者は私に明日来られないかどうか聞いた。(名詞節)
選択疑問文の場合は、間接引用にしにくいところがあります。
「この続きは明日しますか、明後日にしますか」と聞いた。
この続きは明日するか明後日にするかと聞いた。
後者の文はどうも落ち着きません。
また、元の文が「か」を言わない疑問文でも、間接引用では必ず「か」をつけなければなりません。
彼は彼女に「いつ来る?」と聞いた。
彼は彼女にいつ来るかと聞いた。
思考動詞の場合、「質問」ではありえないので、「疑問」あるいは「疑い」になります。
私はその時、失敗したと思った。
私はその時、失敗したかと思った。
どうしてこんなことになったのかと考えていた。
こんなことをやっていていいのだろうかとも考えた。
席を譲ろうかと思ったが、隣の人が先に立ち上がった。
このまま続けようか、それとも止めようかと悩んだ。
58.3.5 依頼・命令文の引用
元の文が命令文や依頼表現である場合は、「よう(に)」を使うのが一つの方法です。「に」を省略して「よう」だけにすると、少し硬い言い方になります。この「ように」は、前にみたような「目的」や「様子」の用法とは違います。
彼女は「ここでちょっと待ってください」と 言った/頼んだ。
彼女はそこでちょっと待つように 言った/頼んだ。
その男は私に「ちょっと待て」と 言った/命令した。
その男は私にちょっと待つように 言った/命令した。
「これをあそこに置いていただけませんか」と頼んだ/お願いした。
花瓶を棚の上に置くように 頼んだ/お願いした。
強いて言えば、「待つように言う」の「言う」目的(ねらい)が、「(聞き手が)待つ」ことの実現である、と言えるでしょう。
直接引用の依頼の丁寧さを残すことはできません。
彼女は彼に「これをやって下さい」と頼んだ。
彼女は彼にその仕事をやるように頼んだ。
彼女は彼にその仕事をやってくれるよう頼んだ。
命令や依頼というのは、聞き手にある行動をとることを期待して、それを言うわけですから、その行動の主体は当然聞き手です。すると、例えば
その男は私にちょっと待つように言った。
の場合、「待つ」のはもちろん「言」われた相手である「私」です。
これを「と」の引用文にすると、
その男は私にちょっと待つと言った。
今度は、「待つ」のはたぶん「その男」です。
58.4 「ように」の問題
引用句をとる動詞が、依頼や命令ではないのに「ように」が使われている場合があります。「思う・感じる・見える・聞く」などの
もうそこまでで十分なように 思った/感じた。
この「ように」を使った文は次のどちらに近く感じるでしょうか。
a もうそこまでで十分だと 思った/感じた。
b もうそこまでで十分なようだと 思った/感じた。
「ようだ」には、はっきりと「推量」の意味合いを持つ場合と、たんに表現の「やわらげ」にすぎない場合とがあります。この例の場合も、人によってどちらの意味を感じるか違いがあるかもしれません。bの例で、「ようだ」を単なる「やわらげ」と感じる人は、つまりaと同じ意味だと思うでしょう。そうではなくて、上の「ように」とbの「ようだ」にはっきりと推量の意味を感じる人もいるでしょう。
次の例はどうでしょうか。
a 日本でも研究が始められているように聞いたことがある。
b 日本でも研究が始められていると聞いたことがある。
c 日本でも研究が始められているようだと聞いたことがある。
私は「推量」の意味にはとりにくいように感じますが。つまり、aはbと同じで(表現の直接さの違いはありますが)、はっきり推量の意味があるcとは別です。
この「ように」は「自発」の場合によく使われます。
そこに問題があるように思われる。
「自発」自体が表現を間接的にする効果がありますが、それに「ようだ」を加えれば、より間接的な表現になるわけです。
58.5 引用と否定
引用は否定に関して微妙な問題があります。次の二つの文は、近い意味を表しますが、同じではありません。
1a 雨は降らないと思う。
b 雨が降るとは思わない。
2a おいしくないと思う。
b おいしいとは思わない。(が、まずいとも思わない)
1はかなり近いですが、2では少し違います。「おいしくない」はほとんど「まずい」と同じ意味になってしまいますが、2bは必ずしも「まずい」わけではありません。
ただ、1に戻って言うと、「たぶん」が付けられるのは1aだけです。
?たぶん雨が降るとは思わない。
これはもちろん、従属節が肯定だからではありません。「たぶん・・・と思う」という呼応があるからです。
?たぶん雨は降らないとは思わない。
たぶん雨は降らないと思う。
参考文献
許夏玲1999「文末の「って」の意味と談話機能」『日本語教育』101
加藤陽子1998「話し言葉における引用の「ト」の機能」『世界の日本語教育』8
鎌田修1983「日本語の間接話法」『言語』9月号大修館
三枝令子1995「「って」の構文的位置づけ」-「と」による引用と「って」による引用の違い-阪田記念
砂川有里子1987「引用文の構造と機能-引用文の3つの類型について-」『文藝言語研究言語篇』13筑波大学
砂川有里子1988「引用文の構造と機能(その2)-引用句と名詞句をめぐって-」『文藝言語研究言語篇』14筑波大学
丹羽哲也1994「主題提示の「って」と引用」『人文研究』第46巻第二分冊大阪市立大学文学部
藤田保幸1999「引用構文の構造」『国語学』198集
堀口純子1995「会話における引用の「~ッテ」による終結について」『日本語教育』85
前田直子1995「トとヨウニ」宮島他編『類義下』くろしお出版
前田直子1996「必須成分として機能する「~ように」節の意味・用法」『東京大学留学生センター紀要』第6号
三浦昭「「と」と「って」 『日本語教育』
徳田祐美子1989「「という」の使われ方の研究」『日本語学科年報』11東京外国語大学
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